混じる





焼けた大地に容赦なく降り注ぐ日光は、照りつけるなどと生易しさで表現できる域を遥かに越えていた。
ブスブスと燻り焼きにされる心境だ、と焔の名を冠する私が言えば、実際にそうしてきた者達への侮辱となるだろうか。だが生きているのは他ならぬ私であって、この温度を体験している身で言わせてもらえば、そんな軽口も浮かんでくるのが現状だ。
足元を覚束なくさせる目の細かい赤砂が何をしても衣服の隙間から侵入し、軍長靴の中をざらつかせるのにも慣れた。
だが砂嵐を避けるためだけに設置される移動型の簡易テントだけは、慣れたとは言い難かった。
何かの皮と布地で構成された分厚い幕を捲って入る瞬間、あの肺を圧迫してくる篭った熱気には覚悟が必要だからだ。

「入る」
「――よう」

せり上がる不快感に眉根を寄せて、先にいたヒューズに目だけで頷いてみせた。
その奥には、手を後ろで拘束され、足にも束縛を受けた小柄な人間が転がっている。
先刻捕らえた、いわば私を狙う不逞の輩というやつだ。

敵は勿論仲間内からでさえ、畏怖と妬みの対象に祭り上げられた私には、下される任務の他に、
時折こうした厄介事がやってくるようになっていた。
大抵は凄惨のすぎるここでの任務に神経をきたした者達が、壊れた精神でも認識しやすい殺戮兵器である私を狙うというものだが、
今回の人物はそれとは違うという確信が私にはあった。
その証拠に、勝機の見えないこの状況で私の姿を認めても声一つ上げない冷静さがある。

姿を見せないままの気配を背後に感じるようになってから、時間が経った。
執拗に冷静に私を狙うのは狙撃手のようで、
殲滅の任を終えた私にヒューズが差し出したコーヒーを受け取り損ね慌てて腰を屈めた瞬間、
それまで私の頭が鎮座していた個所が的確に打ち抜かれていたことが幾度かあった。優秀だ。
だが面白いことに、私に殲滅の任が下った時やそれを実行に移している最中、邪魔立てするようなことを奴は一切しなかった。

眈々と向けられる殺意は私に追われる立場を意識させ、結果、
他の襲撃に関して敏捷さをもって対応できたことは、すばらしい副作用といえるだろう。
さらに、本意ではなく常に奪う立場に晒されると、
謂れのない焦燥と罪悪、そして不安に苛まれ、精神の均衡を保つのが難しいが、
他者による私自身の存亡の危機は、本能――つまり生への執着という人間らしさを失わずにいさせた。

どういう経緯で私を狙うのか調べ上げる時間もなかったが、むざむざ殺されてやるつもりは毛頭なかった。
しかし得体の知れない狙撃手を私は炙るつもりもなかった。
奴は銃で、私は焔で。
遠くの相手を仕留める術に長けているのはお互い様だ。
範囲が被りすぎるというのは離反の素だが、広狭という点で私達は穴を埋められると踏んだのだ。
つまり奴が欲しかった。

「何か分かったか?」

無言で私を見上げる視線を感じながら聞くと、ヒューズが疲れたように首を振った。

「まったく。身に付けてる階級章も何もでたらめで、名前も言わねーの」

呆れ声のヒューズの横を通り抜け近づくと、煤けた顔は逸らされもしない。
大きな鳶色の瞳は強情そうで、私に臆することはなかった。
すぐ後にまた一つ区画を掃討する指示を受けている私には、あまり時間がなかった。
粘られると厄介なことになる。

「立場を分かっているか」
「…………」
「な?」

捕虜の態度に苦笑したヒューズに眉を顰めて、私は上から威圧的に見下ろしてみた。
見返す視線は睨んでくるわけではなく、だが受け入れているようでもない。
暴力で押さえつけるのは簡単だが、組み込みたい相手にそれはナンセンスだ。
第一よく見ればその輪郭はまだあどけなさを残す程度に丸く、
戦時の補給不備であてがわれたのか大きすぎる軍服が、余計に小柄に見せていた。

「名前は?」

その顎に指をかけて、私はわざと横柄な問い方をした。
若者らしいきめの細かい肌がピクリと動いて私の指に伝わった。
不意に触られた緊張からか、それとも急に上向かされた筋肉の痙攣かは判然としないが。
無理に仰け反らされる姿勢が辛くなったのか、私の下で体がもぞもぞと動き始めた。
それを察して首根を掴んで持ち上げたのは、意識的な抑圧だ。
だが意外な軽さに内心で驚いた。

