鬼ごっこ。




給湯室で買い置きのコーヒーフィルターを取り出そうと、下段の扉を開けた瞬間、リザはカチリと撃轍を上げた。目の前に飛び込んできた妙な姿勢の上官が言い訳を口にする前に、思わず指が引きそうになるのを辛うじて止める。

「……何をされているのか伺っても?」
こめかみの辺りにちりりと走った痛みと、こみ上げてくる深い溜息を抑えながら、リザは笑顔をでそう言った。
「包み隠さず正直に答える! だから今すぐそれを下ろせ!」
最初から随分器用な格好で収まっていた棚の奥へ、さらに奇妙な格好で逃げながら、ロイが小声で青褪めている。

「大佐……撃つのは後にしますから、とりあえずそこから出て下さい。そんな狭い所にいられては、肉片の始末が面倒です」
「出ても撃つの!?」
「話は出てからにしましょう」

また器用に手足を動かして、それ以上ないだろう奥へとへばりつこうとしたロイに、
リザは青筋の浮かんだ微笑で、逃げ場のなくなった彼の眉間へと銃口を向けた。

「――は、はい……」
ずるずると気持ち悪い生物のように這い出てくるロイを見ながら、リザは大きく肩を落とした。
「どうやってこんなところに入り込んだんですか貴方は……」
足が引っかかっただの、肩が挟まっているだの悲鳴をあげるロイを、どうにか引っ張り出す。
何でこんなことをしているのか、と正直鼻につんと来るものを感じた矢先に、やれやれといった風に襟元を緩めながら、
漸くロイが口を開いた。

「人間必死になれば何でも出来る」
「別の事に必死になって下さい」

何故だか誇らしげに胸を張られて、リザは怒るよりも先に、熱くなってきた目頭を押さえて呻くように頭を抱えた。



        **



「と、いうわけで。鋼のたちに付き合ってやっているというわけだ」
「――で、いい歳してかくれんぼですか」
「休憩中だ。勝手だろう」

理由を聞いた途端、呆れ口調で言ったリザに、ロイがむっとして眉を寄せた。
年齢を引き合いに出したのが気に食わなかったのだろうか。
明らかに不貞腐れた顔で、素っ気なく横を向かれてしまった。それに内心で息を吐きつつ、どうしたものかと考える。
このまま放っておいてもいい気もするが、午後からやってもらいたい追加の仕事が待っているのを思い出して、仕方なしに譲歩の言葉を口にした。

「……隠れないでいいんですか? ここにいたら見つかってしまいますよ」
まるで難しい年頃の子供を相手にしているような錯覚に、物悲しくなるのをぐっと堪える。
「いいんだよ。別に隠れ鬼をしていたわけじゃない」
「はい?」

間の抜けた声が出てしまった。それに何故か少しだけ機嫌を良くしたのか、ロイがふふんと鼻を鳴らしてリザを見る。

「まあ、鬼ごっこの一種には違いないがね」
「鬼ごっこ? なら隠れる必要はないのでは?」
「結局捕まらなければいいなら、その方が楽だろう」

リザが聞くと、さも当然といわんばかりにそう返されて面食らう。
――確かに。結果論で言えばそうかもしれない。が、遊びとして考えるなら、最も楽しくない遊び相手だと思う。

「……逃げないんですか?」

ロイがここにいるということは、エドワードかアルフォンスのどちらかが鬼ということだろう。
こんな小賢しい大人を相手にしている二人に同情しつつそう問うと、

「見つかったらな――ああそうだ。中尉」

おざなりに返事を仕掛けたロイが、急に新しい悪戯を思いついたように呼びかけてくる。

「……はい?」
それに嫌な予感を感じたが、疑わしげな声でも一応返事は返した。

「何だねその顔は……まあいい。鋼のたちと何をしてるか当てられたら、今日の仕事はどんなにあっても、全部定時で終わらせるというのはどうだ?」
「鬼ごっこでしょう? そもそもどういう交換条件ですか。撃ちますよ?」
「――の一種、と言っただろう。ほりあへず、銃をくひからはなひはまえ」

狡賢い笑顔に終止符を打つべく口の中に突っ込んだ愛銃を、引き攣るロイに仕方なしに引き抜いた。
こんな交換条件に乗ってまでロイの機嫌をとって、リザに有効な利益はない。
どうせ正解を当てようが外そうが、どのみち何だかんだと期限ギリギリまで延ばして逃げ回るのは目に見えている。

「約束は守るよ」

リザの心情を読んだように、タイミング良く胸を叩いて、ロイが上目遣いに伺うようにリザを見た。
……こういう表情を部下にする上官もどうかと思う。
知らず尖らせていたリザの唇を、苦笑したロイに指でつつかれ、リザははっとして顎を引いた。

「君も休憩中なんだし、いいじゃないか。付き合えよ」
だからそれも、部下に対する口調ではない。
「……仕事はきちんとしてもらいますからね」

そう思うのに、何故かリザはむくれた口調でそう言っていた。




        **




むっとしつつ、しかし促されるままリザはロイの隣に腰を下ろす。
諸手を上げて、もちろん、と軽く答えるロイを睨むように見てから、リザは思考をめぐらせていた。

「……鬼ごっこには違いないんですよね……」

ひとり言のような呟きに、隣のロイが頷き返す。それからまた少し考えて、リザは思いつく限りの遊びの名前を言い始めた。

「影踏み鬼」
「はずれ」
「……缶蹴り?」
「さすがに軍部内で子供と缶を蹴り飛ばすほど厚顔無恥ではない」
「…………」
「何だねその疑わしげな目は! いいから! 次!」
「色鬼」
「色情狂のようだな――って、いや、冗談だから。君、そうやってすぐに銃に頼るのは止めた方がいい」

