Please let me protect XXX.――13





「大佐」
「………………何だ」


喉が張り付いたようにカラカラで、声を出すのにやたら間を必要とした。
沈黙は、実際には一分もなかったかもしれない。
が、ハボックの呼びかけで、再び秒針の音が聞こえ出したくらいの意識の揺らぎはあったらしい。


「なんつーか、今更なんスけど」


頭一つ分は背の高い部下の声が上から降ってくるのに、ロイは視線を上げないままで先を促した。


「中尉の休暇日数考えたら、もっと早くに分かったんじゃないっスかね」
「………………」
「オレ、生憎自殺願望はないつもりなんで」


じゃ、と等閑な敬礼をしてハボックが退室した。
リザは微動だにせず、勿論ロイに何かを言うでもなく、ただ黙してシーツを握りしめている。
今し方出て行ったハボックの台詞を反芻し、頭をフル回転で稼動させた。
外が雨の所為か、浮かんできた解釈にオーバーヒートするかもしれない。

リザが返上したさして長くもない育児休暇は、残り1ヶ月を切っていた。
産休初日に遡り、さらに子供の生後日数を考えれば、リザのおおよその妊娠日くらい単純な計算式で浮かび上がる――
――はずなのに。
脳がスパークしているのか、練成陣の構築式より難解な気がするから不思議だ。
安易にはじき出された答えを、幾度も振り出しに戻って計算し直す。

通常十月十日で分娩に至るとして。多少の前後があったとしても、だ。
全くロイに気づかれず、他の男と情事に耽っている時間があったとは到底思えないほどに
公私の束縛を受けていたリザの胎内に、受精卵が着床した時期はほぼ確実に。
――ロイの赴任前しかあり得ない。


「――――中尉」


呼ばれて、リザがびくりと肩を振るわせた。
もう少し柔らかい声が出せれば良かったのだが、硬質な響きになってしまう。


「実は半年で出産できる特技とかあったりしないよな?」
「……は?」
「いや、気にしないでくれ」


例え早産でしたといわれたところで、限度があるというものだ。
ロイの腕の中でこちらを見上げている彼は、未熟児とはお世辞にも言えない。
リザの口から真実が知りたかった。
子供の父親を。
この、自分とあまりにも似通いすぎた分身のような黒髪の子供の父親を。
そして何よりもリザの気持ちを。
問おうとすれば口が渇いて仕方がない。
小さく咳払いをして、声の調子を整えた。


「優性遺伝の法則というのを知っているな」


言って、ロイはリザのシーツを掴んだままの指に視線を落とした。
僅かばかり力が込め直された指先が、一層白さを増していく。
それを肯定の徴と受け取って、さらに続ける。


「人の形状を構築する遺伝子には優勢遺伝子と劣性遺伝子がある。両親から受け継いだ遺伝子が発芽する場合、
 当然劣勢遺伝子は優性遺伝子に逆らえない。種子の場合だと、丸が前者で皺が後者だな」
「……知っています」
「うん。だろうな。では金と黒では?」
「ブロンド同士でも黒が生まれる確率がないわけでは……」
「金髪が欲しかったのか?じゃあ、二人目は善処しよう」
「そんなことは言ってません!」
「私もそんなことは聞いてないよ、リザ」

上げられたリザの顔に視線をやって、ロイはふと笑って見せた。
今にも泣き出しそうなリザとは反対に、つられたように、腕の中の子供が笑う。
彼のまだ柔らかな猫っ毛を優しく梳いて、ロイは正解を口にした。


「優性遺伝子は黒が正しい。だからハボックではあり得ない、とまでは言えないが、君がブロンドでこの子がブルネットなら
 可能性は極めて少ない。更に遺伝というのは形質にも帰属する。つまり似る、ということだ。
 君に私の子供の頃の写真を見せようか」
「必要、ありません」
「――まあそうだろうな。わざわざ見なくともこの子の父親は――」
「ブラックハヤテ号です」
「………………」
「………………」


私だろう?と言う機会を逸してしまった。
睨めつけるように言って、フイと顔を逸らしてしまったリザに、一瞬ロイが面食らう。
同じ黒髪という点でいうなら、フュリー曹長辺りで誤魔化しに来るかとは思っていたが、まさか彼を持ってくるか。


