あいかわらずの恋模様、鐘に溶け。 目元をほんのりと赤く染めたハンガリーが、楽しそうに小さなグラスを一息に呷る。 ショットグラスのような容積で、しかしオリエンタルなそれは、確か杯と言った。 ビール瓶のような入れ物に入った透明な液体を、先程ハンガリーが同じく不思議な形状の陶器のボトルに入れて温めていたのは知っている。 「飲みすぎですよ」 空になった杯へ、次の一杯を傾けかけた彼女を、オーストリアの手がやんわりと止めた。 「だいじょうぶですよう。ふわふわして美味しいんです。オーストリアさんも飲んでますかぁ?」 口調が既に大丈夫の域を脱していることに、おそらく本人は気づいていないのだろう。 オーストリアは、ぐいと押し付けられた杯を片手で制しながら息を吐いた。 「いえ、私はこちらを飲んでいますので――」 「おいしいですよ? ね、ひとくち」 手元のワイングラスを視線で示したオーストリアを気にせず、隣のハンガリーは自分の飲んでいた杯をほとんど無理矢理オーストリアに押し付けながら、陶器のボトルを持つと、上目遣いで小首を傾げた。 それでもなかなか首肯しないオーストリアの手に自分の手を重ねると、もう一度「ね?」と言う。 その仕草にオーストリアは負けたというように目を伏せた。 「……では、少し」 「えへへ。はい、どうぞ」 嬉しそうに笑って眦を下げたハンガリーに苦笑して、無色の液体が注がれるのに目をやった。 新年に、と日本から送られてきたのだとハンガリーに聞いた酒という飲み物は、名前こそ聞いたことはあったものの、実際に口にするのは初めてだ。 ワインとは違う香りを確かめながら、ゆっくりと杯に口をつける。 「おや、美味しいですね」 「ですよね」 喉を通り過ぎるときの独特な熱さがアルコールの高さを窺わせるが、甘みがあり飲みやすい。 温められているせいもあるのか、体の中に流れ落ちていく端からぽっと熱が灯る気がするのも心地が良い。 オーストリアの感想に更に相好を崩したハンガリーが、まだ酒の残っている杯に口を付けかけたのを、オーストリアが慌てて杯を遠ざけた。 「こら、ハンガリー。貴方はさすがに飲みすぎです」 「ええー」 杯を取り返そうと手を伸ばしながら不満の声を上げるハンガリーは、既にかなり酔いが回っている証拠だろう。ハンガリーの手が届かないようにテーブルの端に杯を置くと、唇を尖らせて潤んだ瞳で睨まれてしまった。 「そんな顔をしてもダメです。大体、これは日本から「新年に」と送られたものではなかったのですか?」 「え、あれ?そうでしたっけ……」 オーストリアが言うと、ハンガリーは酒瓶の入っていた箱の中から、白い縦長の封筒を取り出してみせた。 目を眇めてまじまじと文面を追ってから頷く。 「ああ、うん、そうかもしれません……」 そのままオーストリアにも手紙を渡しながら、えへへと笑った。 「日本さんの新年っておもしろいんですよー。新年前日の真夜中には――ええと、ジョヤ?という鐘がたくさん鳴るんだそうですよ」 「シュテファン大寺院のプンメリンのようなものですか?」 午前0時丁度から、新年を祝うため鳴らされる大鐘の音が咄嗟に浮かんだ。 それなら似てるような気もする。 しかし首を傾げ受け取ったオーストリアに寄り添うようにしながら、ハンガリーが文面を指して見せた。 「ふふ。ちょっと違うみたいですですよ」 『…………ということですので来年もどうぞ宜しくお願いいたします。 そういえばそちらの大晦日は随分賑やかに祝われると伺いましたが、こちらでは除夜の鐘というものが108回鳴らされるんですよ。静寂な夜の四十万に厳かに響く鐘の音で、人間には108あるという煩悩を祓うとされています。八百万の神々が息吹く土地柄ですから、厄除けも景気良くといったところでしょうか。しかしながら我々は日々妄想の具現化に努める身の上、年明けもすぐのイベントに心血を注がなければなりませんし、あまり浄化されるとネタ的に困るかもしれないですね。…………』 「なるほど厄除けですか。