――――きみ、結婚しないか。 「誰とですか」 彼女は眉間にくっきりと皺を寄せて睨みつけた。 「そういった嫌味はセクハラに該当するかと」 「違う。私と結婚しないか、という意味だ」 「大佐と?」 一瞬呆けた表情を見せて、それから一気に皺が深くなる。 死刑宣告を受ける囚人の気持ちだ。 果たして被疑者に肯定する間も与えずに、美しい判事は冷酷な結論を下した。 「――馬鹿なことを」 一世一代の告白はこうしてあっさりと幕を引いた。 プロポーズ 鈍いニブイ鈍すぎる。 あの時の事を思い出すと、いつも溜息を吐かずに入られない。 それも口から洩れるという程度の軽いものではなく、臓物や生気が根元から解放を求めて彼の口から出て行こうとしているのではないかと思われるほどの深いものが、だ。 好きだ、とは何度も言っている。それはもう呆れるくらい。 言えば彼女はいつだって「ハイハイ」とか「そうですか」とか返答を返すのだが。 これではいけないヤバイと思って、たまに真面目に伝える時は大抵そのまま情事に流れ込んでしまうときなので、彼女の中ではそういった気分を高揚させるための甘言だという認識らしい。 だからといって、こういう関係になって久しい男の口から出た言葉なのだから少しは驚くとか、照れるとか……はあまり期待はしてなかったが、とにかく表情の変化が眉間に皺を寄せる以外の他にもあってよかったんじゃないかと思うのだ。 第一端から自分を対象外としているところも腑に落ちない。 リザが安易に男に身体を開くような女ではないことは、ロイ自身良く知っている。 その彼女が一切の感情もなしに、ロイと一夜を共にしたりするのだろうか。 身体だけの関係だと、リザは思っているのか。 そうだとしたらこのままこの山のような書類に突っ伏してしまいそうだ。 事実そんなことを悶々と考えている時点で、既に突っ伏すまで秒読み段階の姿勢なのだ。 「どうされました?」 不意にかかった声に、必要以上に跳ね上がる鼓動を悟られぬように、ロイは鷹揚に顔を上げた。 目に映ったのはトレーにコーヒーを1つ、それに焼き菓子をのせてこちらを見ているリザ。 休憩を承諾した証だ。 わざと自分から地雷に足を乗せてみる。 「断られたプロポーズを思い出していた」 怖いもの見たさというには少々自虐的だな、と思う。 「あら。大佐が振られるなんて珍しいですね」 「振った張本人がよくいう」 案の定こちらの気持ちをすっ飛ばした感想を述べるリザの手からコーヒーを受け取り、一口啜って焼き菓子に手を伸ばした。ロイの台詞にリザは分からないと小首を傾げる。 「された覚えはありませんが」 「……あるだろう」 「いいえ」 ちょっとまて。 私のあれは、彼女の記憶に残らぬほどの告白か。 あまりに断定的な物言いをするリザに険のある目で睨みつけた。 「結婚しないか、といったら君は馬鹿なことをいうなと答えた」 自分の声音が意外に子供じみた不機嫌さに彩られているのを感じて情けなくなる。 だがリザは暫く逡巡するように書類をチェックする手を止め、ああ、と言った。 「そんな事思い出してたんですか」 心底くだらないといった目つきでロイを見ると溜息を吐いた。 「何がいけなかったと思ってね」 「全てじゃないですか?」 「君は少し語彙を増やした方がいいと思うがね」 取り付くしまもない、とはまさにこのこと。 全てにダメ出しを出されてはどうしようもないではないか。 「プロポーズは貴方にとって、ベッドに誘うように簡単にいう言葉ですか」 それをいうなら食事に誘うように、だろう。 ロイの指示どおりリザの語彙は増加したが、使用方法に若干の難がある。 それにロイがそんなに簡単にリザを誘っているように見えていたのか、ということも実はショックだったりしている。