Please let me protect XXX.――9





「寒くないか?」
「はい。大佐は大丈夫ですか?」
「ああ、軍服だからな……こうして歩いてて、君に怒られないのは何だか新鮮だ」
「――は?」
「軍服と私服」


くつくつと笑いながら付け足されたロイの台詞に、リザは漸く合点のいった表情で返した。
どちらかが非番の時――主にリザが、という方が圧倒的に多かったけれど――視察最中の胡散臭い偶然が
幾度もあったことを暗に示唆していて、リザは内心で苦笑する。
ロイが「緊張するなよ?」と砕けた口調でリザを小突いた。
何を話せばいのか、ただ無言が続くのだとばかり思っていたリザにとって、会話の突破口を作り出してくれるのはありがたかった。
だから女性にもてるのだろうな、と漠然と思った。
ロイはおかしなところで実によく気が回る。


「してません」


精一杯微笑むことでそれに報おうと努力する。
目が合ったと思ったら、不意にロイが顔を逸らした。


「大佐?」
「……何でもない……無自覚は怖いな、中尉」
「は?」


上目遣いに訝しげな視線をやれば、何でもないと苦笑いされたが、ロイの表情は見えなかった。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



ヒューズの家から見える最初の角を曲がると、人通りは少なくなるが、リザの見知った道だった。
このまま路地に沿って進めば、15分足らずで再び家の前にたどり着く。
他愛のない会話でやり過ごし、リザを送り届けるつもりなのだろう模範的ともいえる道順だ。
そういえばこうして二人で歩く時、ロイが後ろ手を伸ばした先に、指を絡めて歩いたこともあったと思い出して、
今は伸ばされるはずのない、リザがそう望んだロイの指先をじっと見つめていたことに気づいた。
いつか、その先に、ロイの心休まる存在が触れる日が来ればいいと思う。
胸に詰まる思いを払拭させようと、そう思った。

馬鹿らしいことだ。
最初に彼を裏切っておいて、今さら夕闇に紛れて都合のいい感傷に浸ろうなんて。


「すみません、大佐。こんなことに付き合わせてしまって……」
「いいや。……私も少し思うところがあったし」
「思うところ?」


自分の感傷を断ち切るべく切り出した会話に、ロイが歯切れ悪く返した。


「――さっきグレイシアに言われたんだ」
「グレイシアに?」


何をさしているのか分からずに、リザは首を傾げる。
ついさっきまでいたグレイシアの家では、ほぼ互いの行動が見える範囲にいたはずだ。
彼女の言葉で、ロイを思い悩ますものがあっただろうかと逡巡し、


「確かに逃げてたのかもしれん」
「――――」


思い当たった。
グレイシアに逃げるなと言われたのは、何もロイだけではなかったのだ。
彼の来訪する前の晩、子供達の寝静まった夜更けに、リザは彼女から、優しく、けれど厳しく言われていたのだった。
しかしどう切り出すべきなのか、まだリザには判然としていない。
子供の話を、わざわざリザからロイにするつもりはなかったし、会わせる気も毛頭ない。
だが、ロイとの関係において、何とも言い難いものから逃げ出しているのは確かだ。
逃げるなといわれても、今すぐ逃げ出したい気分で居た堪れないリザに、ロイが言う。


「何も変わらない、と以前言ったことを覚えているか?」
「はい」
「それに嘘はないよ」
「……はい」
「だが真実でもない」


ゆっくりとリザに合わせた歩調のままロイが振り返る。
下向き加減でその気配だけを感じ取っていたりザの手を取って、ロイは何事もなかったように、また歩き出した。
繋がれた掌が厚い。


「大佐」
「何だ」
「手を、離して下さい」
「断る」


振り払おうと思えば容易にできる力加減で、しかし拒否と同時に少しだけ強められて、リザはそれ以上の言葉を止めた。
ロイの真意が掴めない。
ただ、辛うじてロイの手を握り返すことだけはしてはいけないと、理性を総動員して踏み止まった。


「君と私には関係があった。この事実は変えられない」
「――……はい」


強く、だが優しくリザの手を掴むロイは振り返らない。
だからリザがその表情を窺い知ることは出来なかった。
声の調子も任務の報告を反芻するかのように事務的で、そこからロイの意図を汲み取ることも出来そうにない。


「君には子供がいる。……これも違いないな」
「そう、です」
「うん」


それから悠に3拍分くらいの間をあけて、ロイが言った。
全くいつもと変わらない、抑揚のない口調で。
ただ、リザの手が、微かに加えられた握力を敏感に感じ取っていた。


「君は私の女だった」
「――たい、」
「君がどう思っていたのかは知らんが、少なくとも私は」


外気に触れている方の手が冷たくなるはずなのに、ロイに包まれた片手から熱を発して、全身が汗ばんでくる。
ダメだ。
ここでロイが振り向けば、リザの理性など容易に瓦解するのは目に見えていた。
だから必死で顔は見まいと視界を閉ざし、指先に感じるロイだけを頼りに歩を進めた。
口が渇く。
また流されるようなことがあってはダメだ。


「そう、思ってたんだ」


静かに言って歩みを止めたロイの気配に遅れて、不覚にもリザはその背に顔をぶつける形で立ち止まる。
慌てて後ずさった彼女に、ロイは自嘲するかのような声で続けた。


「――――今更だな……だが、伝えないと何も終わらない」
「…………」
「何も始められない」
「大佐……」


その先を続けられるわけもなく、ただ呼び止める行為は酷く苦しいものだ、と知る。
そんな告白じみた台詞は、一介の部下に言うべきではないと諭すべきかもしれないが、
それを告げるだけの余裕も思考回路も、リザにはなかった。
自分から離してしまった手に視線をやったまま、次の言葉が思いつかない。
下手に何かを口に乗せれば、そのままロイに縋ってしまいそうだった。
ロイがリザに近づく。


「これでリセットだ」
「――――」
「また明日。――――おやすみ」


思わず身を竦めて立ち尽くすリザの頬に、触れるだけの掠め取るようなキスをして、軍靴の音が遠ざかっていく。
気がつけば、数分前に追い出された彼の家から、中に灯る明かりがリザを迎えていた。
本当にここまで送り届けられたようだ。
視線を上げても、ロイの後姿は既に夕闇に飲み込まれ、リザには掴むことが出来なかった。
そういえば、一人で歩く時の彼は足が速かったことを思い出す。
もう角を曲がってしまったのかもしれない。
見えないのはきっとその所為だ。
ただそれだけだというのに――――


「――――ッ……」


不意に取り残された心許なさがリザを襲い、不覚にも嗚咽が漏れそうになって、慌てて口を塞いだ。
ロイがリザに残した熱を求めて、自分の頬に左手を添える。
そこに触れるとやたらと痛い。
リザは、込み上げるものを止めることが出来なかった。





次回、『増田の逆襲』。
お楽しみに…ンガググッ(某波平一家)。



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