retty ear

滅多にない純粋な仕事の打ち合わせの為にロイがリザの部屋を訪ねたのが事の発端だった。
突然の訪問に驚愕しながらも、ロイの真剣な表情にすぐに顔を引き締め中へと招く。
中央へ移ってからロイがリザのうちへ来ることは目に見えて減っていたから、変に緊張している自分がおかしかった。ほとんど全権を任されていた東部とは違う。
勤務体系も仕事内容も微妙に、だが確実に違っていた。同僚の顔も名前も一気に増えた。

だからじゃないが、仕事の話とはいえこうして完全に二人きりになるのはもう随分なかったように思う。話というより、むしろリザの意見を時折交えロイが一人合点しているといった何とも奇妙な打ち合わせではあったが。

「――かと存じますが」
「……ああそうか。じゃあこっちはああしなきゃダメだな。ならアレはこうして、これは…このままでいいか…うん」

ロイが漸く「出来た」と呟いたのは、リザが冷めかけの紅茶を3度目に取り替えようと席を立った時だった。ロイの頭の中でいったいどういった作戦が完成したのか、詳細はまだ分からない。
いつもどこで練っているのか不明だけれど完璧な論理と作戦は、一見非論理的に見えるこうしたリザとの会話とも呼べない会話の中で構築されていくのだと、昔ロイが言っていた。

――君といるとイメージが膨らむんだ。何故だと思う?

あまりに理解不能な独り言をロイの斜め後ろで聞いていたリザが、邪魔なのだろうと納得して踵を返しかけた時、突然「分かった!」と大声を張り上げたロイが振り向きざまに言った台詞だった。
何故だなんてリザの方が教えて欲しい。
揶揄するでもなくただ何故なのかを追及するロイの視線は科学者のそれで、いつもの気障な台詞で愛を囁かれるのの数億倍心臓が跳ね上がったことを覚えている。

「どうぞ」
「ああ、ありがとう。……あれ、さっきのでも良かったのに」
「冷め切ってましたから。美味しくないですよ」
「……そうだったかな」

そんなに時間経ってるか?と問うロイに苦笑して、リザも紅茶を一口啜った。
学者というのは皆こういうものなのだろうか。
思索に耽ると時間の概念が急速に弱まる。
確かめてみたいが国家錬金術師に代表される学者など、リザの周りにはロイをおいて他にいない。
どこかの筋肉少佐や鋼の兄弟もいるにはいるが、比較対照できるほど親しいわけでもない。
リザは下心なしの学者然としたロイのことは純粋に好きだった。
ロイがロイ自身の関心を思索する姿は見ていて飽きない。

「……どうかしたか?」
「――え?あ、いえ……え?」
「中尉?」

不意打ちだった。
また何かに没頭し始めたと思っていた。
だから眉間に皺を寄せてリザの入れ替えた紅茶を飲むロイを、胸に抱えたクッションに顎を預けてぼーっと見ていることが出来たのに。まさか気付かれていたなんて。

「……どうした?」

あからさまにどもってしまったリザの頬にロイが手を伸ばす。
まともに顔が見れなくて、思わずクッションに顔を押し付けその手を避けた。
しばらく行き場を無くして近くを彷徨っていたロイの手が離れていく空気に、漸くリザが視線だけをクッションの隙間から覗かせると、ロイが不安げに自分を見ていることに気付いた。
所在なげな手はティーカップを持ち、何かを言いたげな口に運ばれる。
ロイは何も悪くないのだ。今日の彼は全くのジェントルマンなのだ。
だから余計に――

「――びっくりしました」
「……そんな急に触れようとしたか……?」
「貴方があまりにもかっこ良くて」

 ――――ブッ!

「ああ、大佐汚いです!」

いきなりロイの口から吹き出された淹れたての紅茶がテーブルに揺れた。
ロイの肌蹴たシャツにも飛沫が吸い込まれて色が変わる。
肌に染み込む液体の熱さに、ロイも慌てて胸を抑えた。

「ダメです、染みになりますから……何してるんですかもう」

咳き込みシャツを擦るロイの手を制して、濡れ布巾で軽く叩くように染み抜きをしながらリザは溜息を零した。すぐだから汚れはきっと落ちるだろう。
けれども念入りに処置をするに越したことはない。今のうちに洗濯して替えを渡すべきだろうか。
いやしかしそれほどでは……
シャツを掴み真剣に叩くリザの口がブツブツ言っている。

「ちょっ…ま、タンマ、リザちゃん!もういいって」
「何言ってるんですか、もう少しですから大人しく…」
「ほんともういいから!お願い、やめて下さい。頼むから」
「大佐?」

