Una fiesta



たまにはええやん、という旧友の誘いに乗って、この真夏日にスペインくんだりまで出かけたのは間違いだったと、オーストリアはひどく反省していた。
――暑さと喧騒。
それだけでも体力の消耗には十分だというのに、例に漏れず道に迷って散々だった。
スペインの携帯に連絡するも、後ろで聞こえる騒音とロマーノの興奮した絶叫で途中で切られる始末。
げんなりとして、ようやく見つけた日陰に身を潜めていたオーストリアを見つけてくれたのは、夏のスペイン観光に同行していたハンガリーだった。
これからが楽しいのにと渋るスペインを遠慮させてもらい、先に二人で宛がわれた客間に戻る。
部屋の空調は適温で、やっと人心地つけた気分だ。


「ピアノなくて残念ですね」
「たとえあっても、今は指が動いてくれない気がします……」
ソファに腰を並べて座るハンガリーが、ふふっと笑った。
部屋に戻ってすぐ、彼女が淹れてくれたコーヒーを飲む。
外はあんなに暑かったというのに、元の体温を取り戻した今は、湯気の出る熱いコーヒーがほどよく体に染み込み、落ち着きを取り戻してくれるから不思議だ。
しかしソーサーに置くと同時に出るのはやはり疲れたため息だった。
「お疲れですね」
「……ええまあ。ほぼ一日あの行軍につき合わされたのですからね。貴方は大丈夫ですか、ハンガリー」
「丈夫なのが取り柄ですから」
冗談めかして力瘤を作ってみせる彼女は、確かにけろりとしている。
せっかくの旅行だというのに、自分に付き合う形で観光を切り上げたのは本意ではなかっただろう。
「では、もう少し見ていたかったのでは?」
体力の無さを自覚して恥じながら、申し訳なさでそういうと、ハンガリーはきっぱりと否定した。
「いいえ。オーストリアさんと二人きりになりたかったので結果オーライですよ」
「……そう、ですか」
あまりに直球な返しをされて、コーヒーを飲んでいたらむせたかもしれない。
咳払いで誤魔化すと、ハンガリーは嬉しそうに笑って、オーストリアの肩に頭を乗せた。
彼女の柔らかい金髪が頬をくすぐる。甘えた仕草に心が安らぐ。
と、ハンガリーは急に体を起こすと、瞳を輝かせながらオーストリアを覗き込んできた。


「私、肩お揉みしましょうか」
「――いえ。気持ちだけで結構ですよ」
急に何を言い出すかと思えば。
名案とばかりに言われた言葉をやんわりと否定する。が、ハンガリーはそれならとぐっと顔を近づけた。
思わずオーストリアが顎を引く。
「足の方がいいですか?それとも腰とか」
「……その気持ちだけで」
おそらく自分の体調を気遣ってのことなのだろうが、まさか他人の家でそんなことまでさせられない。
もしもスペインに見られたら、ということより、むしろオーストリアが感謝をこめて、ハンガリーにしてやることのような気すらする。丁重に辞退するオーストリアに、ハンガリーは残念そうに身を引いて、しかし膝に置いた彼の手をきゅっと握ると真剣な眼差しを向けた。
「でも……じゃあ私に出来ることがあれば、何でも言ってくださいね!マッサージの他にも、あ、お風呂でお背中流すとか何でも!」
疲れているオーストリアのために、という気迫が伝わる。伝わるのだが、なんというか。
オーストリアは目を瞑ると、片手で軽く口を押さえた。
せっかくの気遣いも、過剰なスキンシップがあるとあらぬ方向に考えがいくというものだ。
「……ハンガリー。誘われてますか、私は」
「へ?……な、なななななんでそうなるんですかっ」
オーストリアの言葉に一瞬呆けて、次の瞬間ばっと彼から身を離したハンガリーは、頬を真っ赤に染めながら答えた。
やはりそんな気はさらさらないのだ。
わかってはいたが、そんな反応にオーストリアの嗜虐心が煽られた。


