≪pm 6:13 ―― Roy Mustang≫

馬鹿丁寧に踵を揃えて敬礼をする門番に軽く労いの言葉をかけて、ロイは東方司令部を後にした。
業務は滞りなく終えたのだが、待ち合わせの時間には少し遅れてしまうかもしれない。
事前に仕事があるからと伝えてあるので大丈夫だという確信はあるが、一応花束くらい買っとくか。
昨日視察中に見つけた新しい花屋は、小さくてかわいらしい花がありますね、とリザが言っていたのを思い出した。
あそこにするか。

女性はこういうさり気ないフォローに弱い。
ロイは多くの経験からそう結論付けているし、別段それは苦ではない。
そんなつまらないことのお礼とばかりに、一夜を共に終えるだけの話だ。
 
つまらない気遣いにくだらない夜。

なんて理に適った等価交換なんだろう!


 彼氏女の事情

≪pm 6:17 ―― Riza Hawkeye≫
今日はこれからデートがあるのに、と文句を言いつつ処理を進めていくロイに「奇遇ですね」と言ったのが10分前。
若干本来の終業時間を過ぎてはいたが、それを見越した待ち合わせだったので時間はさほど気にしていなかった。
しかしリザよりも時間を気にしていたらしいロイが、「女性の方が仕度に手間取るだろう」と手近にいたハボックを代わりにつけてしまったため、思いがけず時間が余ってしまった。
 
ロッカールームで私服に着替え髪を下ろすと、余った時間でいつもより濃い目に化粧を施す。
とはいえ、いつも薄化粧なリザがいきなりド派手なメイクにするはずもなく、リップに色をつけた程度ではあったのだが。 

門番の敬礼に丁寧な敬礼で返して、さてこれからどうしたものかと考える。
どうせいつものように残業する羽目になるのだからと思い決めた待ち合わせまで、時間がありすぎる。だからといって家に帰るのは億劫だった。
ここからそんなに距離はないのだから、帰宅自体はどうということもない。
ただ一度帰ってしまえば、それからわざわざ出掛けるというのが億劫なのだ。

仕方がないので、街中を一人ぶらつくことに決めた。
そういえば、視察の最中にロイが見つけた花屋があった。
開店したばかりだと店の主人が言っていたか。
小さくシンプルだけど素朴な華やかさのあるフラワーアレンジがたくさんあった。
あまりゴテゴテ飾り立てるのが好きではないリザにとって、久し振りに見つけた好みの店だった。
時間つぶしに寄らせてもらおう。





≪pm 6:25 ―― R&R≫
取り立てて急ぐこともないと思ったが、一応早足で件の花屋へ急ぐ。
角を曲がれば見えてきた色とりどりの花たちの前で、見覚えのある顔を見つけ、ロイは歩調を緩めた。
――今日はデートなんじゃなかったのか?
自分より少し早めに切り上げさせた部下を確認し、考える。
 
ついさきほど執務室で交わした会話を反芻した。
彼女は「奇遇ですね」と返していた。
だから残り少ない残務処理をハボックに変更したのだ。
それがなぜここにいるのか。
辺りを見回すが、男の影はなさそうだった。

「ホークアイ中尉」
「……大佐?」

突然呼ばれて、リザはしゃがみ込んで花を愛でていた顔を上げた。
一拍置いて疑問形になったのは、仕事を終えたロイとこんなところで会うはずがないと思っていたからでもあるし、例え会ったとしても、デート中の男が他の女に声をかけるのはどうかと疑問に思ったからでもある。
――デートなんじゃなかったのかしら?
遅刻するではないか、と文句をたれていた上官の顔を思い出す。
しかし隣にも後ろにも、ましてや下にも、彼女と思しき人影は見えない。

「どうしたんですか。こんなところで」
「それはこちらの台詞だな。デートじゃなかったのか?」

同じことを思っていたのか。
純粋な疑問として問われたであろう言葉に、リザは何故か軽い苛つきが去来するのを不思議に感じたが、時間を持て余している所為だ、と自分を納得させた。
時間があるのに、苛つくなんてどうかしてるわ。

「待ち合わせまで手持ち無沙汰だったもので。大佐は?」
「遅刻の言い訳に花を買いに」

リザの返答に何故かムッときて、多少突き放したような口調になった。
ロイはその声音に自分で驚いたが、せっかく時間をやったのに余計な世話を焼かれたように言われたことが、面白くないのだと納得した。
そもそも頼まれたわけではないのだから、この苛つきはお門違いだ。

だが男の為に口紅をひく時間として有効に使われたらしいことを確認して、ロイの苛つきはムカつきに変わった。
ロイが与えた時間で付けられたその色は、今宵違う男に与えられる。
……なんだ?俺には関係ないぞ?