染み抜きの所為で下から覗き込んだリザの顔を避けるようにロイの視線が逸らされた。
片手でリザの肩を押しのけ、もう片一方は自分の顔を覆うように当て空を仰ぐ。

「シャツ……脱ぎます?」
「――――あー……もう、君、ホント……」
「?着替え持ってきますね――って、大佐!」

また独り言の再来か。
そう思って立ち上がりかけたリザの腕を勢いよく引っ張って、未だ少し紅茶の香るシャツに押し付けた。突然のことに為す術なく抱きしめられてリザが抗議の声をあげるが、ロイの耳には届いていないようだった。

「いや分かってる。全然その気じゃなかったこととかもうイヤってくらい知ってる……んだけども……
これは…って、何だ?いや別に今日は本当に真面目に仕事したし、ここへも真面目な目的で来たし、なのにだって仕方ないじゃないか!――ああもう、」
「ちょ、大佐、苦しいんですけど」
「仕事しようと思って来たし、それで仕事ちゃんと終わったし。
下心は全然なかった、とか言わないけど……いや!なかったし!なのになんで今こんななってるんだ?って絶対、」
「だから大佐苦しいですってば……」
「君が誘うから!」
「さ!?誘ってません!!」

何言い出すんだいったい。
突き飛ばす勢いで両腕を突っ張ったつもりが、ロイの腕に締め付けられてびくともしなかった。
変わりに余計強まった腕で本当に圧迫死するかと思ったが、その前に片手が解かれ髪をめちゃくちゃに掻き回されてしまった。本当に何がしたいのかわからない。
先程までの学者は既に影も形も消え失せているらしい。

「何するんですか、もう!」
「理性を保ってる!」
「――――……は?」

大々的に宣言されてしまっては、もう「は?」以外に何を言えというのか。
ぎゅうぎゅうと思い切り抱きしめておいてどこが「理性を保ってる」?
どうせなら気付かれないよう紳士的に保って欲しい。
しかしリザの願い虚しくロイは耳元で苛立たしげに溜息をつくと、再び抱きしめ首筋に顔を埋めて唸る。

「煽ること言わないでくれ」
「煽ってなんかいません。馬鹿言わないで下さい」
「煽ったじゃないか!」
「煽ってませんって!」

ロイの黒髪が頬に当たってくすぐったい。
撫で付けたくなるのをそれこそ理性で押さえつけ、リザはロイのシャツを握りしめた。
微かに濡れた部分が指に触れる。
染みになっても知るものか。

「私はただ、普段見せない真面目な顔で仕事に没頭してる貴方がカッコいいと言っただけです!」
「だから!そういうことを普段言わない君が言うから、私の理性が飛ぶんじゃないか!悪循環なんだって気付きたまえ!」
「なんですかそれ!まるで私が悪いみたいじゃないですか!それは貴方の勝手な言い分でしょう!」
「絶対違う!いいか?私が真面目に仕事をしたら君がじっと見た挙句そんな可愛いことを言う!そしたら私の理性がもたない!もつはずがない!人が一生懸命断腸の想いで距離を取れば脱げとか言うし!!これで抱かれても君文句言えないからな!てか抱くぞ!ダメだ!理性なし!もういい!抱く!!」
「何を勝手な――……って、え?ちょ、ま、」
「抱く!言った!」
「ちょっと大佐……っ」
「――――リザちゃん!」

ソファに押し付けられて、肩口に唇を押し付けられて。
酔った勢いとかその場の勢いとかよく聞くけども、じゃあこれは何の勢いだと自問する時間すらなく、ダン、と仰向けに寝かされたリザの両脇に手を叩きつけるようにして、ロイがリザの名前を呼んだ。
突然の呼称に返事をすることすら忘れて、ロイを見やる。
また何か自問自答でも繰り返す気か――
暫く無言でリザを睨みつけていたロイがずるずると力なくリザの胸に顔を埋める。

「…………大佐?」

いつも行動が読めない人だとは思っていたけれど、まさかここまでとは。
ことを進めるでもないロイの髪に指を梳き入れ、ロイの名前を呼んでみる。
ふと、ロイがゆるゆると顔をあげた。

「抱かせて下さい。お願いします」
「…………」

吹き出してしまうかと思った。

あんなに強引に迫っておいて、今の今。
どうしてそこで弱気になってるんですか貴方は。
さっきまであんなにかっこよく見えて、不覚にもドキドキしてしまったのが馬鹿みたいです。
だから思わず言ってしまった。

「有言不実行はキライです」

もう一度自分の関心ごとに没頭する貴方にドキドキしたかったから。
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