折角の休日に彼女の愛犬を連れ、のんびりとした午後の日差しの中、セントラルパークでゆったりとした時間を過ごしていたかったのに。


 PerforMance.

少し先で可愛らしい少年少女が大きく手を振る。
振り返って何度も何度も。
その度にリザも笑って手を振り返す。
何度も何度も。
すぐ隣で自分より背の高い男も、いつもと変わらない柔和な笑みを顔に浮かべて、彼らに向かって手を振り返す。そしてふぅ、と息をつく。

「……大佐」
「なんだね」

半眼で睨み付けると何食わぬ顔で、ロイはリザの方を向き直る。
しかし、

「その顔やめて下さい。気持ち悪い」
「きも…」

リザの台詞にロイの顔が明らかに引きつった。
そしてすぐさま不機嫌面に豹変する。

「そちらの方がいいですよ」
「不機嫌な男が好みかね」
「鬱陶しいですけど」
「……君ね」

スタスタとベンチに向かうリザの後を追いながら、ロイは嘆息した。
まったくなんていう日だ、今日は!
荷物持ちでも何でもするから、とわざわざリザの休みに合わせデートに誘ったというのに。


――荷物持ちはいいですから、ハヤテ号の散歩に付き合って下さいませんか?


ショッピングはなしで愛犬の散歩ついでのデート。
それもまあ悪くない。
休日に二人でのんびり愛犬の散歩だなんて、恋人同士というより若夫婦みたいじゃな いかとほくそ笑んでいたのだが。
公園に着くなり二人でいると感じられたのは、今が初めてなんじゃないかとロイは思 う。

「いやにモテるね、君は」
「光栄ですね」
「嫌味だよ」
「知ってますよ」

リザの隣に腰掛けて、傍らで大人しく待機しているブラックハヤテ号の前足だけを持 ち上げた。
その様子を片肘をついて眺めるリザに、よりいっそう不機嫌な気分になる。
モテすぎだ。大人気だ。いくら年端もいかない子供だからとて、犬連れの女なんてセントラルパークじゃ珍し くもないというのに。

「あんなに愛想良くしてる君を初めて見たな。上層部のパーティー以来か?」
「子供相手ですよ。あなただって随分笑顔振りまいていたじゃないですか……特に幼 い少女に」

ほんとに見境ないんですから、というリザの顔には先程見られた笑顔はない。
呆れたような表情さえない。
え?なんですか?何でそんなに真剣なんですか。

「念の為お聞きしますが、ロリータコンプレックスというのをご存知ですか?」
「凄い誤解だよ、リザちゃん」

涙が出てくる。
軽く目頭を押さえたロイに、「冗談ですよ」とやっと柔らかい声音で返された。
横目で盗み見ればそれに見合った優しい笑顔。
不意打ちな表情に照れ隠しを、と愛犬の頭をわしわし撫でれば嫌がられてしまった。

「あらあら……ハヤテ号、遊んでらっしゃい」

助けを求めるように鼻を鳴らした彼の首からリードを外すと、きちんとリザの目の届 く範囲で自由を満喫するのが、いかにもブラックハヤテ号、といったところか。
目を細めて見ているロイに、リザが小さく声をかけた。


「あの……ロイ?」
「…………………………はい?」


珍しい!
少し躊躇いがちな呼びかけに、上目遣いのその視線はなんて貴重だ!

おまけに私服で、彼女は髪を下ろしてて、自分も私服で、休日にベンチで二人。
こんなおいしいシチュエーションでファーストネームを彼女から!
なるべく平静を装った声で問いかければ、さらに躊躇いがちに口をあける。
リザの視線が一度中央にそびえる大時計に向けられて紡ぎだされた台詞は――


「まだ、あの指輪、持ってますか」
「……当然だろう。まさか私が捨てるとでも?」
「今も?」
「持ってるさ」
女々しいとは思うけど。

苦笑して取り出したのは自分の指には小さすぎるシルバーリング。
以前彼女にプロポーズしてあっさり却下されたものだけど。
「大きい方を頂いても?」といって、あきらかに指のサイズが違うそれを彼女はかすめとっていったのだ。微妙に逸らされた返答は、とりあえず保留だとロイは解釈している。
自分に残された小さなリングを常に持ち歩くだなんて、情けないし言うつもりはなかったのに、条件反射で答えてしまった。

「実は私も持ってます」
「今?」
「ええ、ここに」

言ってするりと項に手をやり、銀のチェーンを外して見せる。
そこに光るのは紛れもなく、ロイのサイズに合わせたシンプルなリング。
滑るような動作でチェーンから外し、おもむろにロイの手を取ると左手の薬指にはめ込んだ。
次いでロイの手から小さなそれを受け取る。

「リ、リザ?」
「すみません。付き合って下さい」

いや全然むしろオッケーな感じなんですけど。
瞠目している間に、それをロイと同じように自分の薬指にはめ込んで、リザは心底申し訳なさそうな顔をする。というかリザちゃん。自分は既にお付き合いしているという自覚があったんですが?
リザの言葉の意味はつかめず、だが初めてつけたそれがやけにしっくりと互いの手に馴染んでいる気がして、上手く言葉が出てこない。

「どうせなら君へは私が入れたかったな……」

ぽそりとそんな言葉が口を出た。
なんだかいまいちシマラナイ。
ふと身を寄せてきたリザの肩に手を置くと、あり得ないほどの従順さでロイにもたれかかってきた。
視線が合えば柔らかに笑う。

一体どういう心境の変化ですか、リザちゃん!?
もしかしてこのままここでキスしても全く問題ナッシング!?