この年頃の男子では華奢というより栄養失調かもしれない。
自分の同時代を思うと同情すら覚えて、私は掴む場所を二の腕にかえた。が、そこもまた細かった。
肉のつき方というより、骨がそもそも細いのかもしれない。
これがいつか、私の後ろに控えるヒゲ面男のようになるのだから、成長期とは神秘的だ。

「そろそろ口を割ったらどうだ?じりじり焼き殺されるのは好みじゃないだろう?」
「あなたはしません」

私が初めて聞いた台詞は、およそこの立場で言える想像を越えていた。
しかも断言ときた。
縛られた足首のせいで横座りをしながら私を凛と見上げてくる。
その声はボーイソプラノと呼ぶには低く、変声期を終えたにしては高い、耳にすとんと馴染む音域だった。
こんな声をしているのか。

「……何だと?」
「あなたはしません」

低く問う声にも同じ台詞を、しかも一度目より僅かばかり胸を張って答えているように見えるのは気のせいか。

「ふざけてるのか」
それとも私をなめているのだろうか。

「いいえ」

揶揄する口調ではなかったが、私の神経を逆撫でるには十分だ。
自由を封じている相手の胸倉を掴んで顔がつくほど引き寄せた。不安定に立たされた足元がぐらついている。

「ロイ!」
「では聞こう。何故そう思う」

突然の行為にヒューズが諌めるように声を出したが、私の手は緩まなかった。

「……私、は」

襟元を締め上げられて、苦しげな呼気の合間に声が聞こえる。僅かにむせた後で言葉が続いた。

「あなたを、見てきました。スコープ越しで、ずっと」
「だから?私の焔は取るに足らないと、そう思ったのか?」
「違います!」

自嘲気味に言った台詞は、しかし即座に否定された。僅かに私が気圧される。

「あなたは、いつでも全力で焔を駆っているように私には見えました。ですから、あなたには――少なくともその焔で――人を嬲る加虐性はないと、そういう意味です」
「――――」

一息に告げられて、私は脱力した。
体が、というよりは心がと言った方が正しいだろう。
何だこの子は。
殺すために狙った私を、そんなに善意的に解釈してどうする。

「……ロイ」

私の若干の呆れを感じたか、半笑いで肩に置かれたヒューズの手を合図に、私も掴んでいた襟元を放した。

「とりあえず名前と階級を言え」

理解の追いつかない若者に翻弄されっぱなしというのは性分ではない。
肩を小突くヒューズと眉根を寄せる私へ、臆面もなく胡乱げな視線を向ける瞳に、私は喉の奥から不機嫌な声を出した。

「…………」

しかし今の饒舌が嘘のように口は閉ざされ、今度は視線を逸らされた。
偽名でもさらりと乗せれば終わる質問に黙秘で通す頑なさは、子供臭さと生来の生真面目さを感じさせる。
もしかすると融通の利かないタイプなんじゃないだろうか。
前線とはいえ、本気で調べれば分かることだ。ただ混乱期の書類作業は正直避けたいのが本音だ。面倒臭い。

「――アメストリス軍には違いないか」
「はい」

話題の転換には素直に応じるつもりらしい。

「狙撃手か」
「そうです」
「にしては腕も随分細かった。それで銃は重いだろう。食べてるか?」
「……消費熱量が高い状況にいるだけです。銃器を扱うのに問題はありません」
「睫長いな」
「そうですか」
「恋人はいるのか」
「いません」
「君の名前は?」
「…………」

子供騙しの引っ掛けには流石に引っ掛からないか。
どうしたものかと思いつつ、それ以外の質問には無愛想ながら応じる姿勢に私は度胸の座りを認めた。
く、と口の端で笑った私へ、ヒューズがおもむろに懐中時計を指で示した。
ちらと見れば、任務への刻限が迫ってきているのが分かった。
まずい。面白い人材には違いないが、素性の知らな過ぎる相手をこのまま放置にはまさかできない。

となると我々が戻るまで、それなりの場所に拘束となるが、それはできれば避けたかった。
汚れてはいるが、整った顔立ちだと思うからこそなおさらだ。
意を汲んだヒューズが、私の変わりに口を開いた。

「俺達はこれからまた任務につく。その前に名前くらい言ってくれ。悪いようにはしない」

ヒューズに視線を向けて、しかしだんまりを決め込む姿勢に、ヒューズは心底困った顔をした。

「このままだと、いったん警備連中にお前さんを監視をさせることになる……この意味分かるか?」
「……解りかねます」

そうだろう。

「尋問があるっつーことだ」
「……?」

ボリボリと後頭部を引っ掻くヒューズの要領は得なかった。
不審人物を捕まえて尋問するのは当然で、加えて言うならこれも尋問なのだから、
顔中に疑問符を貼り付けてヒューズ見上げる気持ちは分かる。
その視線が私に向けられた。意味の解説を求めている。
つまり――