反射的に取り出してしまった銃を突きつけたロイが間顔で忠告してくるが、軽く無視して、リザはさらりと説明を加える。

「知らないんですか、色鬼。鬼が一つの色を指定して、10数えるうちに見つけて触ってないと、捕まえられるんですよ」
「はー。手当たり次第口説き倒すゲームではな――ごめんなさい、それ強く押し付けすぎだよ中尉」

身を反り気味に返すロイから名残惜しげに銃を引いて、リザは、ふむ、と熟考してから、また言ってみる。

「……手繋ぎ鬼?」
「男三人で虚しいことこの上ないな」
「もう、全然分かりませんよ」

やれやれと首を振られて、リザはむっとした声を出した。
他に鬼ごっこのような遊びは何があっただろうか。遊びに興じた時間は思った以上に遠すぎて、探し出すのは意外に難しい。
必死に記憶を辿っていると、

「ヒントをあげよう」

そう言ったロイが不意に頬へと手を伸ばしてきた。
思わず顎を引いて避けたリザに、机に片肘をつきながら伸ばしていた腕を更に伸ばして、今度はロイが眉を寄せた。

(あ――)
失敗した――?

そう思った時には、些か強引に腕を引かれて、しっかりとロイの両手に頬を捉えられてしまった。
腕を捕まえられて体が引けない分、顔だけは出来る限り離そうとするリザを、したり顔のロイが身を乗り出して不敵に笑う。
自分の輪郭をなぞる指が目前に迫った意味ありげな微笑と相俟って、リザは頬を熱くなるのを感じて下を向いた。

「ヒ、ヒントではなく、教えて下さい」
「ヒントいらない?」
「答えをっ」
「せっかちだな」

楽しそうな声音でロイが笑う。
何故だか徐々に近づいてくる気配に、どうにか逃れようとするが、腕を掴むロイの力は緩まない。
狭いパイプ椅子がリザの及び腰を主張して、ギ、と錆びた金属音で鳴いた。
リザの耳朶に、ロイの指が触れた。

「――たいっ、」

無意識に俯かせていた視線を抗議の為に上げると、

「正解は――」

いつの間にか鼻先がくっつきそうな距離で動くロイの唇が視界にうつり――――

「――――タッチィィィィィィィッ!!!!!」
「ぐおああぁぁぁぁぁっ!!!」

ドゴォッ! と激しい音が聞こえたかと思うと、突如壁から迫り出した重量を感じさせる突起物が、目の前の人間の頭を殴りつける瞬間が目に映った。

「エドワード君」
「あれ? 中尉? もしかして今、大佐に襲われてた!?」

壁に遅れて給湯室へ飛び込んできたエドワードに両手を取られ安否を気遣われながら、リザは少し離れたところで不様に倒れふしているロイと見比べる。
と、ようやく合点がいったように頷いた。

「――――ああ、タッチ鬼」
「違うだろう気にするところが!」

ガバリと起き上がったロイの目は、痛さの為か少し涙が滲んでいる。
それをちらりと視界の隅でとらえながらも、リザはエドワードの手を握り返した。

「ありがとうエドワード君。おかげで大佐のクイズに答えられたわ」
「え? あ、うん。どういたしまして……?」
「無視か! スルーか!?」
「アルフォンス君はまだ逃げてるの?」
「いや、あいつは途中で猫見つけたから一抜けるって」

また鎧の中に入れるつもりだろうか。思い出して、リザはくすっと肩を竦める。

「あら、じゃあ今回はエドワード君の勝ちね」
「いや、だから、中尉……? 私は今そいつに頭をいきなりだな……」

頭を押さえながらよろよろと立ち上がるロイはやはり無視して、リザは時計に目をやると言った。

「キリのいいところで、ちょうど休憩も終わりだわ。大佐をもらってもいいかしら?」
「うん、もう用ないし。馬鹿みたいに張り切ってたの大佐だけだし」
「ありがとう、付き合ってくれて」
「だから中尉! 真に受けて笑顔で銃口向けるのはどうかと思う!」

ゴリ、と頬に突きつけられた冷たい感触にロイが涙声で抗議の声を上げている。

「気にしないでいいよ。いつものことだから」
「鋼の! 貴様! 根も葉もないことを……っ!!」
「大佐」
「――はい」

もう一度強く頬にめり込ませてやると、ロイが俄かに大人しくなった。
そのまま撃轍をガチリと上げながら、リザは満面の笑顔を向ける。

「定時。忘れてませんよね?」
「今のはずる………いや、はい。当然ですよね!」

銃口を頬にめり込まれつつ頷くロイに、リザは満足げに頷き返すと、漸く銃をホルスターへと仕舞い直した。

「あー……俺、アル迎えにいくわ」

後ろ向きに二人から遠ざかっていくエドワードに、リザは「また後でね」と優しく告げると、
床に蹲ったままのロイを引っ張り上げて、執務室へと促した。



キリリクで「鬼ごっこ」……だった……気、が……すみませ orz
20万打…でしたっけ…あばばっ! すみません!!(土下座)
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