Please let me protect XXX.――12





搬送された先の病室で、リザは不機嫌さを隠しきれなかった。
過度の負担がかからないようにと固定された左肩が違和感を訴えているが痛みは無い。
めり込まれた鉛の除去は麻酔を伴って行われた為、まだそれが完全に抜けきらない傷口はニブイ痺れがあるだけだった。
だからこの不快さは痛覚に帰属するものではなく、リザのベッドのすぐ脇で、パイプ椅子に腰を落ち着け、
読書に耽るように見せかけて、その実リザの視線や意図に気づいている男に向けた、ムカムカとした苛立ちに他ならない。


「そんなに見つめられると緊張するな」
「歪曲解釈もそこまでいくといっそ賞賛に値しますね」
「なら褒めてくれ」


すかさず睨めつければ、ロイは漸く本を閉じて、大仰な動作で肩を竦めてみせた。
リザの言わんとしていることを全て承知の上で、のらりくらりとかわそうとするのはロイのいつもの癖だ。
溜め息をつきかけたリザの右手にロイの手が重なる。
片手で器用にサイドテーブルへと本を置いて、ロイがふと笑った。


「大佐――」
「ネズミを焙り出すのは得意なんだ」


リザの言葉を遮って得意げに告げるロイに、ますます剣呑に眉を顰めてみせた。


「得意不得意の問題じゃありません」
「捕まったんだからいいじゃないか。テロリストの親玉だぞ。上の連中への良い手土産になった」
「――だから!」


思わず発した声の大きさに内心で戸惑いつつも、リザはロイを睨み付けるのを止められなかった。


「捕まらなかったらどうなってたと思うんですか!貴方が!ただでは済まなかったんですよ?
 司令官ともあろう方があんな易い挑発にまんまと引っかかるなんて――……!!」


ロイの行動は軽率すぎた。それは紛れもない事実だった。
あの場はただ黙って逃げに徹するのが最良の策だとロイが知らないはずもないというのに、
パフォーマンスでは済まされない危険な賭けに出たのだから。
ロイの言う通り、捕まったから良かっただけだ。
そうでなければ、失敗は即ち、ロイの失脚を意味していたかもしれない。
易々と意のままに動かされる男ではないのも確かだが、少なくとも大きな汚点にはなり得る。

それなのに、何故彼がそうしたのか。
理由は火を見るより明らかだ。
『リザが予想以上の深手を負ったから』――――おそらく外れてはいない。
例え負傷者がハボックだったとしても、ロイはきっと同じ事をしたとも思う。
ロイは部下が傷つけられることを酷く嫌うからだ。
知っていて、いくらロイを守るためとはいえ負傷したのは、明らかにリザのミスなのだ。

ロイを守ると決めたのに――――

あの時、ロイを庇って自ら被弾したのは間違いではなかった。
だけどもそれは結局、ロイをより危険な局面に晒す結果となってしまった。
今回のことにしろ子供のことにしろ、自分はロイの枷になってばかりいる。
そう思うと、不甲斐無さに、知らずリザの手に力がこもった。


「易いかどうかは私が決める。君が責任を感じることはない。
 ……それに、これでも一応修羅場を潜り抜けてこの場に居るんだぞ。勝算のない賭けをしたつもりは端からなかったんだがね」


思いつめた表情のリザの指先を、ロイの両手がゆるゆると解していく。
労わりを存分に含んだロイの口調に、その時になって初めて、リザは自分がロイの手を強く握り返していた事実に気がついた。
今更慌てて引き抜こうとしたが、ロイの両手がそれを許さなかった。
かわりに先程とは打って変わって「痛むか?」と厳しい口調で問われては、返答意外に返す言葉が見当たらなかった。
情けないと思う。


「……平気です。ご心配をお掛け致しました」
「そんなに青褪めた顔で言われても説得力はないな」
「問題ありません。麻酔が切れれば一度司令部へ戻り、家に――」
「出血多量で暫く安静と医者に言われただろう?いいから今日くらい大人しくしていたまえ」
「しかし」
「大人しくしてろ」


命令口調でそう言われ、リザは言いかけた言葉を飲み込んだ。
残務処理や報告書の提出は滞りなく済んでいるのだろうかとも思ったが、
それより一泊とはいえ入院する羽目になったことに対して逡巡した。
子供をグレイシアに預けたままだということに思い当たる。
まさかロイに、子供が心配だなどと言えるわけもなく、どうしたものかと俯き加減になってしまった。
そんなリザに訝しげな視線をやっていたロイが、不意に何かに思い当たったような声を上げた。
つられてリザも顔を上げる。


