Halloween Party 「どうしてこんな格好をする必要があるんですか」 「軍部主催の仮装パーティーだからだよ、中尉」 思い切り不快そうに顰められた眉頭を指先で揉み解してやりながらにこやかに答えれば、更に深まる眉間の皺。ロイが出席することで半ば強制的に護衛の任を兼ねて同伴することになったリザに与えられた仮装衣装に、彼女の不快指数はいやでも上昇している。 軍人だからとて、何も世間のイベントに全く関心がないわけでは勿論ない。 特に年若い軍人達にとっては、日頃の訓練同様に全てを抑圧すべきではないことも知っている。 それを推しての計らいとやらで、こうしたパーティーが開かれたという経緯にも納得はいく。 ただその発案者がロイで、しかも仮装が条件ということにリザは眩暈を覚えているだけなのだ。 「それは知っています」 分かります、ではなく、知っています。 理解はしているが認めたくないというリザの固い意思表示に、ロイは苦笑を浮かべてその手を取った。大人しくエスコートされるままなのは、やはり曲がりなりにも今夜がパーティーだと理解しているためなのだろう。いつもの見知った軍の施設内にも関わらず、張り切った照明や飾り付けによって独特の高揚感ある空間に様変わりしている。 設備その他はブレダとフュリーに任せていたのだが、くだけた雰囲気で好ましい。 「なのに何故大佐はその格好で許されるんですか」 「ちゃんと仮装してるじゃないか」 「正装の間違いです」 「正装でマントは着用しないと思うがね」 びらりと大仰にはためかせて隣を歩くリザをその中に包み込もうとしたが、さらりとかわされてしまった。こういう時に、軍人は身のこなしが敏捷で厄介だとロイは思う。 いや、実際はリザがロイに対してあまりに敏捷すぎるのだけど。 「ヴァンパイアがカボチャパンツをはいてくるわけにもいかないだろう?」 「なら大佐がジャック・オー・ランタンの仮装になされば良かったんです。そうすれば気兼ねなくはけますよ、カボチャパンツ」 ぎろりと睨みつけられた険のある視線に、僅かばかり拗ねがゆらめくのを感じ取って、ロイは口角が上がりそうになるのを咳払いで誤魔化した。可愛いと思ったことがバレでもしたら、リザのことだ。 「ここからはハボック少尉を護衛に」とでも言って、冗談ではなく本気で踵を返しそうだ。 実際に何度もそう切り返された返答を押し切ってここまで持ち込めたものを、そう易々と崩されるのは避けたい。 「どうにもお気に召さないようだな、その衣装」 「無駄な露出が多すぎます。帽子も大きすぎて見ずらいです。箒、邪魔です」 よどみなく不満を口にしたリザにある種の物珍しさを感じて、ロイはたまらず苦笑を漏らした。 今日のリザは非番で、加えて軍敷地内での内輪パーティー。 浮き足立った雰囲気が、リザにも少なからずプライベートを垣間見せるのに役立っているのかもしれない。悪くないな、と内心で呟く。 ヴァンパイアの隣には魔女。 黒は黒でも野暮ったいワンピースなどでは勿論なく、下はランダムカットの膝丈フレア。 そこに光る控えめなスパンコールに目をとめれば、歩くたびに見え隠れしそうなガーターを拝めるかもしれない。 上は胸元にきわどいシースルー。 深々と頭にトンガリ帽子を被せ、わざとらしい箒を持たせ、ロイと同じく裏生地の赤いマントを羽織らせていなければ、仮装パーティーの魔女で終わるはずのない出来栄えだ。 なんにせよ、黒地にブロンドは良く映える。 「よく似合ってると思うんだがね」 「私は貴方と違って露出狂じゃありません」 「私だって違うぞ!……って、パーティー衣装にしてはそんなに過激な部類でもないじゃないか」 ――魔女の仮装で。 ロイの言いつけに従い迎えにやって来たリザが、全く予想に反しない重苦しい黒のワンピースのみで現れた時、落胆と希望を一度に味わいつつも、ロイはさも当然とばかりに自分が用意した衣装に着替えさせたのだ。 そういった強引さも今のリザの不機嫌さの一翼を担っているのだろうが、それは今更だろう。 実際、魔女の仮装はこれまた予想通り実に良く似合っている。 「魔女は質素がいいんです。