戦場の駆け引き

戦場における捕虜の処遇について、味方同士、意見が分かれることがないわけではない。
長引けば長引くほど、精神的に追い詰められていく者たちの嗜虐性は計り知れない。
私はこの内戦でいやというほど、それを思い知らされている。だが――
「私がします」
「いえいえ、私がしましょう。あなたは持ち場に戻って結構ですよ」
先程から私を挟んで静かな攻防を繰り広げているこの二人の意見の相違は、まったくもって理解できない。
「……そう言って、少佐に触りたいだけでは?」
「だとしたら問題でも?」
いや、それは大いに問題がある。
だが、私が何か抗議するより先に、リザが憎しみの篭った目でキンブリーを睨みつけた。
何に対して火花を散らしているのかが理解不能だった。


少し前の出撃の際、私は至近距離から奇襲を受けた。が、それ自体はどうということもなかった。
いつもどおり、我らが鷹の目が首尾良く仕留めてくれたからだ。
初めこそ突然の銃声に驚いたりもしたものだが、最近では彼女が背中にいるという安心感も手伝って、私は少し警戒を怠っていた。
そして問題は直後に起きた。
制圧を終え居留地へ向かおうと踵を返した私は、自分の火力で周辺に巻き起こしていた粉塵に視界をとられ、見事にその場にすっ転んでしまった。
捻りはしなかったが、そこそこ派手に転んだせいで、分厚い軍服の下の脛がヒリヒリと痛んだ。
こんな間抜けな負傷は、まさか誰にも言えはすまい。
テントに戻り、一人脛の擦過傷にため息を零していると、ばさりと入り口が上げられてリザが現れた。手には消毒液の瓶と薄汚れたガーゼを持っている。


「大した傷じゃないよ」
「知っています。見ていましたから」
苦笑で迎えた私は、そう言われ羞恥に打ち震える思いだったが、そんな私をきれいに無視して、彼女はさっさとパンツを捲くり上げると、手際良く消毒を施してくれた。
それだけで済めば良かったのだが。
「――おや、怪我をされたんですか?」
何故か別の任務を終えたキンブリーがそう言って私のテントに顔を出し――。
そうして今の状況に至るというわけだ。何の因果だ。


「問題あります。そんな不純な動機の方の治療など結構です」
「あなたに触れるわけじゃない。――ああ、それとも。触って欲しいんですか?言って下さいよ」
「……」
ニコニコと底の知れない笑顔を向けるキンブリーの言葉に、私が感じた不快感を軽く凌駕した表情を見せて、リザは彼の持っていた包帯を荒々しく奪い取った。
そのまま無言で消毒を終えた傷口にガーゼを貼ると、上からぐるぐると巻いていく。
……もう一度言おう。私のこれは擦過傷――かすり傷だ。
「リ」
「乱暴ですね。そんな巻き方では、マスタング少佐が気持ち良くなれませんよ」
呼びかけた私の声を遮って、キンブリーが言った。
巻き方に気持ち良いも悪いもないだろう。
第一こんなかすり傷ごときで包帯なんぞ使っていたら、私だけでなく、アメストリス軍人はとうの昔にミイラ男軍団になりかねない。
「いや、キンブリー少佐――」
彼のおかしな言い回しに苦言を呈しかけて、
「気持ち良いです!」
……言い切られてしまった。
「それはあなただけでしょう?まったく、彼に触りたいならそうと、最初から素直に言えば良いじゃないですか。ツンデレ狙いというやつですか?」
「貴方と一緒にしないで下さい。私だけでなく、マスタングさ――、少佐もとても気持ちが良いんですから」
「いや、だから……」


何を言ってるんだ君たちは。
キンブリーの言葉一つ一つに律儀に返答するリザは、どう見ても機嫌が悪いようだ。
黙々と包帯を巻きながら眉間の皺が深くなる。
私の発言は無視され続けて、いまさら包帯の必要はないと言い出しにくい雰囲気だった。
「それはあなたの願望であって、マスタング少佐の本心ではないと思いますが」
飄々としたキンブリーの台詞に、前半はやはり理解に苦しんだが、後半は珍しくキンブリーの意見に同意できた。だが――
「そんなこと……!少佐っ、――気持ち…良いですよね……?」
「――――」