確かに数多の女に慣れてはいるが、ロイ自身信じられないくらい、リザにはいつまでたっても慣れることがないというのに。 「結構本気だったんだがね」 「ならばなおさらバカなことを」 「理由を聞いても?」 「……私は大佐と結婚する気はありませんから」 「でも寝るのはいいのか。君意外に節操ナシだな」 「貴方にだけは言われたくなかったですね」 なんだかこれでは不毛な応酬だ。 本気の台詞を飄々と言えてしまう自分が悲しい。 まるで割り切った付き合いを楽しむ大人の恋愛ごっこのようだ。不毛だ。不満だ。ありえない。 そんな段階はとっくにすっ飛ばしているつもりなのに、だ。 「最近気づいたんだが私は純情で奥手だ」 だからこうして一度は彼女の愛すべきマシンガンで木っ端微塵に朽ち果てた欠片を拾い集めて、虎視眈々と狙いを定めるような青春ボーイのようなことをしている。 「笑い所ですか」 「君ね」 至極真面目に突っ込まれ、さすがに眉間に皺がよる。 本気で仰られたのなら重症ですよ、とリザに言われ、重症なんだ、と鼻で嗤った。 しかしリザとて本気で遊びだと思っているわけではないだろう。 遊びにしてはスリルがありすぎるのだ、二人の関係は。 適度な冒険心は経験と度胸を与えてくれるが、度を過ぎた好奇心は身を滅ぼす。 そんなくだらないことで自分の副官に手を伸ばすほどロイは青くはないし、リザも愚かではない。 「他に好きな男でも?」 「……そうですね」 いつもならこの辺りで終わるロイの追従が思いのほか長く続いて、リザは書類を揃えて机に置いた。 散々好き放題に食い散らかしているくせに、今更他の男もないだろうと思う。 そんな暇与えてくれるつもりは毛頭ないくせによく言う。 しかもこの男結構本気で不機嫌だ。アホらしい。 「そいつからのプロポーズなら受けるのか?」 「してくだされば」 「君が相手ならするだろうさ」 「だといいのですが」 「私ならする。君は断り続けるのだろうがね。所詮全てがダメだと言われた男だからな私は」 「たいさ」 アホだバカだマヌケだ。 はっはっは、とどこか不遜な態度でふんぞり返るロイに視線を向け、リザは頬がひくつくのを必死で抑えた。 この上司はもうどうしようもなくワガママでお子様で、そしてこのうえなくカワイラシイ。 三十路前の男がこれではかなり引くものがあるにもかかわらず、そんな男から離れる気が毛頭ない自分の頭の構造に、これでもかというほど嫌気がさす。 が、この男のこんなところを愚鈍で無能でかわいらしいと感じてしまってる時点でどうしようもない。 少し甘さを含んだ声で呼びかけると、その色を敏感に察してロイがリザを見上げる。 その表情に少し驚きが混じっている。 職場でリザからこんな声で呼ばれるなんて滅多にないどころの話じゃない。 まったくない。てんでない。 すぐさまいつもリザがそうするように無表情をつくり、巧く隠したつもりだったのだが、リザには呆けた男の姿がしっかりと目に焼き付いてしまったようだ。 微かに口角を柔らかにあげ、しかしロイがするよりはるかに徹底した怜悧な表情を身に纏う。 「『大佐』とはしたくありません」 「……そう何度もだな」 「『准将』ともしたくありません」 「……何?」 「『大将』でもイヤです」 「それは」 今までの表情がウソのように、きれいに口角を持ち上げて、リザが微笑う。 「未来の席は空いていますか」 その台詞に。その表情に。 情けないことに一瞬言葉が出てこなかった。 これはまさにアレだなんだソレだホラ。 「君晩婚でもいい?」 ちょっと涙が出そうかもしれない。 また溜息を零されるのを覚悟しながら伺えば、予想に反して困惑した顔。 「なるべくお早くお願いします」 「善処する」 |