……私もヴァンパイアで良かったのに」 「女性吸血鬼はセクシーと相場が決まってるのに?」 「決まってません!」 庶民的華々しさに気の置けないくだけた会話。 ロイの戯言にいくらリザが本気で声を荒げたところで、この場所では功を奏しない気がする。 軍服を脱ぐだけで、いつものキレのあるツッコミがこうも可愛らしく聞こえるのは重症かもしれない。 ははは、と笑って誤魔化して、ロイは飲み物をリザに渡した。 「……お酒、じゃないですよね」 「勤務中の者はジュースカクテル。君のはアルコール入り」 「ノンアルコール取ってきます。護衛なんですよ、私」 「上辺だけだと気付いてるんだろ?今日の君は非番。問題ない」 「なら帰らせて頂きたいんですが」 受け取ってしまった手前、返すに返せないグラスを軽く揺らしてリザが言う。 飲み物でここまでつっかかれるなら、最初からジュースと嘘をつけばよかったか。 しかしバレると後が余計に面倒だということを、ロイは経験上良く知っている。 「こういった部下との交流も大切にしたまえ。上官命令だ」 「さっき非番だと仰ったじゃないですか」 「上官命令だよ、中尉」 「……職権乱用ですよ、大佐」 これ以上は却下とばかりに自分のグラスを空けたロイに溜息をついて、漸くリザもシャンパングラスに口をつけた。 不覚にも口の中で弾ける刺激が美味しいと思ってたことに、リザの眉間に皺が寄った。 それを目敏くキャッチして、ロイはリザの頬に手を伸ばす。 「……そんな顔で飲むほど不味いかね」 「いっ、いひゃいです、たいひゃっ!!」 おもむろに伸ばされた手で方頬を引っ張られ、リザが舌ったらずに応戦する。 グラスにまだなみなみと残る液体が零れないように、その手を除くのは技術が必要だ。 壁に立てかけた箒はまだしも、トンガリ帽が視界を塞ぐ。 睨みつけようと顎を上げて見上げた視界に、ロイの背後から頭一つ以上抜きん出た金髪男が振り向くのが映った。ハボックだ。 「こんなところでイチャつかんで下さい」 苦笑いとも辟易ともとれる声音に漸く振り向いたロイの手から開放されて、リザは頬に手を当てながらハボックを見た。 その台詞にはまったく同意しかねるが、何か口にすればまたロイに突っ込まれる気がしてリザは口をつぐむ。ハボックは空になっていたロイのグラスを新しいカクテルに移し変えて、不意に視線をリザに向けた。一瞬その目が驚きに開かれたのを感じて、リザは訝しむ。 「中尉?」 「……そうよ?何?」 「うっわ。俺また大佐がどっかのカワイコちゃんを誑し込んだもんだと思ってましたよ」 「人聞きの悪いことを言うな!」 「いや、だってその帽子の所為っスよ。分かんなかった」 へらりと笑って言われ、リザは帽子に手をやった。 徐々にずり落ちてくるこのバランスの悪いトンガリ帽も、ロイに無理矢理着用を義務付けられたものだった。 「にしてもセクシーな魔女っすね、中尉。似合ってますよ」 「……ありがとう。貴方も似合ってるわよ、そのしっぽ。耳はどこに落としたのかしら?」 「満月じゃないんで耳と牙はしまってるんです。女の子がビックリしないように」 「紳士的な狼男ね」 「デショ?」 たぶんただ面倒だっただけだろう。 ブレダあたりが用意した仮装用の尻尾にふさふさした狼手袋を腰からぶら下げている様が全てを語っている。火気厳禁のパーティー会場でいつも通りくわえ煙草に火を点けず口に乗せているハボックに、くすりと笑った。と、急に肩を掴まれ、リザは後ろに数歩後じさった。 すぐ横で見慣れた練成陣入りの手が、目の前の狼男に向けられる。 「ほう。では魅惑の魔女を誑かそうとする悪い狼の牙が出ぬ間に燃やしてみようか」 「火気厳禁ですよ、大佐」 「――冷静すぎです、中尉っ!手袋嵌めんで下さい、大佐!今夜の挨拶は“ハッピー・ハロウィン”!!」 諸手を上げて全面降伏の意を表しているハボックの尻尾が勢いで左右に揺れた。 リザは手にしているシャンパンを一息に空けるとグラスをハボックに渡し、空いた両手で耳も牙もない憐れな狼男に向けられたロイの発火布に手をかけた。 意外にしっかりとした構えの指先を解き、ゆるゆると外す。 