「君のような若い者を舐ることで色々発散させる人種もいるということだ。――陵辱が好きなら止めんぞ」
「――――」

私の噛み砕きすぎる説明に、僅かに蒼褪めたのが分かった。
仲間内であってはならないことではあるが、戦争は人から理性を奪う。
全てに秩序を統制するには長引きすぎた。

「まあ、ここで吐いてくれりゃあロイが悪いようにはしない」
「……」

それでも唇を引き結んだままの態度に、私は軽く舌打った。

「強情だな」

助けてやると同義の言葉に頷かないのはどこのくだらないプライドだ。
意固地になった手負いの野生動物を髣髴とさせる。
私から視線を逃がすのも解せない。
細っこい子供の体を押さえ込む警備兵を想像して吐き気がした。

「認識票も役に立たんな!」

軍人ならば万一のことを考えて誰しもが首から携帯するそれすらも、どうせつけてはいないのだろう。
先に尋問を始めていたヒューズがそれを確認しているはずだ。
苛立たしげに吐き出せば、

「おお――――忘れてた」
「おまえ」

ぽん、と手を打つヒゲを思わずドスの利いた声で睨んだ。
まずはそれが先だろう!
一見の価値はある。襟元に手をかけるといきなり顕著に身を捩られたが、細い肩を押し留めてぐいっと真横に引いた。
見慣れた銀色のボルトチェーンが見える。
当たりだ。
激しさを増す抵抗とタイミングをみて、私はく、と口角を上げた。

「正直者め」

さらに襟元を広げようと手を伸ばしたところで、しかし突然体当たりをかまされそうになり、私は思わず身を引いた。
辛うじて尻餅は免れたものの、縛られた手足のせいでうつ伏せに倒れこむ体を救う手立てはなかった。
どうすればいい。
地面に這いつくばっても触らせまいとする態度に、私は最大限に眉根を寄せて見下ろした。
これが狼なら今にも飛び掛らんばかりに牙を剥き出しに唸っていることだろう。まったくもって理解に苦しむ。
このまま男二人で引き剥がすのは簡単だが、私の価値を見せてやる。
くだらないプライドに触発されて、私も黙っていられなかった。

「せっかくだ。スコープ越しじゃない焔をみせてやろう」

体全体で認識票を隠そうとするなら、隠し場所をなくせばいい。

「結構です」

這いつくばりながら、まるで余計なことをするなとばかりに睨み上げる姿勢は流石というほかない。
他者に真似できない無遠慮な言動は貴重だが、なめられるのはごめんだ。

「君が言うとおり私に焔で嬲る趣味はないが、有効活用することを覚えておけ」
「ロイ――」
「下がってろ」

声で制して、片手を向ける。
命を受けて止まったヒューズの砂を踏む音が耳に届いた瞬間、擦り合わせた私の指先からジ、と火花がのびた。

「――――あっ」

目の前で荒れ狂う焔とその身へ直に感じる熱さとに喉の奥で悲鳴を発したが、それ以上騒ぎ出さないのは驚きだ。
どういう訓練を受けたらこうなる。
だが、その声音はまるで少女のように高かった。

焔は私の計算通りの軌跡を描き、上着と中に着込むシャツまでを一瞬で灰にして消えた。
火ぶくれにならない程度の火傷で済ませたのは、私の実力の賜物だろう。上出来だ。

「……おい、ロイ」

非難じみた声音で呼びかけるヒューズに向き直る。

「殺さんさ」
「じゃなくてよ」
「何だ――」

「――……は、っあ、」

言いかけた私の耳に、先程よりも高い喘ぎ声が聞こえた。
周囲の空気ごと一気に熱されて、瞬間酸欠になった肺が空気を求めるのだろう。
視線を戻すと、辺りに飛んだ煤ごと酸素を吸い込んで咳き込む姿が目に入った。
拘束の解けぬまま地面でくの字に曲げられた体は、上半身を剥き出しに、私に背を向けている。
黒く煤けた衣服の名残の下で、強調される肌は僅かに赤くなっているが元がかなり白いのか、ピンクがかった赤色だった。
そして細い。
腰にかけて確かなくびれが見て取れるほど細い。