「花を買われるんですか?」
「そうだが」
「これから彼女のご自宅に?」
「オペラハウスで待ち合わせだ。…何か?」

そんなこと聞く権利も答える義務も互いにないのだが、淡々と会話は続く。
言いながら、ロイは店先へ出てきた店員に簡単な花束を作るように依頼した。
まだ幼さの残る若い店員はロイとリザの関係を取り違えたのか、「カワイイのを作りますね」と何故だか笑顔でリザに言ったが、どちらも訂正はしなかった。

「いえ、別に」
「別にって事はないだろう。含みがあるな。言いたまえ」
「大した事ではないんです」
「構わんよ。私が気になる」

リザが歯切れの悪い会話をすることはあまりない。
いつも明瞭的確な発言を好む彼女だからか、やけに続きが気にかかった。

「……出かけた先で花束を貰うと扱いに困らないものなのか、と思いまして」
「…………」

それは深い意味があったわけでは当然なく、単にリザが疑問に思うことだった。
小説でも現実でも、男がプレゼントを送る時はあまり『これから』を考えないのだろうか。
ロイがなかなか返答をしないことに、リザは、これから恋人に花を買うという男性に対して、あまりいい質問ではなかったと反省した。
それにそんなこと、私が気にすることじゃないわ。

「失礼しました。余計なことを…どうかお気になさらないで下さい」
「ああ、いや」

そんなことを言われたのは初めてだった。
生真面目に発言を訂正してきたリザの顔を見て、ロイはふむと考える。
女性は男からの贈り物には無条件で喜ぶものだと思っていたのだが、リザは違うのだろうか。
少なくともロイの付き合っている女性たちは、演技ではなく喜んでいる。
まるで物によって愛情の深さが知れるとでもいうように。
彼女は違うとでもいうのだろうか。

「君は…恋人に花を貰ったことは?」
「ありますよ」
「嬉しくなかったのかね」
「待ち合わせ場所に花束を持ってこられても扱いに困りました……私は」

最後につけられた主語は、おそらくリザなりに最大限の考慮をした結果だろう。
小さな花束を持ってきた店員に礼を言ってそれを受け取り、釣りはいいよと札を渡した。
またすとんと店先に座って花を愛ではじめたリザに苦笑して、ロイもその場にしゃがみ込む。

「なんですか」
「では君とのデートには、花束は不要だな。気をつけるよ」

目線を合わせて言われた言葉に、無性に腹が立った。
ロイとは一度もデートなんてしていない。
戯れに誘われたことはあったけど、そんなのお互いに本気でしようなんて思っていないことだ。
第一これから恋人とデートをする男が、軽々しく他の女を誘う言葉を吐くのは大層いけ好かない。
誘える女性は他にいくらでもいるくせに、と思うとやけに胸がムカムカする。

「何の話です。しませんよ、デートなんて」
「つれないな。いいじゃないか、デートくらい」
「恋人のいる方の言う台詞ですか」

確かにこれから他の女とデートに行くはずの男が言う台詞ではないのかもしれない。
だがリザの台詞も変だろう。
それを言うなら「恋人のいる女に言う台詞じゃないでしょう」が正しいと思う。
貞操感覚が薄いのか?
 
それに「デートくらい」といった言葉には無頓着なのもおかしい。
彼女自身「デートなんて」と言っているからお互い様か。
どちらにせよ、これからデートする男がいるくせに、まるで自分はしませんというような彼女に腹が立つ。

「生憎恋人はいないんでね」

遊びだよ、と言うとリザはあからさまに眉根を寄せた。彼女の潔癖なところは嫌いではなかったが、自分に向けられる嫌悪にはあまりいい印象を抱けない。

「余計お断りさせて頂きます」

臆面もなく最低な台詞を吐くこの男が、何故女性にもてるのだろう。
上辺だけの甘い言葉に騙されている本日のデート相手に、リザは激しく同情した。

「大佐。くだらないことはいいですから。それより行かなくてよろしいんですか?」
「――おや、完全に遅刻だな」
「私もそろそろ行きます」

懐中時計を見てわざとらしく息をつき、ロイは漸く腰を上げると、そう言ったリザの手を取って軽く引っ張る。勢いをつけて立ち上がる格好になってしまったリザが、軽くよろめいたのを支えてやった。

「途中まで一緒に行くか?」
「ご冗談を」

軽口のつもりで言ったみたら、笑いもせずに返された。
すぐに手を振り払い視線を合わせず「では」と歩き出したリザに、何故だか無性に腹が立ってその背に向かって呼びかけた。

