「なー、ロイ?」
「なんだ」
「何が悲しくて野郎と二人、こんな時間に酒飲んでなきゃなんねーんだ?」
「いっぺん死んでこい」


 管を巻く

香るブランデーも静かに流れるクラシックも、当然彼らの間に甘いムードを醸し出すには役不足だったようだ。パチンという微かな摩擦音とともに、小さな焔がヒューズの目前で踊る。

「うわっちぃっ!いきなり何しやがる!この人間チャッカマン!!」
「黙れ、モミアゲ!こんな時間にいきなり呼び出しといて、それはこっちの台詞だ、馬鹿者がっ!」

突然の出来事に盛大に驚いたヒューズがグラスを倒す。
それを見ていたマスターが、二人の怒鳴り合いを制すでもなく、カウンター越しに布巾を渡した。
受け取り片手を上げて礼を言うヒューズの横で、ロイもすまない、と手を上げる。
時刻は遅いが、酒場としてはこれからの時間。だがここにはロイとヒューズの他に客はいない。

いたら流石のロイも、酒場で安易に発火布は出さない。
ここが二人の旧知の店で、管を巻くヒューズのためにマスターが表にclosedを掲げていることを知っているからこそ出来る行為だ。軍人はただでさえ嫌われるというのに、さらに国家錬金術師という輪をかけて嫌われる要因をむざむざ披露するほどおめでたくはない。

「お前が『サビシイ…』なんて気色の悪いことを受話器越しで言うから、来てやったというのに!あー、思い出しただけでも身の毛のよだつっ!」

「仕方ないだろー。グレイシアが急に友達の相談受けることになっちまったんだからよー。ったく、『あなたとの約束も大切だけどその子のことも心配なの』なんて、真剣な顔で言われてみろよ。抱きしめてキスして『行っといで』以外に言えねぇぞ?ていうか、いや〜マジでいいねぇ!女性からも好かれてるときたもんだ!」
「人類之皆ライバルだな」
「あんな美人で優しくて、同性にも人気者が俺の奥さんになるんだぞ!いやもうまったくイイ女だよな〜、ロイ。そう思うだろ」
「はいはい」
「てめぇっ、グレイシアを狙ってやがったのか!親友の女にまで触手伸ばすな、この色情狂!」
「色……っ!?うおっ、本気で狙うな、この酔っ払いが!!」


ロイの返答に据わった目でゆらりと立ち上がるヒューズの手には、いつの間にかダガーナイフが握られていた。
酔っ払い相手に本気で反論するのも馬鹿らしく、もうどうにでもしてくれと諸手を上げて天を仰ぐ。


事の起こりは約30分前――――
一本の電話から始まった。
ここのところ忙しかった業務がようやく一段落し、久々の定時上がりに嬉々として家に帰っていたのだが、そこへヒューズからの何とも間の悪い電話。
無視を決め込んだロイに代わって、受話器を手にしたのは本日お持ち帰りに成功した美女が一人。


「貴方の大切なヒトが貴方恋しさに耐えられないようですよ」 と。


他の女?まさか、とは思いつつも慌てて受話器を持ってしまったのが運の尽き。
既にイイ感じに酔いの回った親友の戯言よりも、その後の彼女の顔の方がよっぽど心臓に悪い。
ヒューズに呼び出されたことで、そのまま一緒にドアに向かう彼女をかろうじて家の中に押し留めることに成功し、絶対に帰るから、とだけ念を押した。

――ああくそ。

めったに見せない緩やかに弧を描く唇を思い出してグラスを煽る。
今更ながら、慌てて電話に出た自分の行動が悪すぎる。
あの笑顔は心臓に悪い。
そして更に、どう考えても最後のあの台詞はおかしいだろう。



――絶対に帰るからっ!



………相手はこのヒューズだぞ?
丸一晩付き合ってどうする、自分。帰るに決まってるじゃないか。
なのにあれじゃあ、まるで『浮気はしても最後に戻る場所は君さ☆』的発言だ。
はぁ、と思わず溜息が零れる。


「お?どうしたロイ。辛気臭い顔すんなよなー。酒飲め酒!」
「お前が言うな」


話題は相も変わらず、どれほど婚約者が素晴らしいかの一言に尽きる。
そんな会話(というにはあまりに一方的な語り)に、良かったなと相槌を打ち、ロイは軽く眉間によった皺を伸ばした。せめてもの救いは、電話の時点でこの惚気大魔人のような友人が既に出来上がっていたことくらいか。

最初に受話器を取ったのが彼女だ何て知れたら、ヒューズが何を言い出すか分かったもんじゃない。こんな時間に。しかも自宅に。彼女がいるなんて知れたら――
根掘り葉掘り聞かれるのは絶対ごめんだ。
注がれたグラスに口をつける。


「――そういえば」
「なんだ!」


思い出したように手を打って、ヒューズがロイの肩をガシッと掴む。
身近で感じる酒気に僅か顔をしかめながらロイは応えた。


「最初に受話器取ったのリザちゃん?」

ブッ!

「何でそこで彼女が出てくる!?ていうかお前と会話したのは俺だろう!」


思わず飲みかけたブランデーを吹き出してしまった。
絶対そうだ。そうのはずだ。
受話器を持ってた彼女は一言もしゃべらず、ロイにそれを渡したのだから。
ヒューズはロイが出たと思ってるはずだ。なのに、何故。


「いや、なんかさー、お前に話してるっぽい声が聞こえたんだけど」
「酔っ払いの幻聴だろう」
「リザちゃんの声に似てたから、もしかしてなーと思ってな?」
「だから幻聴だ」
「お前さんが自宅に女いれるなんて聞いたことないから、一瞬耳疑ったんだけどさ」
「幻聴だと言っている!ていうか聞け!人の話を!」
「お前絶対女家に入れないタイプだろ。自分のテリトリーを無駄に誇示するタイプ」
「黙れ。帰れ。寝ろ」
「デートの相手とはどうせアレだろ?ホテルかその辺」
「そのへ……んなわけあるか!ホテルか自宅だ!」
「女の、だろ。でもまさかお前が自宅に女連れ込む日が来るとはなー」
「勝手に肯定するな。聞けよ、話を」


やっと話がかみ合ったかと思えば、また一人で納得顔で頷き始める。
どうすれば女の話から引き離せるかと思案に暮れて、散々聞かされているヒューズの婚約者に話題の変換を試みる。


「そろそろグレイシアも相談終わ」
「リザちゃんならアリか?とか思ってよ」

が、見事玉砕。


「――っだからヒューズ!」
「リザちゃん家にいるの?」


あー、もう。
頼むから早くここから帰らせてくれ。
ニヤニヤと笑顔で問い掛ける友人に、酔いなんてとっくの昔に覚めていることに気がついても後の祭り。家で彼女が待っているんだ、と素直に言えば開放してくれるだろうかと、アルコールの回った頭で考え始めてしまった。
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