Please let me protect XXX.――8





ロイは軍服のまま目の前の建物を見つめていた。
かつての主を失ってもなお、輝きを失わずに凛とした存在を主張する家。
羨望にも似た思いで目を細める。

本来ならもっと早くに来るべきだった。
だが、赴任後すぐにリザの口から知らされた事実を、彼女も知っているのだということが、ロイの足を遠ざけていたのかもしれない。
ここのところ仕事が忙しなかったのだと自分にいいわけて、今日、ロイは漸く親友の墓を見舞ったのだった。
暫く逡巡した後、呼び鈴を押そうと伸ばしたロイの手は、しかし寸でで開いた扉に阻まれた。


「ロイ君、いらっしゃい!!」
「――――やあ。エリシア。よく分かったね」


記憶の中より少し大人びた少女を勢いよく足元で受け止めて、ロイは優しく囁いた。
奥からゆっくりとした足音が聞こえる。
エリシアの頭に置いた手をそのままに、顔だけ向けて久し振りのその顔に微笑む。


「グレイシア……久し振り」
「いらっしゃい、ロイ君」


ヒューズに初めて紹介された時から変わらない、いや、より芯の強さを感じさせる温かい笑顔で迎えられ、
知らず安堵の息が零れそうになって、ロイは慌てて咳払いをして誤魔化した。
が、それも彼女の前では何とも様にならない気がして、むず痒い。


「やっと一段落ついてね。あいつの所にも行って来た」
「あら、ありがとう。ロイ君はいつもながら頑張り屋さんね。もう少し自分の体も労わってあげなきゃダメよ?」
「労わりすぎだと部下からは詰られるんだがね」


肩を竦めて見せたロイに微笑んで、グレイシアは「あがって」と促した。
それを受けて、エリシアがロイの片手を嬉しそうに引っ張る。
小さな頃からそれほど多くの時間を共有したこともない、しかも子供に好かれる性質ではないロイに、
エリシアは随分と懐いていた。
無邪気に親愛の情を寄せてくれる。
それはひとえに、ヒューズとグレイシアのロイに対する親愛の情の深さが感じられて嬉しかった。

「ロイ君、今日エリシアのお家に泊まる?」
「いや、帰るよ」


期待に背けず悪いとは思うが、ロイは静かに頭を振った。
やましい想いが皆無でも、さすがに若い未亡人の家に、というのは口さがない連中から何を言われるのか分かったものではない。
何よりヒューズに祟り殺されるのはゴメンだ。


「なんだー…。昨日はね、リザちゃんが泊まってくれたんだよ!」
「――リザ……が?」
「ええ。まだいるわよ」
「――――……」


リザは昨日非番で、だからもしかしたらここに来ていたのかもしれないと、頭の隅で考えなかったといえば嘘になる。
だが、あまりにも快く迎えてくれたグレイシアに、どうやら裏をかかれたらしい。
リザの名前が出た途端にピタリと立ち止まってしまったロイを、下からエリシアが覗き込むように見上げた。


「ロイ君?」
「――――あ、いや。なら私は、」
「あがって?逃げることもないでしょう?ね?」
「ブラックハヤテ号も一緒なの!」


踵を返しかけたロイに、グレイシアの柔らかい声が鋭く刺さった。
いつもの包み込むような柔和な笑みは変わらない。
その笑顔に否とも諾ともいえずに、ロイは引きずられるように扉をくぐるしかなかった。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




座っていてねと示された場所は、ロイの登場に思わず手にしたカップの中身をぶちまけそうな勢いで立ち上がったリザの隣だった。
その様子から、グレイシアは彼女の同意も取らずにロイを招き入れたのだと知る。
やはりというか。
そもそもここは彼女の家なのだからリザの了解を得る必要はないのだが、
何を考えているのか行動が突飛な所はヒューズに実に良く似ていると、ロイは小さく嘆息した。
来客二人に大人しくしているように命ずると、グレイシアはお茶の用意をしてくると、キッチンへ姿を消した。
後を追うエリシアを見送って、取り残された二人に不自然に落ちる沈黙を、ロイが破る。


「……子供は?」
「別の、部屋で、……ハヤテ号と寝ています」
「大丈夫だよ。何もしない」


リザの途切れ途切れの返答に、はは、と笑った。
例えリザが抱いていようとも、何かをするつもりなど毛頭ない。
むしろ出来るわけがないではないか。
その半分でも、確実に彼女の遺伝子を受け継いでいると知っていて。
ただ、姿は見えずとも初めての接近に、妙な気分になった。
本当に自分がここにいてもいいのか、と。


「――あらイヤだ。初めてのお見合いみたいよ、二人とも」


キッチンからでてきたグレイシアに笑われて、少し救われた気分になった。
後ろからエリシアが一口大に切ったパンケーキをトレーにのせてやって来る。
礼を言って受け取ると、早く食べてとばかりにじっと見つめられて、ロイは一切れ頬張った。
おいしいよ、と告げる。
かつてリザが焼いてくれたものと似た懐かしい味がして、本当にうまいと思った。