顔を近づければゆっくりと閉じられる瞳に、信じられない気もするが、
とりあえずはしちゃってから聞いても問題はないと解釈して、ロイは頬に手を置き上向かせて軽く唇を――――……





「――リザさん?」

不意にかかった男の声に、リザがぴくっと反応を示した。
すぐさまロイから逃れようとするのを押さえ、わざと音を出して口付ける。
軽いキスではあったけれど、ここまで迫って、さらにプライベートで、ましてや他の男の声でだなんて、未遂で終わる気はサラサラなかった。

そんなロイの行動に一瞬驚いたように目を開き、だがすぐにキレイな笑顔でロイに微笑む。
――やっぱりおかしい。
『付き合って下さい』は、これから始まるこの茶番にか。
常と違うリザに危うく翻弄されすぎてしまうところだった。
今しがた、まさに二人の邪魔をするべくといった絶妙なタイミングで声をかけてきた男に向き直る。

「どなたかな、リザ?」
「……あら」

まるで今気づきました、とでもいうようなリザの態度にロイは内心で感心した。
伊達に内偵調査をこなしてないな。

そんなリザの様子にも、男は人好きのする笑顔で丁寧に挨拶を返す。
愛犬の散歩で何度もリザを見かけ、少し話をするようになったとかなんとか。
じゃあなんで今その愛犬を連れていないんだ、と突っ込みたくなるのを抑え、差し出された男の右手を見る。

「あなたはリザさんの……?」
「夫です。妻がいつもお世話に」

にこやかな笑顔で左手を差し出す。
これ見よがしに光るリングが、男の視線を瞬間とらえたのをロイは見逃さなかった。
離された手をさらにリザの左手の上へ。
自然追うように彼の視線も彼女の左手へ。

「結婚されてたんですか……いつもはしてませんでしたよね」

やはり、か。
暗にリングをさしてくる台詞に、ロイは内心で舌打ちをする。
面白くない。

「ええ、」
「交換してるんです。いつも互いを傍で感じられるように」

仕事がお互い忙しいものでね、と付け足して苦笑した。
リザに同意を求めることも忘れずに。
少しだけ恥らったような表情で頷き、幸せそうな笑顔でロイのリングをなぞるリザの演技に乾杯だ。
ロイ自身騙されそうになってしまう。

「……じゃあ僕は久し振りの夫婦水入らずにはお邪魔かな」

分かっているなら早く行け。さっさと行け。今すぐ行け。
「そんなこと…」と社交辞令でも言い出しそうなリザの笑顔に、思い切り不機嫌全開 な表情を隠しもせず、リザの肩を抱き寄せると、ロイは男を睨めつけた。

「ロイったら…」

ごめんなさいね、と微笑むリザに男は「それじゃあ」と爽やかな笑顔で答えたが、逸らされた視線に落胆と嫉妬の色が移ろいでいたのをロイは確かに認めた。





「オスカー女優も真っ青だな」
「やりすぎです。顔から火が出るかと思いました。」

男の姿が完全に見えなくなってから。
抱いた肩もそのままにロイがいえば、欠片も思ってないような声でリザも言う。
先程までの甘やかさが嘘のようなリザの声音。
抱いたままの格好では彼女の表情まで見ることはできなかったが、笑顔でないことは確かだろう。

「離して下さいませんか」
「もう少し」
「大佐」
「君に協力したんだぞ。ご褒美くらい貰う権利はある」
「先払いしたじゃないですか」

さっきキスしたでしょう、と言いながら、ロイの左手のリングをなぞった。
その仕草にはどきりとさせられる。
リザの細い指先がロイの指を取って、リングを優しく抜き取り始めた。
抜かれてしまえばまた元通り。

「いつからあの男に?」
「さあ…セントラルへ来てすぐ、かもしれませんね」
「…………もっと早くに言いたまえ」
「すぐ飽きると思ったんですよ」

リザに飽きる?そんなわけがないだろう。
あの男には一種の同情心さえ芽生えてくる。
彼女の無自覚とはかくも罪深いものなのだ。

彼女の言動にはいつも心底疲れる。
ロイは盛大なため息を吐いて、少しだけ第二間接で苦戦して抜き取られるそれに名残惜しさを感じた。やっとで彼女を解放する。
ロイの指から抜き取ったリングを再びチェーンに通してから、リザは自分の指からも躊躇うことなくそれを抜き取りロイに返した。

「君の夫役を仰せつかって感激したよ」
「たまには妻役も悪くないですね」
「言うね」

受け取ったリングにキスを落とせば、ふっと笑顔が向けられる。

「ところで、やっぱり受け取ってはもらえないのかね」

リザの目の前でそれを翳して見せるが、どうせ答えはノーだろう。
あなたと結婚する気はありません、とかその笑顔で言われるのもかなり傷つくなと頭の隅で考えた。
しかしリザは、

「当然です。だって今言ったじゃないですか」
「何を?」

首にかけた大きいリングを取ると、ロイの持つリングにこつんと合わせて、ふと笑う。




「離れていても、傍であなたを感じるように」




でしょう?といつもはロイの専売特許となっている悪戯心をその瞳に移ろわせ、戻ってきた愛犬を撫でてやるリザに苦笑を禁じえない。

なんて最高のプロポーズ。
ああもう、リザちゃん!まったく君には敵いません!
いまさら全てがパフォーマンスだっただなんて言ったとしても、認めてなんかやるものか。

まして無自覚だとでもいうのなら、それは最高の罪だと教えてやるしかない。


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