……そんな、『一生懸命ご奉仕してるにゃん☆』的な濡れる瞳の上目遣いで迫られて、否定できる男がいるのか。いやいない。
気づけば、首が勝手に前後に揺れて、私は大きく頷いていてしまった。
ほっとしたように微笑んだリザの表情が印象的で可愛すぎる。詐欺だと思った。
そのすぐ横で、苦々しいため息を吐きながら私を見つめるキンブリーの瞳に、軽い軽蔑と呆れの色を感じたが、視線を逸らして見えなかったことにする。
キンブリーは苦々しい表情そのままの声で、
「色仕掛けとは……見かけによらず、いいタマですね、お嬢さん」
たぶんに皮肉を混ぜた言い方だった。しかしリザは振り向きもせず、
「お言葉ですが少佐。私にタマはありません」
そう言ってのけた。
……戦場はかくも女を強くするのか。
かつては居候の若造の風呂上りの下着姿にでさえ、小さな悲鳴を上げた少女が。
戻らない懐かしの日々に思考を廻らせて、うっすら涙が滲んでくる。そうして気がつけば、私の足はそろそろ動きを封じられるくらいに、白い包帯で縛り上げられてるところだった。
彼女の切り返しに、しかしキンブリーも負けじと不敵な笑みを湛えている。


考えてみれば、数人で炎を囲んだ雑談中に、キンブリーの持論が展開されたあの日から、
こうして彼はやたらとリザにかまっていた気がする。
その度にリザが苛立ちを滲ませながらの反発をし――
――そうして今や、二人の諍いは私の手足を包帯にまみれて身動きも出来ない状態においやるまでに加熱している。
上半身へのミイラ化も進行を始めた。
しかしキンブリーのような男が、一介の候補生をここまでかまうのはどう考えても不思議だ。
からかいにしても度を過ぎている。これは、まさか――。
挑発するようにリザへと笑むキンブリーの態度に、私はふと思い至ってしまった結論に愕然とした。


「――……ほうは(そうか)」
包帯で巻かれた口元をもごもごと動かして声を出す。
そうか、キンブリーはリザのことを――。何故私は今まで気づかなかったのだろう。
いくら常軌を逸した爆弾狂といえど彼は男で、対してリザ・ホークアイという女性はどう贔屓目に見ても美人で可愛い。
しかも戦場という特殊な環境が吊橋効果を伴ってしまったのかもしれないではないか。
「おやおや、面白いお嬢さんだ。色仕掛けかと思いましたが、色が足りない」
「カマっぽさを色気と履き違えた男性から指摘されるとは思いませんでした」
しかし淡々と白熱し出した二人に私のくぐもった呟きは聞こえていなかったようだ。
そうこうしている間に、私の視界から光が消えた。
リザの手はスピードを増して、私の完全ミイラ化作業は着々と終焉に近づいていたのだ。
「男の色気を認められないのは幼い証拠ですよ、お嬢さん」
キンブリーの言葉に、リザが気色ばむのが気配で分かる。
ダメだ、リザ!それでは奴の思うツボだ!
一度キンブリーの思惑に気づいてしまうと、知らずに乗せられているリザが可哀想でならない。
こんな爆弾狂の魔手から、私が全力で守ってやらなければ――!
師匠の最期の言葉を胸に秘めた私はやおら立ち上がり――、しかし体は既にビクともしなくなっていた。


「――△×ξ☆~σ!!!」
ついでに呻く以外の声も出せない。包帯が人間の声まで奪えるほど巻ける事実を初めて知った。
そういえば少し息苦しい。だが、そんなことにかまっている暇はない。
私が身動き取れないのをいいことに、『――そこがとてもあなたらしい』だの『可愛いですよ、お嬢さん』などと言いながら、きょとんとした彼女にあんなことやそんなことや、果てはこんなことまでしようと企むキンブリーが脳裏に浮かんで、
私は包帯の下で声にならない悲鳴を上げた。