肩に置かれた手もついでに外し、またずり落ちてきた帽子を押さえた。 「これでトリック(悪戯)は出来ないですね、大佐」 「ハッピー・ハロウィン、中尉!」 助かったとばかりに近くのテーブルからチョコレートの山を一掴みしたハボックが、空いたリザの手にそれらを渡す。 新しいグラスも渡せば、ロイへの態度とは打って変わって微笑みながら礼を言った。 去り行くハボックの背を見つめながらグラスに口付ければ、発火布を外されて所在なげな手をじっと見つめていたロイが口を開く。 「狼男への優しさをヴァンパイアにも分けて頂きたいものだがね」 「狼男の優しさをヴァンパイアがお持ちでしたら考えますが」 しれっとしたリザの答えにロイは唸る。 アルコールに対する注意をハボックにはしなかったことがいただけない。 セクシーと形容されて怒らないリザがいただけない。 何よりされるがままに発火布を抜き取られたままの今の自分の状況がいただけない。 「――飲み物を取ってくる」 「お酒はダメですよ、大佐」 「もう勤務時間は終了したよ」 飲めない部下の手前、上官が堂々と酒を飲むのは考えものだと言いたそうなリザを遮って、ロイはリザと同じシャンパングラスをとった。 ちらりと後ろにリザを盗み見れば、数人の部下と談笑しているリザの姿。 ミイラ男にフランケンシュタイン、おそらく今日は夜勤であろう軍服姿の者もいる。 思わずロイのこめかみがヒク付いた。 「――中尉の衣装、大佐デショ?」 「何が言いたい」 いつの間に後ろに立っていたのか、夜勤のはずの狼男が腰にぶら下げていた手袋をロイの頭に乗せて笑う。 せっかく整えた髪が乱れる、と苛立たしげに払い除け、ロイは前を向いたままでぶっきらぼうに眉を顰めた。 「確かに似合ってんスけどね。パッと見、どこぞのカワイコちゃんになってるって知ってます?」 「カワイコちゃんなんだよ、彼女は」 「……そーなんスけどね」 相変わらず剣呑に返される言葉に、ハボックはもう一度ロイの頭に手袋を乗せた。 少し叩き気味のその行為に、ムッとした表情を隠しもせず振り返れば、ハボックが顎をしゃくってリザを見ろと促した。 わけが分からず再び視線をやれば、夜勤勤務のフュリーとファルマンがリザの側を通り過ぎようとしている所だ。 二人は何事もなく通りすぎ――た足を半歩戻して、そのまま斜め後ろを振り返る。 軍服の胸にカボチャを模ったワッペンをつけたフュリーが声をかけた。 「――ホークアイ中尉!?」 「こんばんは、ファルマン准尉、フュリー曹長。 ……皆そういう驚き方をするんだけど、やっぱりこの格好そんなにおかしいかしら?」 困ったように小首を傾げてみせるリザに二人は勢い良く首を振って応対する。 「違います!一瞬誰か分かんなかったんですよ!うわー、よくお似合いです、中尉」 「魔女然とした帽子の所為で顔が分かりませんでしたからね。でも本当に良くお似合いですよ」 「ありがとう。……無理しなくていいわよ?」 「無理なんて!いつも軍服のお姿しか見てなかったからビックリしただけです!」 「魔女はその美貌で世の男を誑かしたともいわれていますが正にその通りですね。 ――大佐が喜びそうだ」 最後に付け足されたファルマンの言葉にリザが微苦笑するのを見て、嫌な観察眼を持った男だとロイはシャンパンを一口含んだ。嚥下した炭酸が心地いい。 ハボックが言う。 「まあ、俺らはいいんスけどね?」 「…………」 「普段が禁欲的な女の色香って惑わされません?」 「…………」 分かってます? 頭に乗せられたままの狼の手袋でぽふぽふと叩かれ、それを払い除けると同時に振り向くと、残りのシャンパンごと無言でグラスをハボックに押し付けた。 マントを翻し、リザまでの距離を大股で、しかし優雅に移動する。 後ろでハボックが息を吐くのが聞こえた気がしたが、今は燃やしてる暇はない。 「大佐?」 「――あ、お疲れ様です!」 「大佐はドラキュラですか」 「牙もあるぞ」 三様の応対に軽く牙を見せることで答え、真っ直ぐにリザの前に立った。 無表情で見下ろされて、リザが困惑の表情でロイを呼ぶ。 