彼からの宣戦布告




いつもいつも、本当は。
バカだのアホだの暴力女だの、そんな言葉の応酬ばかりじゃなく、
目の前でころころと表情を変えるこの女に触れてみたかった。
シュレジェン返せ、とすごい剣幕で怒鳴られたとき、不覚にも胸が高鳴っていた。
同時に、こいつをここまで奮い立たせる理由を思い、焦燥と苛立ちが募っていた。

知らないだろう。 ハンガリー、おまえは。
そうして、ずっと。ずっとずっと。
俺の気持ちに気づかないまま、 鼻持ちならないくそったれ音楽バカのお坊ちゃんを見上げている。

いつまでも変わるはずのなかった、この騎馬民族のおてんば娘は、
恋をして、愛を知り、いつの間にか大人になった。

尊敬や思慕や恋情や何もかも。
どれだけ望んでも手に入らなかった、その全ての表情をヤツに向け、
繰り返されてきた歴史の中で、同様に繰り返されてきた繁栄と衰退を遠い昔の思い出にして、
もう二度と触れ合うことの出来ない俺を、会話の種にでもすればいい。

勘のいいおまえなら気づくんだろう。
あいつとの歴史に、俺が少なからず寄与していることを。
もちろん、それは拭えないことを。
無意識に俺を思うアイツを感じて、地団太でも踏めばいい。
はんっ、バーカバーカ! おまえなんか、大ッッッッッ嫌いだ、このクソ貴族野郎がっ!!!



    ***



「…………ふむ」
オーストリアは読み終えた殴り書きを静かにたたんだ。
読み掛けの本のページに、見つけたときと同じように閉じこむと、静かに机に戻す。
昨日不意に訪れたドイツがこの本を薦めたときに、何か意図があるのだろうとは感じていたが、 まさかこんなオマケが付いていたとは。彼女の名前以外に、固有名詞はどこにもなかったが、 そんなものはなくとも、これを認めた人物は容易に想像がつく。
いや、たとえ内容がなくとも、最初の一文字を目にしただけで、この筆跡だけで判断には困らない。

それほど長く共にいた。 共に在った、とは言えないが、共にいた。
狙われ、奪われ、いいようにコケにされて、または図らずも手を結んだことも。
それなのにオーストリアは彼女と共にまだここに在る。
上司を失い、土地をなくして、彼は紛れてしまったというのに。

「やはり、いやな人ですね、貴方は」
嫌味ではなく、すっと苦言が口を吐いて出た。
言われなくても分かっている。
彼女との歴史に、彼を省くなんて出来るわけがないことを。
おそらくこれを見つけたのがイギリスでも、フランスでも、遠く離れた日本でも、 いつかは自分に渡しただろう。体裁を失って尚、それだけの意義は失われずにここにある。
イタリアなら、思わず詩集にしようと言い出したかもしれない。

「……無理ですね。最後が思い切り私信ですし」
芸術性を貶めるだけ貶めた彼らしさに、思わずオーストリアは自嘲気味に口元を緩めた。
彼のこの捻た素直さに彼女が気づいていたら、あるいは。
もうすぐこの邸を訪れるはずの彼女を想い、自分へ向けられる絶対の信頼を想い、 オーストリアは静かに瞼を伏せる。けれどもこれを読んだ後では、浮かんでしまうのは決して自分に見せることのないツンとした彼女の表情で、軽く上向いて、たじろぐ彼を激しく言い負かしているハンガリーの横顔だった。

「最後の最後まで……本当に奇襲がお得意で」
思い出は消えず、消すことも出来ない。
オーストリアは、椅子に深く背を凭せかけ、今度ははっきりと皮肉を口にした。
玄関でチャイムの音がして、耳に馴染んだ足音が聞こえる。
彼女にとっても既に勝手知ったるこの家で、きちんとノックが三回聞こえた後で、 遠慮がちに部屋のドアは開かれた。

「オーストリアさ――」
「地団太なんて、絶対に踏んで差し上げませんよ」
「は? え? あの、オーストリアさん……? 寝惚けてます?」
椅子越しの突然の宣言に戸惑うハンガリーを手招きで呼び寄せて、腰掛けたままオーストリアは彼女の手を取った。 素直に握り返しながらも、戸惑ったような口調でハンガリーが問う。
「えっと、私起こしちゃいました?」
すまなそうに覗き込んできたハンガリーに、ええ、と答えて、オーストリアはその腕を軽く引いた。
小さな息を飲んで倒れこんできた彼女を受け止め、背中に回した手で柔らかい金の髪を梳く。
「起きました。ありがとうございます、ハンガリー」
耳元に囁いて、オーストリアはハンガリーを抱き締めたまま、 机上の本をじっと見つめた。




END


自分で書いててプーが不憫です。


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