その先に示されるみち



す、と彼の指が首筋に触れて、わたしは知らず身震いをした。
ゆるく肩を竦めてしまったわたしを解きほぐすように、熱いてのひらが押し付けられる。
そこから徐々に浸透する労わりという名のぬくもりが、無意識に硬くなっていたわたしの身体を慣らしていく。彼の肩にただ乗せていただけのわたしの腕を首に回して、柔らかい黒髪を撫でるように絡めるように、何度も何度も掻き乱して引き寄せた。

――今背中を支える彼の手が離れたら、怖い。

それを察したかのように、額に優しく落とされる唇が切なくて、わたしは彼に回した腕に力をこめて自分の身体をすり寄せた。押し付けられたわたしの乳房が、彼の胸板に受け止められて、形を変える。
女の胸が柔らかくてよかった。
すっぽりと開いた穴を埋めるように入りきることが出来ないのなら、せめてこんな風に隙間なく抱き合うことでも出来ないと、おかしくなってしまうだろうから。

彼の指が首筋からゆっくりと下へおりはじめた。
まるでわたしの身体をひとつひとつ確かめるように、丹念に背中を辿る。

「……っ」

肩甲骨の上を中指の腹で滑られると、わたしはいつも息を詰めてしまう。
決してすべらかではないだろうその皮膚の上を、彼は執拗に、けれどもとても優しく確認していくからだ。
思い出す。いろいろと。
思い出にするには激しすぎる忘れようのない過去――だけではなく。

「――――んッ」

直に触れられて感じる場所とはまた別の、身体の奥から這い回る畏れと快感に詰まる証拠でもあるのだろう。彼のなぞる場所の真実だけを思い返して、それがわたしを支配するなら、こんな甘い疼きに翻弄されるわけがない。

もっと、という催促と、やめて、という懇願で戸惑う心に耐え兼ねて、わたしは彼の鎖骨に唇を当てた。離さないでという気持ちだけは頑なに主張して、ぴたりとしがみついたまま、彼の背中に腕を回してずるずると凭れかかる。そうすると背中に這わされていた彼の腕が位置を変えて、わたしの頭を抱き込むようにして押さえつけてきた。
裸で向き合って抱き合って、だが性的な意味合いの抱擁とは違う抱き締め方だ。

「たい――さ?」
「……うん」

厚い胸板につけたままの唇で問うと、彼は少し汗ばんできた頭皮にかまうことなく口付けてきた。
それから両肘でわたしを縛りつけながら、髪の毛を掻き乱す。
強く優しく梳き入れられる手の動きは些か乱暴だが、今のわたしと同じ、言葉にならない気持ちを伝えてくれる。
どういえばいいのかわからない。
どうすれば上手く処理できるのかわからない。
苦しくていとおしくて乱したくて乱されたくて――どうすればいいのかわからない。
わかるのはただひとつだけ。
この気持ちをわたしたちが確実に共有しているという事実だけだ。

「――っ……」

伝える言葉の代わりに、彼の背中に回したわたしの無骨な指を目一杯に広げて無秩序に動かす。
這った場所から摩擦熱でもなんでもいいから、彼が熱くなればいい。
そんな思いで彼を抱いた。
丸く指の形にそって切り揃えてあるわたしの爪が痕を残すことはきっとないが、押し付けて何度も何度も這わせることで、彼の腕の中にいるのがわたしだとわからせるように。

頭の中に這っていた彼の指が不意に離れる。
わたしを縛り付けていた両肘の力も緩んで、そのせいで二人の間に出来た隙間を埋めるように、すぐさま片手が胸へと触れた。
彼の大きなてのひらが、その全てで掬い上げて、押しつぶす。

「あっ」

愛撫というにはあまりに乱暴に触れられて、逆に荒々しい欲望が頭を擡げてくるのがわかった。
もう一方の手が、そんなわたしの昂ぶりを宥めるように、ゆるりと緩慢な動きで腰の辺りをなぞり始める。何の気のない動きでも、それが彼だと思うだけで、わたしはいつも翻弄されてばかりだ。
無遠慮に触れてくるようで繊細に、緩すぎるようで抗えないほど力強く。
そしてひどく丁寧に。

「――!」

ごつごつとした男然とした彼の指が、もう一度背中の引き攣れに戻る。
皮膚が熱で変色し角化しているその部分は、決して肌触りがいいとはいえないのに。
だが彼はいつもそこを何度もなぞる。
五本の指を順繰りに慣らしていく動きは執拗で、しかしあっさりと離れては背筋を辿ったり項に触れたりと忙しい。なぞられることで思い出すのは、無論背中に負った真実だ。それは互いに違いない。

だけども、そのことばかりに支配されるなら、わたしの喉が甘く息を詰めることで納得できるわけがないのだ。あの灼熱の大地で起きた様々な出来事も思いも行為も真実も欺瞞も、わたしは勿論覚えている。この傷を負った経緯だけに思いを馳せれば、深淵にとらわれる事は容易だろう。
だがそんなことをして何になる――――
軽いと非難されるだろうか。
なぞられることで思い出すのが、それだけではないと言ったら。

その前も、そしてこれに端を発して起きた全てのことが今のわたしを造っている。
彼と過ごした時間も全て今のわたしの中に。
だから、例えあの出来事を思い出しても、やはりわたしはこの疼きを止められない。

「……ん」

彼の指に合わせて煽られるまま軽く仰け反ると、胸からも背中からも熱が離れた。
そして今度はわたしの頬をすっぽりとてのひらで包み込んだ。
たったそれだけの行為で熱に浮かされ乱されたわたしの意識は、真っ直ぐこちらを見つめる彼の瞳に吸い込まれる。
忘れない、忘れられない背中の刻印を確かめた後で、わたしを確かめる彼の瞳は量れない。
瞳の色が深すぎてこわい。

その目が閉じられるのは、わたしが大人しく瞼を下ろした後だとわかるから、黙って近づく彼に先に目を閉じた。背に負う刻印に触れた後でするキスは、普段の馴れ合いのそれとは違い、酷く淫らで、切なくて哀しい。
そして――――あまい。
どうしようもない。

触れた指先も絡み合う舌も、そこからわたしの全てが溶け出し、溢れてしまいそうになるのだ。
なきたい。だけどなかせたい。

いつの間にか圧しつけられていた彼の体重を受け止めて、シーツの波へと埋もれながらも、
より深くへと侵入してくる舌と息は、彼の方へとわたしの口がおし返した。
熱いくらいに篭もる二人の荒い呼吸が粘着質な音をもって室内に響いて、首筋から始まった熱が、陣に、背中に引火して痛いくらいに身を焦がす。
捩った身体を逃がすまいと抑えつける手に呼応して、わたしは胸をくすぐるほどに下りてきた彼の頭を逃がすまいと、回した腕に力をこめた。
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