「――中尉!」

呼ばれて怪訝な視線を返したリザに、歩み寄りながら言う。

「やっぱり今度デートしよう」
「お断りしま」
「君が恋人と別れたら」

言いかけた言葉すら遮って一方的にロイが言う。
そのままリザを追い越してオペラハウスに向かうであろうロイに、呆れた視線を投げかけた。

「……何ですかそれは」
「遊びじゃなく」
「勝手なことを言わないで下さ」
「花束は持っていかないよ。ああ、自宅へならいいんだったか」
「そんなこと言って」
「ああ、君も時間いいのか?」

再三途中で遮られた台詞よりも、返された言葉に慌てて時計を見ると、結構な時間になっていた。
リザは不本意ながら、そのまま途中まで小走りで一緒に駆けていき、大通りの中心で二手に分かれた。





≪pm 10:36 ―― Roy Mustang≫
仕事で遅れたと謝って、謝罪のしるしに小さな花束を差し出せば、女は笑顔で受け取った。
ありがとう、嬉しいわ、ロイ。
腕を絡ませ満面の笑顔でキスをせがむ女に、軽く頬にキスを落とすとオペラハウスへと恭しくエスコートした。
ほらやはりなんてことはない。
女は何の抵抗もなく受け取り、喜び、媚をふっている。
ほら何の変哲もない。

なのにリザの台詞がちらついて、オペラ鑑賞よりも女の膝に置かれた花束の行く末が気になって仕方なかった。

劇場を出てディナーをして、そのままホテルで汗を流す。
当たり前のデートコースになだれ込むつもりだったが、今日はおそらく女を抱いていても
花束のことばかり気になる気がした。
馬鹿らしい。
何でこんなに気にかかるんだ。

「何を考えているの?」
「……花束のことを」
「うそ。私を見て?」

しなを作って絡まる女の語尾を上げた発音が鼻につく。
萎れないように洗面所に水を張って、送り主であるロイが潤いを補給させている間もせわしなく女の手が ロイの体を弄る。
女はやっかいなことに独占欲が強くなってきているのかもしれない。
私を見て。私だけを見て。私だけを愛して。
 
女を高みへと導きながら、やけに冷めた欲望をぶつけてやった。
そんなことで女の嬌声が一段と大きく跳ね上がる。
どうせホテルから出るときに、女は花の存在など忘れ去っているのだろう。
変な確信を抱いて、ロイは深く女を突き上げた。

終わりにしよう。

自分の体の上で果てた女を抱きしめながら、ロイは何度目かしれない結論を出した。





≪pm 10:52 ―― Riza Hawkeye≫
まただ――
自分の手の内にある大振りな色とりどりの花束に、リザは内心溜息を零した。
これから始まるデートコースはほぼ徒歩での移動だというのに、これを持ち歩かねばならない煩わしさを、どうして男は解そうとしないのか。
 
自分が持つわけではないから何も感じないのか、それとも。
自分が渡した物を抱えている女を見ると、優越感でも戴けるのか。
どちらにせよ勝手な行為だとリザは思う。
 
リザは花が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。
花束を贈られるのも悪い気はしない。ただ時と場合を考えろ、と思うのだ。
久し振りのデート。久し振りのディナー。
そうなればこの後やることはひとつ。
その間このかわいそうな花束を救済する手立てはなきに等しい。

ホテルの洗面所に水を張って、彼らに潤いを補給する間を与えてくれるような気の回る男なら、そもそもデート最中花束を持って歩かせるかという疑問は正しい。
そういえば、ロイの持っていった花たちはどういう末路をたどるのだろう。
部屋につくなり性急に求められながら、そんなことを考えた。

同じようにしたとして、ロイなら花束をどうするのだろう。
リザが花に水をやる時間をくれるだろうか。
変なところで神経質な上司だから、下手をすると自分でやろうとするかもしれない。

「リザ、何考えてる?」
「……花束のことを」
「嘘つけ。俺を見ろ」

ああ、何か違う。
この男は確かに私の恋人だけど、この口調はいけ好かないわ。
弄られ、体は反応を示しながら、心の奥底が否定する。
 
やはり男にとって花束は、一種の独占欲と単なる征服感を満たす為だけのエゴに過ぎない――
久し振りで高まった熱を突き立てられて、勝手に鳴き続ける咽喉をどこか冷めた気分で聞いていた。
 
限界だわ。

自分の上で果てた男の背に手を回しながら、リザは床に散らばる切花を見つめた。





≪Another Day 〜 pm 2:47 ―― R&R≫
執務室には書類を捲る音、そしてペンの走る音。
いつもと何も変わらない日常。
午前中に適度に脱走を繰り返しては、その度にリザに見つかって銀の銃口を突きつけられた。
さすがに午前中脱走を繰り返すと、午後の業務に差支えが出る。
そうして現在、ロイは自分のつけの代償を払わされていた。
 
