愛しているわけじゃない。
でも本気で彼が悪いわけではないとわかっているからこそ、
いっそ自分勝手な激しい憎悪でもって滅茶苦茶にしてやりたくなるのだ。
それによって彼が傷つくわけがないことくらい百も承知。
けれどそんなものは関係ない。


 NIC!!

「……満足か?」
「……まさか」


厳しい副官の管理下にいるおかげで、仕事中においそれとロイに手出しは出来ない。
だから休憩時間なり、逃走中の彼を捕獲するなりして、こうしたコトに及ぶのだ。
それは大抵の場合ロイにとって不意打ちであるはずなのに、何故かしてやられた気分に陥ってしまうのはやはり経験の差とでもいうのだろうか。愛もクソもない、ただせめて取り乱す姿でも見れたらと思い、いつもの行為を繰り返してはいつもの態度に無性に腹が立つ。


「お前な…不満ならするな。欲求不満なら他当たれ」
「俺の欲しい反応返さないから不満です」
「なんだ、喘いで欲しいのか」
「気色悪ィ…」


うげ、と至近距離で舌を出してみせれば、下からアッパーが飛んできた。
暴力反対。
こんな台詞で殴るんなら、唇に噛み付いたときに殴ればいいのに。
それとか背後から忍び寄ってる時。
気付かれてることくらいはすぐに気付く。
ロイを見つけ足音を消して忍び寄り、長身を利用して覆い被さるようにして噛み付く。


その間、気配を敏感に察しているロイからは少しの緊張、そしてすぐさま呆れ。
抵抗もしないが受け入れもしない。
そういう態度が余計ハボックを苛立たせると分かっているのだとしたら、最悪だ。
あまりに抵抗をしないので、ときたまロイが壁に強か後頭部を打ち付けたり、ハボックが勢い余って押し倒してしまったりで、余計最悪だ。
「キスするな」とは言わないくせに、「頭が痛い」「背中が痛い」と剣呑な目つきで怒鳴られるのはどうにも理不尽でやるせない。


「平気なんスか」
「何が」
「俺とこんなことして」
「こんなこと?」
「キス」
「ああ、ちゅうね」
「…ちゅう…」


言い方ひとつでこんなにも違いを感じる言葉もあるのだろうか。
苛立ちを通り越して、もの凄い脱力感がハボックを襲う。
いつもいつも、いっそ焼き尽くしてくれればいいのに、と他力本願な願いをこめて忍び寄るハボックの思いは、ロイにとっては所詮「ちゅう」レベルの話だということか。
それくらいどうということもないと、唇を拭いもしない目の前の上官にいっそ涙すら溢れそうだ。
仮にも男が男の唇奪われて、同性愛者でないのなら嫌悪の情が浮かんでもいいはずなのに。

――まあ俺も人のこと言えないけど。


「俺はお子様ですか」
「子供のちゅうを咎めるほど私は子供じゃないんでね。
 それにアレだ――おまえがしたいのは私じゃないだろう」


大人をなめるな。
前屈みになっていたハボックの頭を乱暴に撫でて、ロイは小馬鹿にした顔で嗤った。
なんで知ってるんだこの上司。
ロイの台詞にますます泣きたい気持ちに拍車がかかる。
これでも随分本気にされてもおかしくないほど熱の篭ったキスをしてきたつもりだったのだが、ハボックの気持ちなどお見通しということか。


「いつから?」
「最初から。おまえが私の唇を強請る理由に気付かないとでも思っていたのか?」
「…………マジっスか」


ヤバイ。カッコ悪すぎる。
どうにも出来ない想いをロイへとあてつけていたことが、そんなに前からバレてたなんて。
そこまで知っててハボックを突き放さないロイはやはり最低最悪だ、と今更ながら痛感させられた。
一気に奈落の底へ突き落とされたような気分を味わいながら、反面それならそれでいっそのこともっと味わわせてくれという狂暴な欲望が頭をもたげる。
両極の葛藤に苛まれ、勝手に両手はロイの頬へ。