「…………」

視線を動かすと後ろ手に拘束されているせいで反った脇腹に目が止まった。
そこからのぞく小さな、だが確かなふくらみに思考が止まる。

「――――――」
ちょっとまて。何だあれは。

「――女だったのか!?」

まだ発展途上とはいえ男ではありえないふくらみを示す果実を確認して、私は思わず大声を張り上げた。

「……女性に狙われるのはお好きでは?」
「その台詞はもっと成長してから言いたまえ!!」

少年と身間違えられる程度の体で何をほざく。
我に返って大股で近づくと、やや乱暴に肩を掴んで抱え起こした。
と、強引な引かれ方にバランスの取れない体が私の胸に倒れこんでくる。
これは――確かにやわらかい。

「……見てないからな」

はっきりとわかる嘘に、腕の中で彼女の体が強張ったのが分かった。
安心させるつもりで、余計な意識をさせてしまった。
これは本気で警備兵なんぞに引き渡さなくて正解だ。
取り返しのつかない事態を免れた安堵とともに、少し性に対して無防備すぎやしないかと、僅か苛立ちを感じた。
そのまま抱くようにして手枷を外す。
近い接触にか、彼女がはっきりと身構えている。
私はなるべく前を見ないようにして体を外すと、自分の上着を彼女に渡した。

「着ろ」

言いながら自由になったばかりの手で受け取る緩慢さに、奪い返すと素早く襟元を合わせてやる。



『リザ・ホークアイ』



首にかけられた認識票にちらりと目をやって、ようやく名前が知れたと思った。

「階級は?」
「…………准尉、です」
流石にいまさら黙秘は役立たないと素直に答える。

「そうか。ヒューズ、怪我人だ。救護班に保護させておけ」
「な…私は――!」
「話は後でいくらでも聞いてやる。服は用意させる。それを着たら私の帰りを大人しく待て。逃げるなよ」
「逃げません!」

口早に言って立ち上がった私にそう断言した彼女は、台詞と一緒に私の軍服の裾に両手でしがみ付いてきた。
逃げないという無意識の意思表示だったのだろう。
だが自分の行動にはっとして直ぐに手は引っ込められたが、今度は恥じているようだ。
いまさらながら視線を惑わす様は女のものだ、とは少し都合が良過ぎるが。

「――いい度胸だ。気に入った。ホークアイ准尉」
「敵を気に入ってどうするんです!」
「味方なら問題ない」

もともとそうするつもりで生かして捕らえたのだから。
まさか女とは思わなかったが、それはそれで中々面白いハプニングだ。
狙撃の腕は狙われていた私自身が保証できる。歯に衣着せぬ向こう見ずな物言いも気に入った。
私の発言に、肩の合わない上着の前を握りしめていた彼女の顔が呆れの色をありありと浮かべた。
次の言葉の前にお前は馬鹿か?と問われている気にさえさせる彼女はやはり何かと面白い。

「……正気ですか。私はあなたを殺そうとした人間です。それを」
「お互い様だろう。ここではよくある話だ。今から狙いをかえればいい」
「な――」

私の提言に反論する余地は与えず続ける。

「私が次を決めてやる。――ヒューズ!」
「はいよ」

後ろで私達のやり取りを黙って聞いていたヒューズが、ゆっくりと彼女の前に腰を下ろした。
私が呼んだ意味を理解して、その手には奴お得意のナイフが握られている。
それにビクリと身を竦めた彼女に、

「――あ、ちなみに俺は狙うなよ?」

軽口を叩いて足に残る拘束を解いた。

「先に行く。ヒューズ、お前は後で来い」
「おお」

返事を受けて、私は出口を塞ぐ重たい布地を持ち上げた。
空気の篭った室内に吹き抜ける風はやはり熱く、お世辞にも心地良いとはいえないが、何もないよりマシだと思える。
どんな最悪の環境でも、些細な風に浮き立つ気分になれるときもあるものなのだ。

「マスタング少――」

初めて彼女の口から呼ばれた名前は、しかし背後で下りた布地に阻まれて、語尾が小さく掠れて聞こえた。
ヒューズ以外のしかも子供とはいえ確かに女に、畏怖と侮蔑以外の、
ただ関心をとめるだけに掛けられる呼び声はあまりに久し振りで、私は顔全体が奇妙に歪むのを自覚せずにはいられなかった。私に飢えていた人間性が僅かにもどる。
この凄惨な状況でこれ以上の希望があるだろうか。
砂除けの役割を果たすとは思えないくたびれきったコートを頭から被り、嵌めた手袋の中で私は知らず拳を握っていた。



あとがき。

『キスミー』のよしのさんともえた「無意識痴漢ロイ」。
私の副題は「マスタング過失ぽろり罪」(笑)。重過失です。有罪。



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