「――安心したまえ。今、ハボックをやっている」
「え?」
「子供のことだろう?君の治療中にグレイシアに電話も入れた」
「あ――――りがとうございます……」


思いもかけないロイの事後報告に呟くように礼を述べて、リザはロイの顔を見つめた。
こんな時にリザの子供のことなど、全く歯牙にもかけられないものと思っていたのだが、
そこまであっさりと気を回してくれたロイに、何故だか淋しさが募る気がする。
今頃、ハボックはグレイシアの家で状況報告などしているのだろうか。
ロイがわざわざハボックをやったのは、リザが不在の今、せめて父親が面倒を見ろとでもいう配慮なのかもしれない。
だとしたら、後でまたハボックに謝らなければいけない、とリザは思った。
責任は全て自分が取ると勝手に産んだのに、人の良すぎる部下には本当に申し訳ない。


「……愛してる?」
「あい――――……え?」


自分の思考に没頭していたリザは、ロイの言葉に一瞬呆けて、それから間の抜けた声で問い返した。
問い返してから、それがどこかで聞いた質問だと考え、数時間前の執務室での遣り取りが思い返されて、
リザの表情が俄かに強張った。
繋いだ手からもその動きを感じ取って、ロイが苦笑してもう一度問い掛ける。


「子供を。君は愛してるんだろう?ハヤテ号は妬かないか?」


躾に銃は使うなよと揶揄するように言われ、リザの顔に微笑が乗った。
まだ乳児の躾に銃だなんて、いくらリザでも流石にしない。
それを承知で気持ちを解すために言ってくれたのだと思うと、笑ってしまう。


「そういえば、まだ性別も聞いてなかったな。女?」
「……残念ですが男の子です」
「警戒しないでくれ。いくらなんでも乳幼児に手は出さないよ」
「思春期辺りだと手を出すんですか」
「思春期の少女、か。まあ、もう少し若ければ考えたがね――――って冗談だ。引くな」


軽口の応酬が麻酔の切れかけてきた傷口の痺れに心地いい。
相変わらず重ねられたままのロイの掌の重みもちょうど良かった。


「似てるか?君に」


穏やかな談笑の延長にそう問われ、昨夜あどけない顔でリザに笑いかけた息子を思い浮かべた。
自然と頬が緩むのを自覚する。


「………………そう、ですね」


どこか自信なげな響きを帯びてしまったことに苦笑した。
リザの子だ。似ていないわけではない。第三者のグレイシアは「リザにも似ている」と言っていた。
だが咄嗟に思い浮かぶ彼の特徴はあまりにもう片方の遺伝子を色濃く受け継いでいるような気がして仕方ない。
しかしここでそれを正直に言って、わざわざこの雰囲気に水を差すこともないと思った。


「ふぅん――――父親似か」


リザのささやかな安穏を願う気持ちは、だがやけにこういう時の勘だけは鋭いロイには通じてくれなかったらしい。
リザが息子を想うことで微笑し、思いを巡らせた時点で生じる僅かなタイムラグが、ロイの言葉を裏付けてしまったのかもしれない。


「…………」


今更それについての否定も肯定もおかしな気がして、リザは押し黙った。
少しだけ浮上していた気分が一気に下降する、と内心で歯噛みする。
こんなことなら最初から「どちらにも」とでも答えていれば良かっただろうか。
今日は全てが裏目に出てばかりだと思うと、また情けなくなる。
視線を落とした先に、まだロイがリザの手を包んでいるのが映った。
ロイの手が指を絡めるように動く。


「大佐」
「グレイシアは、君が一人で子供を育てていると言っていたが」
「そうです。……離して下さい」
「ハボックには恋人がいるからか?私にはいないぞ?」
「……特定の、という言葉をお忘れでは?それよりも手を離して下さい」


無理に絡められているわけではないのだから、本気で嫌がればすぐに離れそうだと思いつつ、
リザはロイがゆっくりと自分の指を絡めていくのを見ていた。
講義の声は無視して、不特定もいない、とロイが続ける。


「君も子供も顧みない男より、私の方がお買い得だ。私にしとけ」
「何を――」
「高給取りで仕事も出来るいい男だ。損はしないと思わないか?しかも更に目玉部分まであるぞ」
「大佐、いい加減に」
「君を愛してる」
「――――……ッ」