「…………遺伝がどうこういうレベルを超えたぞ。というかそれは獣か――ブッ」
「嘘です!」
「……知ってるよ。その前に本の角は痛い。それ以前に子供に当たったら可哀相だとか」
「大佐がくだらないことを仰るからです!顔できちんと受け止めて下さいっ」


サイドテーブルに置いたままだった文庫本が子供の頭に当たる前に、反射的に掴んで抗議したが、
ベッドシーツを目元までたくし上げて答えるリザに苦笑する他ない。


「リザ」


ロイがベッドに近づくと、リザがまた身を強張らせたのが分かった。
端に腰を下ろしシーツを捲ると、大した抵抗もなくされるがままになっていたが、リザはロイを見ようとはしなかった。
かわりにロイの腕の中からリザを見上げる子供に視線を送り、微かに微笑したように見えた。
リザの母親らしい表情は初めて見る。
片手が不自由なリザに抱かせるのは憚られて、二人の間に子供を寝かせると、彼の頬に優しく触れた。
気持ち良さげに目を閉じて、頬を摺り寄せるのは母親似だな、と思う。
しかし、全体的な形状はどう見ても――――


「私の子だろう?」
「…………申し訳、ありませ」
「何故だ?」


謝罪の言葉を遮って、ロイは静かに続けた。


「何故、嘘をつく必要が?いや、その前に普通子供が出来た時点で言うだろう」
「それは……」
「誰の子か分からなかった、とか言うなよ」
「違います!」
「なら何故今まで隠してた。こんな、すぐに分かる嘘まで付いて」


リザの髪に触れて、その手で子供の黒髪を撫でる。
俯いたままのリザの手が、シーツを握り締めた。


「貴方に――」
「うん」
「――無用な負担をかけたくなかったんです」
「負担?」
「…………これは、アクシデント、でした。貴方にとっても。私にとっても」


リザの告白は、しかし否定し難い事実に違いなかった。
確かに今のロイには、特定の、しかも部下とのスキャンダルは良いことではない。
同様に、リザにとっても――彼女が女性という観点から考えれば余計に――軽率に望めることではない現実だ。
そもそも二人の関係があやふや過ぎた、というのが発端なのかもしれなかったが。


「貴方を煩わせるだけの存在は、私が処理すれば済むだけの話です」
「……ちょっと待て。こういうことは君一人の問題じゃない」
「そうやって――――貴方は奪う命にまで責任を感じてしまうから…っ」


僅かに語気を強めたリザが、肩で大きく息を吐いた。
吐き出すように続ける。


「知らせないで、処理をしようと、思ったんです」
「それこそ、君が一人で背負うべき責任ではないだろう」
「……思っただけで、実行には移せませんでした」
「思うだけでも止めてくれ」
「貴方の枷になると知っていたのに、私は――――」


心臓に悪い。ハゲそうだ、とロイは思った。
自分の為に、自分との子供を、自分に内緒で処理されていたら、一生自分を許せない。
己を責めているかのよなリザの口調に、移せなくて良かったと息が零れる。


「どうしても産みたかった……!」


ずっと胸につかえていた塊が、告白と共にリザの中から溢れ出してくる。
子供が出来ました、という一言を、ロイに伝えなくてはと知っていた。
だが、望まれないと判りきった答えを聞くことが出来なくて、赴任先からの彼の声に幾度も電話口で泣きたくなった。
ロイへ伝える真実はもっと後で、もっとずっと先に、このままずっと伝えなくても良かったとさえ思っていたのだ。
それが如何に浅はかで刹那的な考えだとは分かっていたけれども。

堪えても堪えきれなかった涙が、俯く頬には流れずに、直接シーツに染みを作った。


「君は――」


ロイの声に身が竦んだ。硬質で苦渋の色がある。
身構えたリザに、


「君は私をハゲさせたいのか」
「………………はい?」


とんでもなく間の抜けた声を出して、リザは思わずロイに顔を向けた。
渋面で、しかし怒りの色は感じられない表情が、リザを見つめる。


「君の所為で、私は本当にハゲるかと思った」
「は……?ハゲ、ですか?……え?」
「――本当なんだな?」
「ハゲがですか?」
「違う、それはどうでもいい。子供だ、子供」
「……大佐、意味が……」


分かりません、と言いかけたリザの言葉は声にならなかった。
触れるだけの唇が静かに離れるても、ロイの顔がやたらと近くで停止する。
リザの視界に、息子とは違う、だけども良く見知ったロイの黒髪が揺れていた。


