(――よしっ、そうだ。あと少し) 最初は別にそんなつもりじゃ全然なかった。 (そこだそこだ……って、そこで焦らすなよバカ) ただ、周りをうろちょろする小国の動きが目障りで―― (髪の色がいいよな〜……肌に映えるっつーか……) そんな奴らをとっ掴まえてふと見たら、それがたまたまアイツの着替えシーンだっただけで。それから何となく目が行くようになったのに、別に深い意味はない。はずだ。言うなれば、俺はアイツを好色な目で値踏みする身の程知らずのバカどもから救ってやった、陰のヒーローってとこじゃないか。 (こんなところ、俺以外の奴が見たら、覗くだけで済むわけねー……。――おぉーっ!) 結論。俺は悪くない。 おそらく、それは。 外見と違いおとなしくないアイツの性格を反映してか、制服の下に控える体のラインもおとなしくない。 上着を一枚ずつ肌蹴ていって、完全な素肌を曝け出すのも勿論いいが、今のようなシャツと下着だけという姿も、なかなかどうして悪くないものだ。 いつもはしっかりスカートの中へ仕舞いこまれているシャツの裾が、下着の上で揺れているのを見ると、次の姿を想像しやすくなるからだろうか。 (……男物のシャツを羽織るっつーシチュエーションも捨てがたいよな。朝とか? ……あ、いい。これ悪くねえよな……) 眼福を拝みながら、脳内が目まぐるしく活動を始める。 それ俺のだぞ。 ――だって、ちょうどここにあったから……いいでしょ?――ん。 そんな顔で挑発してんじゃねーよバカ。 とか、なんつって。 いやいや、別に一足飛びにシャツじゃなくてもアレだよな。例えば――そうだな。制服のセーターだとかジャケットとかでも別に俺はいいわけで。 ――わ、なんか……プロイセンて意外とおおき……。 当たり前だろ。俺は男でお前は女なんだから。 ――や、わかってるけど!何ていうか……その、あの…… エトセトラエトセトラ。 頭の中でぐるぐる豊かな想像力でごった返している最中、現実の視線の先ではハンガリーが実に男らしくシャツを脱ぎ捨てて、背中のホックに腕を回しているところだった。 (お、おぉ……) 外しにくいのか、少し傾げた体に合わせて、アイツの金髪が背中を流れる。 その下で細い指が、背中を横断する幅の狭い布地の金具を器用に見つけた。あの2つ3つの小さな留具が外されれば、それこそこぼれるという形容がぴったりの現象が起こることは間違いない。今までの経験からいっても、疑う余地のないことだった。 あと少し――あと少し――。 「……しっかし」 見ていると毎回思ってしまうのだが、女はよくもまあ、あんな動作が出来るものだ。 後ろに目があるわけでもないのに、捻ったように後ろ手を回して、その先にある金具をまるで我が体のように勝手知ったる動きで、あっという間に外してしまう。はっきりいって、俺には無理だ。 「あんなん、よく外せるよな……」 「慣れれば片手でも出来ますよ」 「へ〜……」 ――ん? 「……って、おおおおおまっ!? なっ、オ、オーストリア!!!」 ごく自然に俺の独り言に入ってきた男を、振り返りざま怒鳴りつける。 紛れもなく奴だった。すかした・キザったらしい・いけ好かない、の三拍子揃った男、オーストリアだ。 こんな休日、わざわざ部活でもない生徒がここにいるわけはないと高を括っていたせいか、必要以上に声がどもってしまい、俺は慌てて咳払いで誤魔化した。 ちくしょう。コイツ相手にそれだけでも失態だ。 「まったくプロイセン、貴方はそんなところで何を――と聞くのは愚問ですね。恥を知りなさい」 しかし俺の態度などどこ吹く風。全てお見通しといわんばかりの言い方で、奴お得意の眉を寄せた顔で俺を見る。存在そのものが腹立たしい男に、その言動が余計俺の癪に障った。 「うううううるせぇっ!! お前だってこんなところで何してやがる! ここはなぁ!」 滅多に生徒の訪れない、離れの空き教室だこんちくしょう。 