自業自得なのだが不機嫌な顔で書類を睨みつけているロイに、脱走しないようにと執務室に詰めていたリザが 溜息をつく。

「大佐、休憩しませんか」
「やっとお許しが出たか。お茶を頼むよ、中尉」

今までの渋面はどこへやら。
喜色満面の表情を浮かべたロイに苦笑しつつ、リザは紅茶を淹れてきた。
 
「まだありますからね。今日はこれ以上サボらないで下さいよ」
「私がサボると君も残業になるしな」

ふふんと鳴らされた鼻に「そうですね」と答えると、ロイは紅茶を一口啜って ごく小さい声で呟くように言った。

「プライベートの時間を削って、君の恋人に恨まれたらかなわん」
「その心配はありませんが残業は避けて頂きたいですね」

自分の分の紅茶を飲みつつ答えたリザに、ロイが何故と問いかける。

「大佐のように残業がお好きな方はあまりいないと思いますが」
「私だって嫌いだよ。君がやらせるんじゃないか。それより。
 ――君の恋人はずいぶん出来た人間だな」

――彼女の関係はずいぶん完成されているものだ。
そう思うと自然苛つき、嫌味を含んだ口調になった。
恋人が仕事優先だと破綻する、という話は良く聞く。
ロイと女達との関係と違い、リザと名も知らぬ男との付き合いが遊びでないなら、
互いにさぞかし不満が募るはずだろうに。
 
「別れましたから」

なんでこんな事を教えているのか自分でも疑問に思いながら、リザはサラリと理由を告げた。
だから恨まれる心配はありません。
ロイの瞳が驚きに瞬いてリザを見つめた。
それを受けて、何故と問われる前にそちらの理由も付け足す事を忘れない。

「花束を持ってきたもので」
「…………難しいな君は」

自分でもどうかと思う理由に呆れられるかと思ったが、ロイは眉間に皺を寄せて唸っていた。
何か悩ませるような事を言っただろうか。
飲み終えたティーカップをソーサーに戻して考える。
――と、不意にロイが顔を上げた。

「ではデートをしよう」
「お断りします」

意味が分からない。
即断したリザに、しかしロイは憮然と言い返してきた。

「言っただろう。恋人と別れたらデートをすると」
「言ってませんよ、そんなこと。勝手に決めないで下さい」

自分には女がいるくせに、男がいないと知れた途端に他の女を誘うのはどういう神経だ。
女性への配慮は欠かさないんだと豪語するロイが、自分に接する時だけは配慮のはの字すら感じさせない事に、自然声音も冷たくなる。
ロイが紅茶を飲み終えた事を確認してからトレーを持って近づくと、つれないなと嘆かれた。
視線をやれば諸手を上げて降参のポーズ。

「なら食事に行こう。今夜」

ロイの台詞に、リザは片しかけていた手を止めた。
鋭い視線もなんのその。
いつもはついでに銃弾のオプションがついている事を考えれば、今のリザの視線は可愛いものだ。
ロイは呆れ顔で自分を見つめるリザの手が再びティーカップに移行する前に、その手を重ねた。
否、重ねるというより極々軽く触れるといった程度。

「花束ナシで」

そう言えばリザの手がピクリと反応を示し、ロイの下からすり抜けようと試みる。
それを反射的に掴み、答えを促す。
怒り出すかと思ったが、意外にもリザは困惑を瞳に宿したまま黙ってロイに掴まれていた。
思ったよりも華奢な手と滅多に見られないその表情に、ロイの胸が小さく疼く。

断られたらどうしよう。
ここまで有体に誘って振られたとあっては、かなり矜持に傷がつくじゃないか。
ガラにもなく真剣に女を口説いているようだと内心で焦りながら、ロイはリザの返事を待った。




「…………サボらないで下さいね」

重ねられたままの手をどうしたものかと困惑の表情を浮かべれば、「花束ナシ」の台詞。
からかわれてる。
そう思ってすり抜けさせようとした手は、強い力で阻まれた。
睨みつけるつもりでロイの顔を見たら、どこか縋るような熱い視線とかち合ってしまった。

見ていられない。
こんな視線の彼は知らない。
高鳴る鼓動を押さえ込み、不自然ではない程度に視線をそらした。
それだけ言うと、意外と簡単に手が離される。

リザは片付けてきます、と告げてソーサーをトレーに移した。
片手でドアを抑え、廊下に出ようとしたところで、後ろからロイが扉を支えたことに気づく。
いつの間に……
音もなく背後に回られ、訝しみながらも礼を述べる。
と、やおら姿勢を低くしてリザの耳元で囁くようにロイが言った。

「口紅」
「はい?」
「今日は直さなくていい」


それには答えず、失礼しますと礼をして、リザは給湯室へと向かった。
今夜は思い切り濃くしてやろうと心に決めて。
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