反射的に顔を上げたリザの視界に、今し方までロイが腰掛けていたパイプ椅子にかけられた軍服が床に落ちていくのが映った。
ロイの声がやたらと近くに響く。
吐息がリザの耳朶に触れた。ロイの髪が、頬をくすぐる。
そっと、震えるように抱きしめられているのだと気づくまでに、やけに長い時間がかかった。
愛してる、と聞こえた。


「バカな事を……仰らないで、下さい」
「本気だよ」


肩を抱かれ、解放されていたリザの右手はロイのシャツを掴んでいた。
押し返すというにはあまりにも弱々しい。鼓動に合わせて、指先が揺れる。
思うように力が入らない指先は、もどかしさをロイのシャツを強く掴むことで代弁しているかのようだ。


「――――ッ」


首筋に覚えのある柔らかさが触れる。
びくりと体が揺れ、息が詰まった。


「――た、いさッ」


近すぎるロイの黒髪を抱き寄せたい衝動に駆られるのを必死に押し止め、リザは肩口にしがみついた。
ロイの唇が、何度も軽く、リザの項を行き来する。
知りすぎたロイの動きに愛おしさが沸いてくる。
無意識に反応を返しそうになる体が憎らしくて、どうしようもなくもどかしい。
抱きしめられることも抱きしめることもしてはいけないのだと言い聞かせて、
しかし無理に圧し掛かっているわけではないロイを、強く押し戻せないでいる自分の意志の脆さに涙が出そうになるのを、
唇を噛むことで辛うじて自制した。
きちんと応えるでも拒絶するでもなく、震える指先でロイにしがみつくだけのリザに、ロイが動きを止める。


「…………本気で嫌なら言ってくれ」


リザの肩口に額を押し付けて、苦しげに吐き出した。


「無理強いはしない…………よう努力する。だから、君の本心が知りたい」
「――――私、は――――」
「――――失礼しまー……何やってんスか、大佐」


ろくなノックもせず飛び込んできた声に、ロイがわざとらしく溜め息を吐くのが分かった。
吐き出された息は逃げ場もなく、そのままリザの肩を熱くする。
本心をと言われ、一体何を続けるつもりだったのか自分でも分からぬままに、
奇妙な安堵と落胆を胸に、ロイがゆっくりと立ち上がるのを待った。


「少尉」


ロイの体越しに、入り口から二歩三歩と進むハボックを認めて声をかける。
思った以上に小さく響いて、まるで今の心境を現しているようだと思った。
リザの呼び掛けに、少し肌蹴た病院着の胸元に目をやって、ハボックが呆れを顔中に貼り付けて言う。


「盛らんで下さいよ、こんなとこで」
「タイミングの悪さは天下一品だな」


ハボックの苦言も、ふん、と大柄に言い退けて、ロイはハボックへと近づいた。
リザは距離の縮まる二人をロイ越しに見て――――


「――――ッ!少尉!!」


思わず布団をはねのけた。
数時間ベッドに縫い付けられていた頭が一瞬揺らぐが、それよりもハボックが大事そうに抱えているモノを認識して、
声が震えた。
そのまま飛び出しそうになったリザに気づいたロイが、慌てたようにリザをベッドへと押し戻すのを
自由になる右手で払いのけながら、信じられないと体全体で訴えながらハボックを睨みつけた。


「まだ麻酔が抜けてないだろう。むやみに動き回るんじゃない!」
「どうして――っ」
「……私が命じた。連れて来い、と。許可は取ってある」


言われて、ハボックから僅か視線をロイに移して、またすぐに戻した。
それ以上近づくな、と無言の圧力で睨み付けるリザに勢いに、一瞬その場に立ち尽くしていたハボックだったが、
腕の中を覗き込み、それから意を決したように再び歩を進める。


「少――」
「いつかは話すんでしょ、中尉」
「…………!!」


そうは言った。だが何も今、こんな時にそれを言うのか――
大きい歩幅であっというまに間合いを詰めたハボックを気配で振り返ったロイが立ち上がる。
――もうダメだ。
長身のハボックが、最後にもう一度抱え直して、抱いているものに笑いかけた。
屈託のない笑い声がリザの耳に届く。ロイの手が動いた。
リザは強く唇を噛んで、ベッドに腰掛けた状態で、ぎゅっとシーツを握りしめた。


「落っことさんで下さいね」
「当ぜ――――――……ん、だ……」


初めての対面は、ロイの語尾を徐々に消し去っていった。
それきり固まったように動かないロイの腕の中で、小さな手足が収まりの良い場所を求めて蠢いた。







すんません。終わらなかったです……ひぃ。
とりあえずテーマは「ごたいめーん☆」で(殴)。
次で最後…!次で!きっと!たぶん!ごめんなさい!



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