だからこそハンガリーは、ここを着替えの場所に選んでいて、そうしてこの隙間は俺が見つけた俺だけの特等席なわけで。 そこにのこのこ現れただけで万死に値する。 ここにいることそれ自体が罪だ。罰だ。、問答無用。理由は聞くまでもなく皆一つ――。 「タイを取りに来たのですが何か問題でも?」 「ホラ見ろ――!……て、はァ!?」 言われて奴の格好をしげしげと見ると、確かに首元にいつもコイツの几帳面さを現すかのように、一部の狂いもなく締められているタイがなかった。 バカがつくほど真面目一筋、清廉潔白な風紀委員様にあるまじき格好というやつだろう。 しかしそんなものがどうしてこんな離れの、しかもハンガリーの着替えスポットに。 探し歩いてるうちに、ここまで来たのか? というかそもそもどうしてオーストリアが学校に居る。休日開会の委員会でもあったのか? 「――いやいやいや! 俺様は騙されねーぞ!」 「騙す?」 「そうだ。いつもいつもすかした顔で俺の前に現れやがって! お前だって一皮剥けば単なる男だ。結局は――」 訝しむオーストリアはいかにも世間を知らないお坊ちゃん然としていて、そこが女に人気らしいが、俺は絶対に騙されない。そうだ、コイツだってれっきとした男なのだ。 そんな奴が休日の学校に、この俺様専用特等席に入り込んで、タイがないだのというおかしな言い訳が通じると思うな。 お前はもう風紀だ何だと他人のことは言えなくなる。ここに来た本当の理由を、他の奴らに知られたくなければ、泣いて縋れ。大人しく俺にボコられてろ。ハンガリーは絶対呼ぶなよ? いくらお高くとまっていようが、どうせ結局はお前も欲望に忠実な哀れな子羊だったというわけだ。そうさ、ここに現れてしまった時点でお前は単なる―― 「覗き野ろ――」 「私に有用性はないですが?」 ――実に。 実に飄々とした表情で即断されて、俺の鼻から興奮渦巻いていた空気が、ぷひょ、と変な音を立てて抜けた。 何だコイツ。なんて言った? 有用性がない? それはつまり――必要ないってことか? 女が? 裸が? 見えそうで見えないちらリズムと見えたときの世界中にガッツポーズを見せ付けたいあの達成感が? つーかお前、ハンガリーの生着替えに何の欲情も催さなかったら男じゃないぞ? まさかアレか? お前アレなのか? 男の矜持に関わる非常にプライベートな問題か何かか? いや、だとしたら悪かったな。なんというか、いい気味だけど、悪かった。 「……違いますよ」 俺の絶句と視線の意味を察したのか、オーストリアが憮然として言う。 「いやいい。もう聞かな」 「この御馬鹿! 違うと言っているでしょう!」 気を遣ってやったのに、バカとか言いやがった。 「ウソつけ! だってお前、どんな正当な理由でこんな場所でタイを外すってんだよ」 「縛るのに適当なものがなかったからです!」 「縛……だからここで何してたんだっつー……」 憤然と声を荒げるオーストリアを、俺が呆れ口調でかわそうとしたその時だった。 俺のすぐ後ろで開いた教室のドアに、後頭部を強打された。 「――ぐあっ! 痛ってぇ……!!」 不意打ちに涙目になって蹲る。 「え、わ、すみませ――あ。なんだ、プロイセン」 「なんだ、じゃねえ、なんだじゃ!!」 「オーストリアさん! どうしたんですか?」 俺の苦情を軽やかに流して、ハンガリーはしゃがむ俺の頭上で声の調子をガラリと変えた。 いつものことだが、態度の違いにイラッとくるものがある。 非難をこめて見上げた先に、なまめかしい素肌の太腿が飛び込んできて、俺は拳を床に叩き付けたい衝撃を抑えた。 ――くっ。オーストリアのバカに関わっていたせいで、肝心な所を見逃したか……っ。 「私はタイを取りに、ですよ」 まだ言うか――。 そう思ったのに、瞬間ボッと火を噴くように赤く染まったハンガリーの姿に驚いて、二の句が繋げなかった。 「それとこれを届けに」 「――へっ?」 