「えへへー。昨日リザちゃんと一緒に焼いたの。ね!」
「エリシアちゃんが頑張ったからよ」
「――どうりで……好きな味だ」


リザに同意を求めて擦り寄ったエリシアに微笑みながら、また一切れ食べて言ったロイの言葉に、
リザの手が小さく揺れたのを、グレイシアは確かに認めた。
この二人は何て面映ゆい。

リザから妊娠を告げられた時にも感じたことなのだが、どうしてこの二人はこんなにも不器用なのかと頭を抱えてしまう。
生前ヒューズが「何かしてやりたくなるんだよなあ」とぼやいていたのが実に良く分かるのだ。




「ねえ、ロイ君?」
「――ん?」

リザからロイの膝へと場所を移りながらエリシアがロイに言った。
軍服が皺になるからというグレイシアに手を振って、抱き上げる。


「赤ちゃんと会った?」
「――――……可愛かった?」


無邪気さは時に残酷だと思う。
すり替えた回答に、しかしエリシアは大きく頷いた。


「すごいね、ロイ君!そっくりだよ!リザちゃん。そっくり!ね!かわいいねえ」
「エ、エリシアちゃん?」
「ブラックハヤテ号も可愛いねって。かわいいの!」


リザの動揺を他所に、興奮した面持ちでロイの膝上ではしゃぐエリシアの頭を撫でながら、ロイは
見ることさえ許されないリザの子供に思いを巡らす。
やはりリザにも似ているのか。
そんな当たり前のことがふと浮かんで、何故だか泣きたい気持ちになった。
それを悟られないように、、エリシアの頬に手を添える。
覗き込むようにして微笑んだ。
ヒューズが良くやっていた行為だったかも知れない。


「そうか……エリシアもお姉さんだな」
「ロイ君はパパね」
「――――」


ロイの行為がヒューズのそれと重なった――――ただそれだけのことなのだろうけれど。
そう言って笑うエリシアを、ただ抱きしめた。
ああきっと、ヒューズに殴り殺される。
邪まな気持ちなど無論あるわけもなく、純粋な温もりに縋りたかっただけかもしれない。
突然の行動に、しかしエリシアは何を思ったのか、ロイの黒髪を撫でさした。


「だいじょうぶ?」
「――――ありがとう」


驚嘆や忌避より先にロイを案ずるエリシアは、やはりヒューズとグレイシアの子なのだろうな、と妙に納得がいって、
再び緩みそうになる涙腺をどうにか引き締めて、ロイはゆるゆると体を離した。


「ぬるくなっちゃったでしょ。淹れ直すわね」
「ありがとう。でももう失礼するよ」


何事もなかったかのように静かに立ち上がるグレイシアに礼を言って、ロイは膝からエリシアを下ろす。


「まだ――――」
「あまり長居するのも悪いから」


これ以上ここにいると疎外感が増す気がして、ロイはコートを羽織る。
いつもの癖でそれを助ける為に立ち上がりかけたりザに苦笑して、扉に向かっったところで、


「――ロイ君っ」
「何…………うわっ!」


グレイシアに呼び止められたと同時に、突然後ろからコートを勢い良く引っ張られた。


「じゃあリザが途中まで行くって!」
「は?グレイシア、何を……」
「――え、ちょっ……グレイシア!?」
「いいからさっさと行きなさい!」


呆気に取られていたロイの前で、同様に理解できないでいるリザに実に手際良くコートを叩きつけると、
どこにそんな力があるのかという勢いで二人をドアの外に押し出した。
後ろに聞き覚えのあるリザの愛犬の小さな鳴き声と、エリシアのいってらっしゃいの声が聞こえた気がする。


「――グレ」
「いつまでも逃げてちゃダメよ。ロイ君」


バタンッ。


ドアの閉まる寸前、ウィンク付きで囁かれた言葉は、勢い良く締められた音でリザの耳には届かなかった。
木製の扉の振動だけが耳の奥で木霊した。
お互い、何が起こったのか理解するのに少々の時間を要したが、我に返ってもう一度ドアノブに手をかけたロイは、
既に鍵が下ろされていることに気づき、思わず感心してしまう。
どうやらリザまで本気で締め出されたようだ。


「……………さすが、ヒューズの奥方だな」
「……………そうですね」


鞄も犬も、まして子供まで置き去りのまま、放り出された憐れなリザの呟きに同意して、
手にしたままだったリザのコートをかけてやる。
一瞬強張らせた彼女の表情に気づかないフリをして、ロイは先程エリシアにしたよりは若干硬めの笑顔を向けた。
気温の下がる夕暮れ時に夜風の侵入を出来るだけなくそうと、コートの合わせ目まできっちり止めてやってから、


「鍵が開くまで少し歩こうか」
「……はい」


リザを促した。






グレイシア、最強。

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