「――おい、ハボ…ッ」
「せめてもう一回」
「おまえな……」


初めて見せた少しの躊躇いに、ハボックはにやりと内心で口角が上がるのを感じた。
その余裕を少しでも蹴散らせ。
あと少し。



「ハボック少尉」
「…………うぃっス」


後頭部にごりり、と冷たく固い感触を感じて、ハボックは出しかけの舌を引っ込めた。
ロイを拘束していた両手も上にあげて振り返る。
そこにいたのはいつも通り無表情の秀麗な彼女。


「探して捕獲、とは言ったけど、見つけて襲え、といった覚えはないのだけれど」
「すんません」
「今日はキスだけ?」
「いや。いつもちゅうだけだよ、中尉」
「ちゅう?」


何が違うのとでも言いたげなリザに、男二人は苦笑を禁じえない。
いいところで密かな楽しみを奪われて、それでもこの表情を拝めたのは悪くないとハボックは思った。リザが先にロイを見つければ起こらないハボックのこの行為に終止符を打つのはいつもリザだ。
抵抗されていないんだから、コイビトタチの密かな楽しみ、とでも考えてくれれば良さそうなものだが、リザはいつも愛銃で冷たく切りつける。


「私にキスはできないんだよ」
「キス?」
「本当はこうしたいんだよ、彼は」
「たい……ッ」


ハボックの後頭部に押し付けられた銃口を素早く逸らし、ロイは空いてる手でリザの腰を取った。
そのまま立ち位置を反転させる。
抗議の声はロイの喉が嚥下する。
ハボックの目にも明らかに流れるような動作でリザを壁に追いやり、足の間に自分の膝を割り込ませ抵抗を押さえつけた。胸を押し返す細い腕を取り頭上で一抱えにして、ロイはリザを上向かせる。


真横でまざまざと見せ付けられる行為に、ハボックは頭がひどく痺れてくるのを感じていた。
開いたロイの口唇から赤い弾力性のある肉がぬるりとリザの口腔へと犯していく。
粘着性のある液体がそのまわりをコーティングしている事実に眩暈がしそうだ。
えづきながら徐々にそれを受け入れ、スムーズでいて執拗な愛撫を受け入れていく彼女の動きがやたら淫猥で、ハボックを爆発しそうな気分にさせた。
ゆるりとロイの唇が名残惜しそうにリザの口唇を舐めとり離れるときには、たったそれだけの行為でロイのそれをいつでも受け入れ可能にされた半開きの紅い唇が映った。
くそったれ。


「ハボックは君にぞっこんだからな」


ぬけぬけと言って、リザの両手に自由を与えながらロイが嗤う。
その腕をさすりながら、上気し潤んだ目があからさまな抗議の色を湛え睨めつけていた。


「貴方に、の間違いでしょう」
「分かってないな。なあ、ハボック?」
「……アンタ、最悪」


同意を求められても、喉の奥から絞り出すようにして出てきた言葉は辛うじてそれだけ。


「ホントは今したいだろう、ちゅう」
「マジで最悪だわ、アンタ」


『今したいだろう』?
その通り!
彼女の残滓が残るその唇を貪りたい。
薄めの唇に残りてらりと妖艶に光る唾液に自分のを絡ませ吸い上げ、滅茶苦茶にしたい。
だけど今、アンタは絶対させないでしょう?
出来ないって分かってて、やらせるつもりもサラサラなくて、よくもそんなことを抜け抜けと言ってくれるもんだ。


「二人とも、くだらないこといってないで早く仕事に戻って下さい」


台詞だけは凛とした響きを放つリザの口元は、薄いルージュが乱れて濡れている。
親指の腹で軽くなぞっていたロイが、そうだなとリザを促した。
資料室を後にする二人に遅れないよう、慌ててハボックも長身を翻す。
変に息の荒い中尉の吐息がすれ違いざま、感じられた。



ああ。
その唇に触れた大佐の唇は、数分前に俺が奪った唇だって知ってますか、中尉。

せめてせめて。
直に触れることが叶わないなら、他人の唇を借りてでも触れてみたい。
中尉が触れた後の大佐の唇は微かに甘い気がするんです。
誤解されようがなんだろうが、当分やめられそうにありません。

それを承知の上で俺に唇を貸す大佐は優しさというナイフで俺の心を引き裂いて楽しむサディストですが、それを承知で毎回強請ってしまう俺は狼の皮を被ったかなりのマゾヒストなのかもしれません。

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