3.「いたいのいたいのとんでいけ」 格好良く颯爽と、見る者が息を飲むほど軽やかに地面に降り立ち、マントを翻して駆け出していく―― ――予定が、とんだことになってしまった。 ハンガリーは臍を噛む思いで頭をがっくりと落とした。 やはり出鼻を挫かれたのが大きかったのだ。 物語りのように壁面を這う蔦を伝って下りようにも、この大きな邸には蔦がなかった。 仕方なく自分に宛がわれた部屋の窓から見える一番近い木に飛び移ることにしたのは、今でも正解だったと思う。けれどももう少しだけ、よく考えて、ほんの少し先を読んでから、実行すべきだったかもしれない。 そうすれば、少なくとも今のこんな宙ぶらりんな状態にはなっていなかっただろうから。 「……どうしよう……」 地面に叩きつけられこそしなかったものの、蔦の代わりに細い木の枝に絡め取られ、手足も頬も擦り傷だらけだ。解こうとして暴れてみたが、足首がズキンと痛んで情けない気持ちになっただけだった。 あからさまな嘲笑の目を向けて通り過ぎていくオーストリア配下の視線に俯いて、ハンガリーはきゅっと唇を結ぶ。 ――と、落とした視界に影が入って、見上げると、端正な顔立ちをした青年がそこにいた。 「あ――」 やばい人に見つかってしまった。 「何をしているんです、ハンガリー」 いつでもきちんと正装して、凛とした雰囲気を身に纏うオーストリアが、眼鏡を中指で軽く上げる。呆れ口調で溜息を吐かれ、ハンガリーはぎゅっと目を瞑った。 (――み、見つかっちゃった。おこられるおこられる……っ!?) ついこの間も、こっそり夜中に抜け出そうとして叱られたことを思い出して、ハンガリーは木の蔦に絡まれて吊るされたままの身を硬くした。 「まったく……貴女という人は」 「――っ、……え」 てっきりこのまま一晩中でも吊るされるお仕置きかと思ったのだが、腹に絡んで苦しかった枝を難なく取られ、地面にゆっくりと下ろされて思わず驚いた声が出た。 「女性なんですから、もう少し慎みを持った行動をなさい」 ハンガリーの目線に屈んだオーストリアが、肩や髪に絡まった木の葉を払いながら、淡々と言う。 「この御馬鹿さんが。危ないでしょう。痕でも残る傷を負ったらどうするんです。何故こんな――……まあ逃げ出したかったということなんでしょうけど、それにしれもやり方というものがですね…………って、聞いてますかハンガリー?」 くどくどと正論ばかりを俯く頭に浴びせられ、ハンガリーの頭がどんどん下に向った。 そのままの状態で声を出したら、くぐもってきちんと言えないかもしれない。 「……って……、来てくれないから、です」 「来ない? どなたか御予定がありましたか?」 ぼそぼそと答えたハンガリーは、訝しげに思案するオーストリアへぷるぷると頭を振って否定した。 「囚われのお姫様のもとには、王子様が助けに来てくれるって――。……オーストリアさんの書庫にあった本に書いてありました」 「……それで?」 片膝をついてハンガリーの背丈に合わせたオーストリアは、真っ直ぐに彼女を見据えて、続く言葉を促した。その口調に、ハンガリーは一瞬叱られているのかもしれないと彼を伺い見たが、無言で先を問うオーストリアの視線に、おずおずと口を開いた。 「――でも、私の所には全然来てくれなかったんです。トルコでも、ここ、でも」 「それで、貴女は自分で王子様を迎えに行こうと、こんな危険なことをしてたんですか」 ふ、と息を吐いたオーストリアの気配を振り払うように、ハンガリーは顔を上げた。 「だって! 私だったら馬にも乗れるし、足も速いし、高い所も、狭い所も全然平気なんです! 王子様がここまで来れないんだったら私が……だから――!」 「ハンガリー」 耳に低いオーストリアの声音が聞こえて、ハンガリーはびくりと体を震わせた。 だがオーストリアは、彼女を叱り付けることはしなかった。 身を縮こませたハンガリーに苦笑を浮かべ、まだ服についていた木の葉を軽くはたく。最後の葉が落ちると、頬の擦れたあとを痛まないようにそっと触れる。 沈黙に落ちる優しいぬくもりに、ハンガリーの視界が滲み始めた。 「貴女の気持ちも分からないではありませんが、あまり無茶をするものではありませんよ」 「オーストリアさん……」 すみません、という言葉を。 あと一呼吸あれば、素直にそう言っていたかもしれない。 「第一、貴女は皇女殿下ではありませんし、茨の塔に幽閉されているわけでもありませんから、そんな御伽噺の王子様を夢見るのは無駄です」 「――なっ」 淡々と諭すオーストリアが突きつける現実に、頭をガツンと殴られた気分だ。 そんなこと言われなくても分かってる。けど、そんな言い方しなくたって――。 地面についた足の付け根がじんじんして、腫れてきたことを知らせる。先程とは別の意味で視界が滲みそうになった。 痛いのと悔しいのとで、ハンガリーはぎゅっと唇を引き結ぶとぎっとオーストリアを睨みつけた。 「――もういいです! すみませんでしたっ。今度は絶対オーストリアさんにバレないようにしますから――っ、へ、わ、きゃっ!?」 不意に膝裏を取られて、バランスの崩れたハンガリーは悲鳴をあげた。 何かにしがみつこうと手を伸ばしたら、オーストリアの首に腕が回ってしまう。慌てて上半身を離そうとしたが、意外にきちんと抱きかかえられていたせいで、ハンガリーは間近で微笑する彼に、瞠目するしか出来なかった。 「足を痛めたのでしょう? まったく……。早くお言いなさい」 なんで分かったんだろう。 恥ずかしくて俯くが、立ち上がって歩き始めているオーストリアが相手では逃げようがなかった。 「とりあえず、貴女の窮地に今は私がお迎えに上がりましたよ」 スモールレディ、と頭の上でくすりと笑った彼の言葉に、ずくずくと響き始めていた足の痛みが、急激に上昇する。胸の辺りがばくばくうるさくなってきた。 「その足では、しばらく無理はできないでしょうが……そうですね。今夜は大人しく私のピアノでも聴いて養生なさい」 「…………はい」 自分とオーストリアの関係では、選択権のない提案なのに、不思議と嫌な気はしないことに、ハンガリーは首を傾げて頷いた。 お題に沿ってない気がしてきました。 |