確かに、面白い発想ですね」 しかも祓われるものが大雑把なようでいて、具体的な数字まで示されている。 日本が神秘的といわれる所以の一環を垣間見たようで、オーストリアは興味深げに首を振った。 「おもしろいですよね〜えへへ」 「……ハンガリー?」 「ぼんのーがたくさんですよ、オーストリアさん」 くすくすと笑いを溢しながらそう言うハンガリーは、微妙に呂律が回っていない。 名前を呼ぶと返事の変わりに突然真剣な表情になり、オーストリアの眼前に指を一本立たせて見せた。 「しかも鐘の音で落ちるんだそうです」 完全に酔いが回っている。 「そのようですね――って、こら、ハンガリー!これはもう……ワインもお止めなさい!」 ハンガリーが届かない位置に置いた杯に不意に伸ばされた腕を交わせば、間髪いれずにオーストリアのワイングラスに手が伸ばされる。 寸でのところで手首を押さえることには成功したが、俯いたハンガリーは拗ねたように頬を膨らませてオーストリアを睨み上げた。 「ずるいです……。オーストリアさんだって両方飲んだじゃないですかあ!」 「それは貴方が……いえ、もういいですから明日になさい。今日はもうお開きにしましょう」 「あ、オーストリアさんワインの香りします……。ああ、オーストリアさん、ワインだったんですね〜」 「は?」 支離滅裂なハンガリーの発言に訝しげにオーストリアが眉を寄せる。しかし、くん、と鼻を鳴らしたハンガリーの伏せた睫毛を近くにあると認識したときには、既に唇が触れ合っていた。 頬に軽く添えられたハンガリーの指先が熱い。 「――――」 「……ふへへ」 子供の遊びのようなキスを送ったハンガリーが、突然のことに目を丸くしたオーストリアにふにゃりとアルコールに溶けた笑顔を見せた。 思わず出掛かった小言が、開けた口から行き場を失う。 その時、不意にオーストリアの耳に、遠くで響く鐘の音が聞こえた。 「……あ、ジョヤ……」 ハンガリーにもその音は確かに届いたらしい。上体をほんの少しだけオーストリアから持ち上げて、窓の外に視線を送るとそう呟いた。 「違います。シュテファン大寺院でしょう御馬鹿さんが」 「シュテファン?」 まるで初めての単語を習う子供のように復唱する彼女に、オーストリアは本日何度目か分からない息を吐きながら、ハンガリーの頭をポンと優しく叩く。 「そうですよ。それに本当の年末は明日でしょう。飲みすぎです、ハンガリー。そろそろ寝室に」 「……ぼんのうおちませんねえ」 まるで会話になっていない。 とろんとした視線でぼんやり窓の外を見ていたハンガリーが言った台詞に、オーストリアは律儀に訂正しようと口を開いた。 「だから違うと言って――」 「私やっぱりオーストリアさん大好きですもん〜ふふふふふ」 「な、」 言うなり鼻の頭にハンガリーが唇を寄せた。 そのままオーストリアの頭を抱きこんで、ずるずると力が抜けていく。 「ハ、ハンガリー?」 やわらかな膨らみは元より、ワインやビールとは違うアルコールの甘い香りを纏ったハンガリーの体が、オーストリアが慌てて回した腕にしっかりと凭れて収まってしまった。 呼び掛けに寝息で答えるハンガリーの力の抜け切った体を支えながら、オーストリアは鼻腔に感じる甘い刺激を自覚して、我知らず眉間が寄ってしまう。 「……まったく。御馬鹿さんが」 額にかかる柔らかな髪を横に流すようにして梳きながら、吐息で震える瞼の上に唇を落とす。 (――煩悩?) このどうしようもなく愛おしさを感じる甘い衝動が? 想い想われる優しく激しい胸の疼きが? 「落とされてたまりますか」 口に乗せると意外なほど毅然とた色を帯び、オーストリアは誰にともなく苦笑した。 それからすっかり寝入っているハンガリーの頬に触れて、囁くように唇を寄せる。 「貴方へは煩悩だらけで困りますね」 先程のハンガリーのようにくすくすと漏れる笑いを噛み締めながら、オーストリアはそっと鼻先にキスをした。 実は大晦日の前日の酔っ払い事情。 うちの墺洪はお互いがお互いを好きすぎですな。でもむっつり気味なお貴族www |