「お飲み物を取りに行かれたのではなかったのですか」 「……確かに露出が多いかもな」 「――は?」 顎に軽く指を乗せて思案顔で呟くと、ロイはリザの手から既に4分の3以上消失しているグラスを取り上げ、横にいたファルマンに渡した。 そのままリザのマントに手をかける。 「は?――え、大佐?」 「こうしていたまえ」 胸元を二箇所、リザの体を包み込むように巻き付かせたマントを裏側から持つように指示して満足げに頷く。一体何をしたいのか分からないといった表情で自分の姿を見下ろしたリザの顔が、再び帽子で遮られた。 「……てるてる坊主みたいなんですけど」 「露出が多いよりいいじゃないか。仮装パーティーだし」 「イヤです。これじゃいい笑い者じゃないですか」 頭にトンガリ帽を乗せて黒マントです巻きにされた仮装が、どこのハロウィンパーティーにいるというのか。 憮然として振り解けば、待ってましたとばかりにロイがリザの腕を取った。 有無を言わせず歩き出す。 「ちょ――大佐!どこに行くんです!」 「帰ろう送るよああ君たち仕事もしながら楽しみたまえそれじゃあ」 呆気に取られた部下たちの視線を背中に感じて、ロイに引きずられるように、け躓きそうになりながらも、リザは必死で歩いた。 いや、小走りに近かったかもしれない。 大股でずんずん歩くロイの歩幅は、全くリザを考慮していない。 勝手に連れてきて勝手にやめさせるロイの心情が知れない。 箒も会場に忘れてきた。 帽子で前が見難いことこの上ない。 「大佐、どうされたんです。皆驚いてましたよ?何かありましたか?大佐?」 会場を出てもなお歩幅の変わらないロイに息を切らして呼びかければ、ようやくロイの歩調が緩まった。 と思えば急に立ち止まられ、その変化についていけずにリザはロイの背中に軽くぶつかる。 ここは一体どこなのか辺りを窺う前に、振り向いたロイが力なくリザにもたれてきたのを反射的に受け止めて途方にくれた。 またずり落ちてきた帽子の所為で、ロイの表情が分からない。 具合が悪いわけではなさそうだし、特別機嫌を損ねているわけではなさそうだ。 ただ黙ってリザの存在を確かめるかのように肩を抱く手に温もりを感じる。 どうすることも出来ずに耳元に感じる息遣いに全神経を集中すれば、ゆるりと耳朶に息がかかった。 何を意図したものでないことぐらい容易に知れたが、息を呑む音が知れたかもしれない。 「……大佐?」 恐る恐る問いかければ、もう一度小さく溜息を零し、ロイがリザの顔を覗き込むように視線を動かす。 目深に被っていた帽子を自身の額で押し上げて、至近距離でリザを見る。 「……やはり魔女は質素がいいな」 「は?」 「うっかりしてたよ」 「箒ですか?」 「君がイイ女だということを」 「――――……は!?」 あまりにも至近距離で、あまりにも真面目に呟かれて、リザは我が耳を疑った。 一気飲みしたシャンパンが今更体中を駆け巡って顔に集中してきた気がする。 今が夜で良かった。近くに街灯がなくて良かった。帽子の影で本当に良かった。 「そんな格好ではいつ無謀な輩にトリックされるか分からんからな」 自分で着せたんじゃないですか。 懐疑的な視線をやれば、苦笑したロイの手がそのままリザの腰へ下る。 「反省してる。だからこうして君を連れ出した」 悪い男から守るために。 額を合わせたままでヴァンパイアに囁かれ、本当に血を吸われそうだと睨みつけた。 ロイはくすくす笑いながら、徐々に距離を縮めて言う。 「今夜の挨拶は“ハッピー・ハロウィン”だったか?」 「“トリック・オア・トリート”が先では?」 「”トリック・オア・トリート”」 「大佐はトリック出来ませんよ」 空気を震わす振動さえ聞こえてきそうな距離を無理矢理取り出した発火布で広げれば、細められていたロイ瞳が一瞬驚きで開かれ、それからすぐさまにやりと笑んだ。 ――ああまたろくでもないこと思いついた。 長年の勘がそう告げる。 案の定、ロイはゆっくりとリザの手ごと取り払い、 「お菓子はくれるんだろ?」 うんと甘いやつ。 ようやく慣れ始めた視界が、また閉ざされて闇が落ちる。 ――でも大佐。 オバケ同士で与え合うのは違うと思います。 |