Please let me protect XXX.――11





数キロ前を振り返れば、鮮やかな喧騒を彷彿とさせるネオンが晧々と瞬き始めているというのに、
砂塵を巻き上げて低い唸り声を発している軍用ジープの周囲には、何の賑わいも見出せなかった。
同じ国内、しかも同地区とよんで差し支えないほどの距離にありながら、まるで廃墟と化した街中は、
より一層内戦の悲劇を物語っているように思える。
肌の色、言語、宗教、思想――――

ありとあらゆるもので優劣をつけたがるのは、人間という生物の必然の理なのかもしれない。


「つつがなく終わりましたね」


本来なら佐官地位にいるロイが、たった2名の部下を伴い訪れるような場所ではないのだが、
階級社会において上からの命令は絶対だ。
これみよがしにロイの失態を狙った視察任務もしかし、残すは瓦礫の建ち並ぶ無愛想な帰路だけとなっていた。
内戦地への視察だというのに、あまりに大人しすぎた視察は、まさに嵐の前の静けさと表するに相応しい。
ハンドルを操るハボックの言葉に、後部座席のロイが鼻で笑うのが見えた。


「表面上はな」


ロイの言葉に助手席で警戒の色を濃くしたリザも同意する。


「そろそろ大佐へのラブコールが始まるわよ」
「……いいッスね。モテモテ」
「本命からのラブコールがあれば充分なんだがね」
「――来ましたよ、大佐の本命」


崩壊した建物の影でかすかに蠢く人影を、疾風するジープの中から捉えたリザのトーンが下降した。
つい数時間前、執務室で女を垣間見せた彼女と同一人物とは到底思えない凛とした姿に、ハボックは口笛すら吹きたくなった。
ロイにしてもそうだ。二人の完全な割切り具合は賞賛に値する。
例えこの後、再びロイの詮索を受けると分かっていても、仕事は仕事。

素早くライフルを構えたリザを確認して、ハボックはより深くアクセルを踏み込んだ。
勘に任せてハンドルをきる。
すぐ横で巨大な爆発音とともに砂塵が車中に舞い込んできた。
爆風に視界を遮られながらも、方向感覚だけは明確に頭の中で思い描きながら車を走らせた。


「少尉、運転は任せたわよ」
「――イエス・マム!」


ハボックの返事と同時に、隣で檄鉄の爆ぜる音。
嗅ぎなれた硝煙に心音が高まる。
軍属のそれと分かるジープを狙う輩の目的は言わずもがな。
上官二人の察し通り、足がつかないようにと裏から手配されたロイへのラブコールだろうことは、安易に予測できた。
この事態を承知で命を受け、涼しい顔で戻るであろうロイは、確かに権力の上で安穏と胡座をかく上層部にとって、
脅威以外のなにものでもない。
立て続けに聞こえる爆発音と銃声に、敵もこちらの正確な位置を捕らえきれていない事を確信して、
ハボックは只管に車を走らせた。
唯一の足がやられなければ、このまま市街地へとんずらするのが得策だ。
報告書は内戦地での小競り合いとして処理される。
悪辣な視界で手荒くなる運転にもかかわらず、激しく上下する車中から、正確に打ち抜いていくリザの腕は容赦がなかった。
無駄のない弾の行方は、直後に乱れる発砲音や微かに聞こえる悲鳴と怒号によって証明されてゆく。

只管アクセルを踏み続けていたハボックが、不意に嫌なものを感じ、大きくハンドルを左に流すと同時に、
激しい衝撃が車体を大きく揺さぶった。
急な方向転換に右へ左へと傾ぐ車体が転倒しないように、ハボックはそれだけに意識を集中させてハンドルをきる。
一種の防衛本能で閉じていた瞳を開けると、通るはずの場所には歪な穴がぽっかりと口をあけていた。
辺りにはさらに火薬と砂塵が混在した息苦しい煙を巻き上げている。


「――らっきー……って程でもないッスね。ヤバイです、大佐」


流石に今の衝撃で運転席側まで弾かれてきたリザを片手で押し戻しながら、再びアクセルを踏む。
呟いたハボックの眉間に皺がよる。
エンジンに不調はない。だが今の衝撃で、方向を見失ったかもしれない。


「……よく出来た構図だな」
「そうですね」


今向かう先が、相手のフィールドに逆戻りという事態だけは避けたいものなのだが。
ロイの呟きにリザが首肯するのが見えた。


「下手うてば南部内乱の刺激に暴動の煽動で降格、あわよくば尊い犠牲者として二階級特進、永遠の少将か」
「お偉いさんってやっぱ頭いいんスね――ってコンチクショウ!」


フロントガラスに嫌な音を立てて、銃弾がめり込んだ。
防弾とはいえ、視界と心臓には殊のほか悪い。
ハボックの視界が割れたガラスに遮られ、ハンドルをきりなおした――――瞬間。


「――――大佐!!」


叫び声と同時にリザがガコッという奇妙な音を助手席から残して、ハボックの視界から消えた。
次いで後方に続く不快な銃声とそれに呼応して飛び散るガラス片がハボックの剥き出しの指を掠め落ちた。

何が起こった――?