「……ハボックの子だと偽って、そのくせ私を拒まない。どれだけ悩んだと思っているんだ」
「たい――」
「安心した」


額を合わせながら、ロイの手が下でシーツを掴んだままだったリザの手をにぎる。
指の間に絡められたロイの骨張った指があたたかくて、心がざわめく。


「私の子だから、産みたかったんだろう?」
「――――ッ」

ロイの確信に満ちた物言いに、思わずリザは顔を上げて、しかしすぐ様後悔する羽目になった。
掴まれた手が熱い。
合わせたロイの目が潤みを帯びていて、虚言で誤魔化すことなど出来そうもない。
どうしようもなくて、ただ、子供のようにこくりと首を振ることしか出来なかった。


「良かった」


涙のあとを辿るように唇ですくって、それから二人の間でいつの間にか寝息を立てている子供へ
屈みこむようにして額へキスを落とす。
その頬を、髪を、幾度も愛おしげに撫でさして、ロイはリザに向き直った。


「――……いいん、ですか?」
「馬鹿者」


乾ききらないリザの頬を親指でなぞり、傷口に触らぬように、ロイはゆっくりと片腕を回す。
ギシ、とスプリングの軋む音が、やたら遠くで感じられた。


「うれしくて泣きそうだよ」


繋がった指先に力をこめることで、返答した。
抱きしめられて、耳朶にありがとうと囁かれて、謝辞を述べるべきは自分のはずなのにと思いながらも、
また涙が零れた。





* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *





巡回の看護婦が術後の状態を診に来るまでに、この体勢は立て直すべきだと、頭の片隅でリザは冷静に考えていた。
おそらくは病室の外で何らかの場合に備えハボックが待機しているだろうから、滅多なことはないと思いながらも、
いつまでもロイにしがみついている場合ではない。
そっとロイの胸板に埋めていた顔をあげると、離す気はないといわんばかりに、リザを抱きしめる腕が強まった。
仕方なしに、そのままの姿勢で溜め息を吐く。


「ところで、今後のことなんだが」
「大丈夫です。ご迷惑はおかけしません」
「迷惑って、リザ――」
「――今まで通り、私が育てますからご安心を」
「ちょっと待て!」


現実的な側面を捉えれば、現状維持が最良な選択だ、とリザは考えていた。
それで例え、ハボック辺りが可哀想な噂に翻弄されたとしても、事実が明るみに出るよりははるかにいい。
部下と実はデキてました、などと口が裂けても言えるわけがない。
ロイが上へ行く為の小石はないにこした事はないのだ。

だのにロイは、そんなリザの提案を両手で彼女の頬を上向かせることで遮った。
急に動かされて、左肩の痛覚が刺激される。麻酔が切れてきたらしいことを自覚した。


「全然大丈夫じゃないぞ。何だそれは」
「ですから今まで通り――」
「君には傍にいてもらう。無論彼もだ!」
「何父親みたいなことを言ってるんですか」
「父親だろう!?」


ロイの言葉に、リザは眉間に皺を寄せて息を吐く。
肩の痛みとは別に、頭痛がするような気がしてこめかみを抑えた。

                   わたし
「……そうですけど違います。部下との子供がいるなんて、貴方にとってスキャンダルもいいとこです。
 大切に想って下さるのは、その…嬉しい、です、けど、それとこれとは話が別です。
 もっと現実的にご自分の将来を考えて下さ、」
「結婚しよう」
「……………………聞いてましたか」


頭が痛い。
リザの言葉が終わらないうちに、こめかみを抑えていた右手が取られた。
真剣そのものといった表情で求婚する男に向けるものではないと思いながらも、リザは心底呆れた視線を止められなかった。
が、ロイがそれを意に返す様子は全くない。


「君と子供の将来を考えた末の結論だ」
「それは私が考えます。貴方は貴方の将来だけを」
「結婚し」
「イ・ヤです」


なるだけ穏便に、しかし頑として拒絶するリザに、しかしロイも食い下がる。
ロイと結婚など、今のリザに出来るわけがない。
今更軍を辞めろなどと言われるわけもなかったが、それとは別に、基本的かつ重要な問題があるではないか。


