「たまには俺らと残業デートしましょうや」

……そうブレダが言ったのはいつだったか。
そもそもあの時ハクロ将軍が大人しく尊い犠牲になってくれてさえいれば、本当に上の椅子が一つ空いたのにな、とわざとらしく零せば

「東部の最高責任者として、せっかく空いた席が遠ざかりましたよ」
との律儀な答え。
いや、別に冗談なんだけど。
というか、あんな小物いようがいまいが関係ないし。

「あら。将軍の片思いですね」

君ね……
そういうことはもっと冗談めかして言うもんであって、そんな真顔で言うもんじゃないよ。


 残業デート

「……私は君の何だね」
「あなたは私の上官ですが」

低音で吐き出された男の言葉に、しかしリザは間髪いれずに事実を告げた。
ボケるにはまだ早すぎますよ、との突っ込みも忘れずに。
それに男、ロイ・マスタングはあからさまに眉根を寄せる。

「では聞くがね。上官である私が、何故部下である君に休憩時間を却下されねばならんのだ」
「“書類が終わっていませんね”と言っただけです」

やはり間髪いれずに答えるリザは、机上にある書類を捲り、ペンをすすめた。
二人きりの執務室に、カリカリと筆記の音だけが響く。

「……話をするときくらい、書類から目を上げてもいいんじゃないのか?」

一向に視線がかみ合わないことに、苛つきを含んだ声音でロイは小さく苦言を呈す。
自分の机上にある未処理の書類は、どう考えても30分もあれば終わる量だ。
こうして残業になったのは、ひとえにロイが昼間彼女の目を盗んでサボった所為とはいえ、今まで比較的真面目にこなしている。

一息入れないか、と言ったロイの言葉に、何もそこまで冷たい反応を返すことは無いではないか。
執務中のリザのこの反応が、常と何ら変わるものでないことくらい、分かってはいる。
分かってはいる、が、面白くない。
そう思ってしまうのは、『今この部屋には自分とリザの二人しかいない状況なのに』と考えてしまうからに他ならないのだが。
事の発端は自分にあることを頭のすみに追いやり、目前の書類を取ると、ロイはわざと大きく音を鳴らして椅子に座り直し、作業にかかった。

「あなたは書類から目を離しすぎです」

溜息混じりに漸く書類から顔を上げたリザが、ロイに目をやるが視線は合わない。
かわりに乱暴に書類を捲る音が延々と響く。
その態度に思わず溜息をつきそうになった。

「比較的真面目に取り組んでる方だと思っていたんだがね」

やはり書類に視線を落としたままで、出た言葉はコレ。
まったく、いい歳をして何を拗ねているのか、この男は。
第一この場合怒るべくは私だろう、というのをどうにか抑え、処理済の書類を受け取りに、ロイの執務机へ向かう。

「昼間からそうして下されば……というか真面目に取り組むのが当たり前です」
「私は夜型人間なんだよ」

いけしゃあしゃあとこの男は。
まるでかみ合わない視線のままで、終えた書類をリザに手渡す。
出された書類を受け取ろうとして、止めた。

「いつも生き生きしてますもんね」
「それはどういう意――」

やっと顔を上げたロイの視線は、やはりリザと交わることはなく――――
言いかけたロイの言葉を掠め取り、すぐさま去っていく熱に、一瞬呆けて手にした書類を落としかけた。それを絶妙のタイミングで、今しがた熱を宿した張本人が奪い取る。

「リザ!」
「執務中ですよ、大佐」
やはり視線は外したままで。

「まだ真夜中ではありませんけど、もう少し残業デート頑張ってくださいね」
書類を机に置き、コーヒーお持ちします、と執務室のドアにリザの手がかかる。
その言葉に、ロイは口の端を持ち上げて、

「出来れば残業後デートの方が良いのだがね」
返事がない事を見越したロイの発言に、だがリザは動きを止めて小さく答える。
「それは大佐次第でしょう?」
しかし視線はかみ合わないまま。
彼女の背中に語りかける。
「……それは了承と受け取っても?」
今度こそ、
そのまま行ってしまうかと思った瞬間――



「大佐次第ですよ」



まったく君は。
そこで笑うのは反則なんだよ。
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