「貴方に上に乗られたり、まして浴室に二人きりなど、理性を保てる自信がありません」
「お疲れなんでしょう!?」
「そうですよ。しかし私も一応男ですので。ですからあまり過激な発言はお控えなさい」
「〜〜〜〜〜〜〜〜」
目だけで笑って見つめれば、しばらく口をパクパクさせたハンガリーが、こらえきれずに視線を外す。
せっかく隣に並んで座っていたのに、気がつけばソファの端まで逃げられていた。
それを残念に思いながら、温くなったコーヒーを飲み干す。
「そういえば、夜になるとバーが出るそうです。気温も少しはマシになるでしょうから、行きますか?」
「だっ」
おもむろに振った話題へ、ハンガリーが過剰に反応して声が上ずる。
「大丈夫ですか」
「だいっ、大丈夫です。いえあの、私じゃなくて、オーストリアさんが大丈夫ですか。夜でもやっぱり人は多いですし、余計お疲れになるんじゃ……」
「そうですね……」
ふむ、と思案してオーストリアはハンガリーに顔を向けた。
「ああ、ではハンガリー、ひとつお願いが」
「な、なんですか……?」
お願い、という言葉に警戒心まるだしのハンガリーが身を竦めるのに苦笑する。
「膝をお借りしてもよろしいですか?」
「膝?」
「ええ。今のうちに少し横になっておこうかと思いまして」
「――あ、ええ、もちろん」
言葉の意味を理解して、ハンガリーが居住まいを正した。スカートの皺を伸ばし、どうぞと笑う。


彼女の膝に頭を乗せてあお向けながら瞼を下した。
しばらくすると、ハンガリーの手が静かなリズムを刻むように、オーストリアの髪を好き始めた。
「……オーストリアさん?」
「はい?」
応えを返すと、もう寝入ったと思っていたのか、ハンガリーの手が一瞬驚いたように止まった。
が、すぐにまた再開する。
「ベッドじゃなくてよろしいんですか?」
体痛くないですか、と囁くように聞かれて、オーストリアは瞼を閉じたままで小さく首を振った。
「ええ。貴方さえ嫌でなければ、ですが」
「私はむしろ嬉しいです」
微笑しで答えたハンガリーの吐息が、オーストリアの耳に心地よく届く。
優しく労わるような手の動きが、ふと横に移動した。耳に髪を掛け直して、また撫でさしてくる。
「……まいりましたね」
「どうかしました?」
夢現の呟きを耳聡く拾ったハンガリーが、髪を撫でるハンガリーを探すように伸ばしたオーストリアの手を、もう一方の手で取って聞いた。
「貴方の手が気持ちよすぎます」
「……寝てくださいっ!」
心地良いまどろみに身を任せながら正直に答えたオーストリアに、ハンガリーが小さく怒鳴った。
くすくすと聞こえてくる笑い声にハンガリーがもうっと口を尖らせた時には、既に規則正しい寝息に取って代わっていた。本当に眠ってしまったようだ。ハンガリーはそっとため息をついた。


寝入り端の彼は、時々ひどく子供っぽい。
逆襲とばかりに、しかし起こさない程度に、子供をいなすように黒髪を弾いてやる。
ふと気づいて、つけっ放しの眼鏡を外すと、遮るもののなくなった端正な寝顔に、ハンガリーはもう一度小さく口を尖らせてから、苦笑した。
「……もう。可愛すぎですよオーストリアさん」
膝にかかる吐息を意味深に思わせる台詞だけ残された、私の身にもなってほしい。
スペインのバーは夜でもきっと賑やかだろう。
想像に頬を緩ませてオーストリアの髪を優しく撫でながら、ハンガリーもそっと自分の瞼を閉じた。



END


Una fiesta=祭り  
ハンガリーさんの前では寝惚けてわがままも可愛いといいよ貴族。

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