状況を素早く理解するには、視覚も聴覚も余計な音が入り込みすぎる。
砂が掃けて突然視界に飛び込んできた巨大な枯木をドリフトで避け、微妙な浮遊感を感じたままアクセルを踏み込み
再びの方向転換。
そのままもう一度助手席に目をやって、


「中尉!?」


ハボックは後部座席に向かって叫んだ。
発火布を嵌め込んでロイの手が、リザの腕を掴んでいるのが見える。
意思を込めて抱きとめているらしいその手に、ロイが無事なのは理解できた。
そのロイを強引に頭ごと押さえつけ無理矢理抱き抱える姿勢のリザは――――

分厚い軍服に阻まれ、庇護されている部分には砕けたガラスの脅威はそれほどではない。
だが、彼女の肩口に広がる黒は何だ。
急速に侵蝕を広げるそれにばかり視界を占領され続けるわけにもいかず、ハボックは前方に意識を戻そうと努力した。

助手席のリクライニングが思い切りよく後部に倒れこんでいる。
リザが咄嗟の判断でその身を呈し、ロイを護ったのはあきらかだった。
ロイの脳天を目掛けて発せられた銃弾は、リザにより目的にあたることは無く、
幸か不幸か、ロイの全てを抱え込むようにして覆い被さったリザの左肩を新たな獲物と定めたらしい。
肉片が飛び散ったあとは見受けられなかったが、貫通もしていない。
それは庇われたロイの頭が無傷だということが証明していた。
被弾した場所それ自体は悪くない――――が、決して良くもない。


(早ぇな、チクショウ!)


バックミラー越しに確認できるどす黒い染みが広がってゆくのを確認して、ハボックは舌打ちしたい気分だった。
動脈がやられている。
あまり長居は芳しくない。
わざと砂塵を吹かし上げて、視界を遮り相手の目をくらます。


「――――ご無事、ですか……?」


気絶していないのだとしたら泣き叫んでもおかしくない傷を抱えたリザの声は、意外なほど落ち着いて聞こえた。


「中尉!肩――」
「――発火布が」


ミラー越しのハボックの呼びかけは黙殺された。
かわりに、汚れます、とリザの右手が彼女の腕を掴んだままだったロイの手を解くのが見える。
正論だ。
このまま危うい敵陣の中で、ロイの発火布が湿っていては退路はますます危うくなる。
こんなところで分かりきった策略に嵌まるロイではない。
だがしかし、この状況下においてリザの台詞は、図らずもロイの次の行動を決定付けてしまった。
ロイはおもむろにリザの肩を押さえつけた。


「――っな……!大佐ッ!!」


一瞬痛みに喉を鳴らしたリザが、しかしロイの行動に気色ばむ。
押さえつけられた肩口からは、次々と鮮血が染み出してきていた。
白い発火布に吸収されて、軍服に染み込むときよりも、リザの血の赤が強調されてゆくのが、やたら目に付く。
これでロイの片手は使い物にならなくなった。
リザからの糾弾の声を無視して、ロイはそのまま片手で彼女を後部座席に押し付けた。


「何を、」
「――――止めろ」


ロイの視線がハボックに突き刺さる。
言われた言葉を瞬間で反芻して、ハボックは素っ頓狂な声を上げた。


「マジっすか!?ここで!?」
「いいから止めろ」
「ハボック少尉!そのまま行きなさい!」


運転には多少なりとも自信があった。
リザの言う通りこのまま進めば、どこをどう通ったとしても、上官を中央に戻す自信がある。
そしてロイの言う通り仮にここで止まり首謀者を捕らえられる自信は限りなく少ない。
敵にまんまと逃げられでもしたら、それこそ言い訳もできない。
しかし抑えても溢れ出す赤黒い液体とともに声を荒げるリザの顔は、見る間に蒼白になっていく。
このまま走り続けて、彼女を生かして戻す自信は――――


「ハボック」


歯噛みしたい思いで逡巡するハボックの思考回路を、ロイの低い声が遮った。


「上官命令だ」
「――――イエス・サー!」
「少尉!!」


凛と張ったであろうリザの声が普段の数倍か細いことを言い訳に、
ハボックはこれでもかとクラッチを踏み込んだままアクセルを吹かす。
思い切り巻き上げられた砂塵の中、最後にもう一度だけ大きく唸りを上げた車体は、けぶる空気を纏わせ停止した。






臨場感溢れるシーン書ける人ってすごいんだと思います。
……精進せーや(平伏)。



1 1