良い子の読書 広い図書室の窓辺で、膝を抱え込んで座りながら本を読む少女の姿を目にとめて、オーストリアは僅かに目を瞠った。 「――ハンガリー」 「あ、オーストリアさん」 余程真剣になっていたのだろう。すぐ傍に寄ったオーストリアの影で陽光が翳るまで気付かなかったハンガリーは、驚いたように顔を上げた。 「本を読むなら、きちんと椅子にお座りなさい。そんなところで、……そんな格好をするものではありません」 スカートの裾を立てた膝の間に挟んで、窓枠に背中を凭れているというのは、読書をする姿勢ではない。 長時間の読みものであればなおのこと、姿勢の悪さは体にかかる負荷や視力にも良くはないのだ。 ハンガリーは悪戯を見つかった子供のように、少し照れたようにはにかみながら本を閉じる。 「えへへ……すみません。この窓、日当りが良くてつい」 「……ハンガリー」 「すぐ止めます!」 オーストリアが眉を寄せると、ハンガリーは慌てて窓枠から飛び降りた。 ふわりとスカートが舞って、一瞬白い膝上があらわになる。 その姿もやはりオーストリアの苦言を呈するところだったが、軽く視線を逸らすだけで止めておいた。 「何を読んでいたんです?」 「この間、フランスが持ってきた中に入ってたんです。フランス人作家のって。オーストリアさん、まだ読んでませんでした?」 「ええまあ……。あの方の持ってくる本は出来るだけ処分するように心掛けていますので」 読み終わったから、と本を上の書棚に戻そうとするハンガリーを手伝って、背表紙を見る。 ピエール・ブール、猿の惑星。 「あはは」 笑い事ではないのだ、と屈託なく笑うハンガリーに気付かれないように、オーストリアは嘆息した。 今回のようなきちんとしたものならまだしも、フランスの薦めるものでオーストリアが最後まで読破し、この書庫に収めておける正統派の書籍など、数えるほどしかないことをハンガリーはあまり知らない。 文学全集以外持ってくるなと何度忠告したことか。 だからというわけでもないのだろうが、ここ最近フランスが本を土産に寄越すことはなかったので、オーストリアは、はて、と内心で訝しんだ。 ――先日ふらりと遊びに来たフランスが土産と言ってハンガリーに渡した紙袋。 彼女がそれを受け取って、チーズとワインが出されたが、まさかその中にこの本も入っていた……? 「……」 「どうしたんですか?」 嫌な予感がして、オーストリアは一度戻した本を取った。装丁に変わったところはない。 「ハンガリー。貴女に聞きたいことが」 「はい? 何ですか?」 きょとんとしたハンガリーが首を傾げる。 この違和感が、自分の早計であってほしいと願いながら適当なページに指をかけた。 「面白かったですか?」 「……えぇと」 何故か視線を泳がせたハンガリーに、オーストリアの嫌な予感がぐんぐんと高まる。 「これが映画になるって、すごいな、とは思いまし、た」 歯切れの悪いハンガリーの感想は、明らかに本来の小説のものとは違う気がして、オーストリアは一気にページを捲った。 ……パラ。 パラ、パラ、パラパララララ。 「……の、…………」 どこを見ても、フランスの悦びそうな単語が必ず見つかる文庫本を乱暴に閉じる。 どこが猿の惑星だ。 あの日、フランスがオーストリアにではなく、直接ハンガリーに袋を渡したことがそもそも計画だったのだ。 装丁だけで、中身があきらかな官能小説の様相を呈している事実に、オーストリアは怒りが一気に駆け上るのを感じて、わなわなと体を奮わせた。 にやにやと笑いながら、引っかかったーとでも言いそうなフランスの顔が浮かんで、沸点に到達。 ハンガリーが心配そうに見つめていたが、顔色が朱に染まるのを止められない。 「あの御馬鹿!!」 本がまるでフランスそのものだとでもいうかの剣幕で怒鳴りつけると、横にいたハンガリーが肩を竦める。 「オ、オーストリアさん? どうし……」 「ハンガリー!」 「ふぇっ? は、ハイッ!」 驚くハンガリーの両肩をがっしと掴んで、オーストリアは真っ赤な顔のまま、真剣な瞳で彼女を見つめた。 「金輪際あの方から、直接物を受け取ってはなりません! 預かるのも厳禁です」 「え? え?」 「それと! 明日、本当のピエールが書いた小説を渡しますから、そちらをお読みなさい。今読んだもののことは、記憶から一切消去すること! 分かりましたね!」 「え? 本当の……て、え?」 「分 か り ま し た ね ?」 「――はははははいっ」 まだ意味の掴めていないハンガリーは、オーストリアの剣幕に半泣きで頷いたのだった。 官能小説を真面目な顔で読み終えるようなハンガリーさん希望。 漢らしすぎる。 |