5.「悲しいんじゃない」 エリーザベトの結婚式は、盛大で、愛に満ちて、祝福されて――。 私は何故か花嫁の父の心境で、うっかりすると涙腺が緩んで大変だった。 *** 「どうぞ」 「わっ。――オーストリアさん」 昔の記憶の感慨に耽りながら、また薄ぼんやりと滲んでいた瞳に、良く冷えたハンカチが当てられて、私は驚いて顔を上げた。 その勢いで、昔、彼女の幸せを写した一枚の写真がソファに座る私の膝からこぼれ落ちる。 優雅な動作で拾い上げてくれた彼が、軽く眦を上げて私を見た。 「おめでたいことだったでしょう?」 「わかってます。彼女とっても幸せそうで、嬉しかったんですよね」 思い出の中で、不安はあるけどそれ以上に今は幸せ、と初めて見せる大人びた微笑を浮かべた彼女と目が合う。 こぼれるような幸せに、私の心はふるえていた。 「……これを見ている時の貴女は、いつも泣いてるように見えますが」 「涙ぐんじゃうだけですよ」 「…………」 わかりませんね、と眉間に寄せた皺が彼の心情を物語っていて、私はクスッと息をもらす。すると、そんな私の態度に馬鹿にされたと感じたのか、彼ははっきりと唇を引き結んでしまった。 「もー、オーストリアさんてば、拗ねないでくださいよー」 「拗ねてません。私は子供ではありませんよ」 視線を細めて見下ろされる。 その表情に、私は余計くすくすとこみ上げてくるものを堪えきれずに、肩を震わす。 「……ハンガリー」 不機嫌な表情もその声も。 昔はあんなに怖いと思ったこともあったのに。 今は同じそれが、どうしてこんなにも愛しいと思えてしまうのだろう。 「不思議ですね」 「……何がです?」 彼の手に触れていると自然、甘えた口調になった。それに呼応したように、オーストリアさんも少し声音が柔らかくなる。それも不思議。だって彼は、とても優しい人だけど、決して甘い人ではないから。 「うーん……例えば、嬉しいのに泣きそうになること、とか」 「涙は感情が昂ぶっても出るといいますから」 「そうなんですよね。友達の結婚式とか、素敵!おめでとー!幸せになってね!とか言ってると、いつの間にか感情が昂ぶっちゃったりして。――ふふ、私たちの時も実は泣きそうになってました」 初めてきちんと触れられて。壊れ物を扱うみたいな指先が微かに震えていたのを覚えている。 真剣な彼の視線が私を捉えて、そこに緊張と私に向けられる想いが見えた。だから余計に、私は胸の内で静かに高まっていた感情が、縋りつくわけにいかない神聖な儀式のさなか、瞼を震わせ熱い雫が毀れそうだったのだ。 気づいてましたか、と振り仰ぐと、オーストリアさんは何故か少し赤らめた顔を私から逸らすようにして、右手で口元をすっぽり覆ってしまっていた。 「オーストリアさん?」 「いえ、何でも」 「あるじゃないですか。何で目逸らすんです?」 「大したことではありません」 さっさと踵を返しそうになる彼の裾を、ソファから身を乗り出すようにして引っ張ると、珍しくはしたないと嗜めもしないオーストリアさんは、しかしまだ視線を合わせてはくれない。 「……」 「………」 「……辛いのかと、思っていたんです」 じっと横顔を窺っていると、観念したようにそうぼつりと零されて、私は理解できずに首を傾げた。 「辛い? 何がですか?」 そんな私に、苦笑とも取れる表情で、口角を皮肉げに歪ませると、オーストリアさんは続ける。 「上司の命令でもありましたからね。……キスの直前で涙ぐまれれば、不安にくらいなりますよ」 私を何だと思っているんです。 わざと素っ気無い口調で横を向いたままの彼の耳が赤い。 知らなかった。 私が、緊張と興奮で一人涙腺がパンクしそうになっていた時、彼がそんな不安を感じていたなんて。いつも飄々として落ち着いていて、むしろ私の方が彼の本意を気にしていたのだというのに。 くすぐったさが胸に溢れる。 プライドの高い彼はまた拗ねてしまうだろうと分かっているのに、私はくすくすと込み上げてくる笑いを堪えることが出来なかった。 「笑いますか」 憮然と睨むオーストリアさんは、少し怖いような気もするけれど。 それよりもっと違う何か――。 「――不思議です」 「何ですか急に」 くん、と掴んでいた袖を引っ張る指先に力を篭める。私は片眉を上げるオーストリアさんに、ソファの上に膝をついて近づいた。ふふ、と笑みがこぼれてしまう。 「今のオーストリアさんを可愛いと思えるのは、きっと世界で私だけですよね」 「……貴女一人で充分でしょう」 もう一度袖を引くと、やはりムッと寄せられた眉間のままで、けれど私の望んだとおり、まるで表情とは正反対のキスをくれる。 彼がこんな表情で、こんなキスをくれるのも、きっと世界で私だけ。 頬に添えられた彼の手に擦り寄って、息を吐く。 「……やっぱり私、今でもオーストリアさんに触れられると泣きそうになります」 「おや。そのようですね」 昂ぶらせてしまいましたか、なんて知った顔でよく言う。 目を開けると、ようやく眉間の皺が消えた彼が、私の髪を撫でてくれる。 滅多になく甘やかされてる充足感で満たされて、もう一度瞳を閉じると、私は眦にじんわりとこみ上げてくる幸せな熱を感じて、くすくすと肩を揺らした。 |