上擦った声で返事をするハンガリーの前髪を、オーストリアはやけに慣れた手つきで触れ、軽くまとめると、見覚えのあるピンでぱちんと留めた。ハンガリーがいつもつけている、あの花のモチーフのピンだ。 「忘れ物です」 「あ、これ探してたんです。どこに……」 「あのとき外したまま、うちに忘れていったようですよ。私もうっかりしていました」 「あのと、き――……はわわっ、す、すみません……」 まただ。ハンガリーが頭から湯気を出して、小さくなる声でオーストリアに謝罪した。 ちょっと待て。お前ら待て。何その学生にあるまじき会話。 そういえば、と嫌な時に嫌なタイミングで、俺はさっきのオーストリアの言葉を思い出してしまった。 オーストリアは確か、シバくとか何とか……いや違うか。まさか「縛る」? ここで? 何を? 誰をどこをどんなふうに! 極めつけはそのピンだ。忘れ物って忘れるか? つーか外すか普通。ないだろ普通。女が男の前で外すって、いったいどういう状況だってんだちくしょう。 「えと、じゃあ私そろそろプールに行きますね」 「はい、いってらっしゃい。――ああ、ハンガリー」 散々な想像に激しく打ちのめされている俺を嘲笑うかのように、オーストリアがハンガリーを呼び止めた。 「そのままでは寒くなるでしょう。運動の前後は特に」 水着姿のままで行きかけていたハンガリーの肩に、奴はおもむろに脱いだ自分の上着を羽織らせた。 「わ――。あったかい……ふふ。オーストリアさん、ありがとうございます」 照れ笑いを浮かべながら、ハンガリーは嬉しそうに奴の上着に袖を通すと前を合わせる。 肩の合わない男物のそれから覗く、すらりとした白い足。オーストリアに誂えられたそれは、ハンガリーには長すぎて、濃紺色が見え隠れしている。 スクール水着に欲情する趣味はなかったはずの俺だが、見てると何だか熱いものがこみ上げてきてしまった。 あったかい、と呟いたハンガリーの微笑が、残響のようにぐるぐると回る――。 「――……プロイセン?」 気づけば二人きり。 お目当てのものはとっくに去り、真っ白に燃え尽きて残された俺は、オーストリアの声で現実に呼び戻された。 「…………の……」 「はい?」 俯いたまま、ゆらりとその場に立ち上がる。 心なし、気遣わしげに俺の名前を呼んだオーストリアは、珍しく困惑しているらしい。 「男の……」 「どこか具合でも悪いのですか?」 ああ、そうですとも。おまえのせいでな。 俺はがっしと奴の胸ぐらをねじり上げると、声の限りを尽くして叫んだ。 「男のロマンを根こそぎ奪いやがってこのスカシアンポンタン貴族野郎オォォォッ!!!」 わざわざ本当に良く晴れた、こんな休日の昼下がり。 制服まで着込んで学校なんかに来てやった俺様の目的や、あまつさえ心の奥底で毎度ひっそり楽しんでいた心の潤いにまで、ズカズカ無断で侵しやがって。 「な――」 「うっせえバーカ! お前なんか大ッッ嫌いだバーカ! この坊ちゃん野郎ちくしょうバーカ!!」 捲し立てて走り去る。 後ろを見なくても分かる。 アイツは呆然として俺の背中を見つめた後で、言われた言葉にお上品に腹を立てる。 ふん、とろいんだこのバーカ。トロトロしてるなら、変なとこだけ早くしてんじゃねーよバーカ。 準備もなしに全力疾走したせいで、息が切れて、胸が痛い。 だからきっとそのせいだ。 今夜はぐっすり眠れそうにない。 ハンガリーさんはアメリカと日本に借りた「ビリーズ・ブート・キャンプ」DVDを、デッキの充実したオーストリアさんちで見せてもらって、嵌っているのですよ。ピンはその時あんまり激しく動くもんだから、外して縛ればというオーストリアさんの提案で取っただけ。そんで、やりのこした生徒会の仕事をするために休日登校していたオーストリアさんに頼み込んで、ネクタイを貸してもらい、即席パワーバンドを作って、朝寝坊して出来なかった部分のビリーを、部活の準備運動がてらにやっていたのです。 哀れプロイセン。大いなる誤解(酷)。 |