「だって好きだろう。だから一緒に」
「なろうだなんて貴方おいくつですか。世の中そんなに甘くありません」
「知ってる。だがこんなことで落ちるほど無能ではない。だから安心して私と」
「結婚すると、私は貴方の補佐官から外されますが」
「――――あ」
「……………」


夫婦で軍属はあり得る。
別に軍部内恋愛が職務法規に違反するなんてこともない。
だが、流石に直属の部下ではいられまい。


「大佐」
「――――なら予約だ」
「…………は?」


予想だにしなかった単語に、リザの思考が一瞬止まる。
意味を掴み損ねて問い返せば、大仰なほどの渋面で溜め息を零すロイと視線が合った。


「大総統補佐官なら誰も文句は言えまい。だから予約だよ。未来のファーストレディで手を打とう」
「……バカですか」
「バカで結構。男は須らくバカなものだ。だがそんなバカに惚れた君も相当なバカだ」


不遜な態度で抱き寄せられて、リザは思わず小さく吹き出した。
小さな子供の口約束のように軽率で、何て愛しい誓いだろう。


「解約の場合はキャンセル料、頂いても?」
「キャンセルは利かないんだよ、この予約は」


取り消し不可だ、と耳元で囁かれて、くすくす小刻みに肩を震わす。
振動が肩に響いたが、ロイに触れているだけで満足な気がするから分からない。
傷口さえも己の気分次第なのかと思うと、余計に笑みが零れた。
と、リザの手に小さな手が触れた。
二人にその存在を思い出させるかのように、ぎこちない仕草で小さな腕を動かしている。
泣き出すでもなく、う゛、だか、うにゃ、だか判別のつかない声を上げて、二人に存在を主張した。

その声に、ロイはリザを抱く腕を緩めて、片方の手で我が子の小さな掌に指を近づける。
何かを求めるように動かされていた手がロイに触れると、意外に強い力で握られて、ロイの頬が緩んだ。
じっと見据えてくる鳶色の小さな瞳が、笑む。


「――瞳の色は君似だな」
「ええ」
「その他は――――見事に私に良く似ている。君が思わず口篭もったのも頷けるよ」
「……女性関係は特に厳しく育てます」
「君ね――……」


冗談です、とリザに微笑で返されて、ロイはリザの額にそっと唇を押し当てた。





* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *





病室横のベンチに腰をおろしつつ、ハボックは院内禁煙の文字をぼんやりと見つめていた。
火の点けていない咥え煙草も、睨まれるのが面倒なので胸ポケットにしまってしまった。
時折聞こえてくる二人の会話と赤ん坊の笑い声に、どうやら丸くおさまったらしいことを知る。


「予約ねぇ」


呟いて、首を横に傾けた。
誰もいない深夜の廊下に、コキリと関節のなる音が響く。
軽く伸びをして、壁の時計に目を向けた。
一度目の看護婦をやり過ごしたから、そろそろ二度目の巡回に来る頃だろうと思う。


(大総統になるまで結婚はしないってのは別にいいんだけどな)


むしろロイに発破がかかって良い傾向かもしれないとすら思えるが、
ハボックは素直に喜ぶことは出来なかった。
ガシガシと痒くもない頭を掻いて、無意識に胸ポケットに手を伸ばす。
少しよれた煙草を取り出し唇に挟んで、立ち上がった。
上官たちに巡回が近いことを知らせておかねば。
いつまでもイチャつかせておくわけにもいかない。


(んじゃその時まで、オレとの噂を消すつもりはないってことかね)


聞くまでもないことを考えて、結局あの二人が如何に円満におさまろうとも
自分の立場は変わらないのだと実感した。


「オレ、最低男のままじゃん」


ノックする前に呟いて深呼吸をすると、拳を握って近づける。
予約を入れた幸せいっぱいの男の顔を思い浮かべて、ハボックは勢い良く扉を鳴らした。







ちょっと最初に考えていたのと違った、かも、しれません。
知らぬうちに段々ドロドロしてきちゃったので、思い切って書き直しましたら
ラストはちょっとコミカルに(殴)。

☆★裏設定★☆
 扉を開けたら丁度増田氏が「予約の誓いのちゅー」をしようとしてたところで
 哀れハボは真っ黒焦げに。それを見た増田Jr.非常に喜ぶ。
 遠のく意識でそれを聞き、「絶対親子だ」とどちらに言うでもなく呟き暗転(鬼)。



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