「――ッ!?」
と、不意に私の顎のあたりを触れる指の動きがあった。
肌がぞくりと泡立った。何だこのなぞるような粘着質な触り方は。
「その様子では、マスタング少佐の色気も分かりませんね」
視界までも閉ざされて、完全なミイラ男にされた私は、気配と聴覚だけを研ぎ澄ませた。
楽しそうな口調で私を撫でるキンブリーの動きは、それ自体に無駄な色気が詰まっていた。
何を言い出すんだ爆弾狂が。この状況で「彼」とは私か?
「――分かりますっ」
少し荒げたリザの声がすぐ横で聞こえる。それからぐいっと体を遠慮なく引き寄せられた。
何だ。いったい何の話だ。どうして私の話題になっている?
私の自問をよそに、キンブリーが小馬鹿にしたような鼻を鳴らした。
「ほう?例えば?」


例を聞いてどうするつもりだ。
リザを狙っているらしいキンブリーの思惑が分からずに、包帯の下で私は大いに戸惑っていた。
色気話なら女性に振るのがセオリーだろう!――……いや、そうではなく。
こんな話題転換から、どうして彼女の気を引ける。それとも何か?新しいプレイか何かなのか?
「それは――」
リザが息を吸った。
次の瞬間、私の下腹部――より、もっと下。いわば臀部の裏側に位置する、つまり、何だ……
……男の男たる所以の場所に、突如として衝撃が走った。
「〜〜〜〜〜〜!!?」
「この引き締まったお尻ですが何かっ」
違うリザ!台詞の場所はそこの後ろだ!というか叩くな!いや、例え尻に色気があっても触らないだろう普通!
包帯のせいで前後不覚に陥ったのだと善意的に考えてみても、景気づけに軽く背中を叩かれたくらいの衝撃は、予想もしなかった私の脳に綺麗な火花を2、3個飛ばした。
この一撃で、目頭に熱いものがこみ上げてくる。
しかしすぐさまキンブリーが鼻で笑った。
「やはりあなたはお嬢さんだ。男の臀部など、至極一般的なセックスアピールに過ぎませんよ。
そんなものより彼の素晴らしさは――」
人の尻をそんなもの扱いするな馬鹿者。
涙目で反論出来ないもどかしさに身を捩ろうとした瞬間、すっと胸板にキンブリーの手が添えられた。
「この背筋につきます」
「△◎#s\(^▽^)/……!!!」
愛おしそうに撫でないでくれ。それからそこは胸だ。背中じゃない。お前もかキンブリー……!
布越しに男の熱い体温を感じて悦ぶ趣味は私にはない。
渾身の力をもって包帯で拘束された身を反らす。そうしてどうにかキンブリーの手から逃れた私は、
しかし両足を固定されているせいで、その場で前後に大きく揺れた。
転倒だけは免れようと器用に飛び跳ねてバランスを取る。


――だいたい何が背筋だ。
やっとふらつきを抑えて、私は思い切り眉を寄せた。
背筋など、お前に見せた覚えはない……!
「……そんなマニアックな!?」
しかし搾り出す声で口惜しがるリザも分からない。
視覚を奪われながらも、私は心中で突っ込みを入れた。
だが相変わらずそんな私を無視して、二人を取り巻く不穏な空気は増していくのを俄かに感じる。
場の空気に圧されてか、何故だが息苦しさも増してくる。
「背筋、背中……?――はっ!だからいつも貴方はマスタング少佐の背後から現れていたのですか」
「はは、偶然では?」
悲壮さすら漂う声音で指摘したリザへ、キンブリーがわざとらしく笑いをのせた声で答えた。
私の背後から――?……言われてみればそんな気も。まったく気にしていなかった。
戦場で、殺気以外の視線をそうそう気にかけるつもりなどなかったのだが、以後大いに気を配らなければと心に誓う。
「しかしキンブリー少佐。それこそ大きな落とし穴です」
「?」


どこぞの探偵を彷彿とさせるリザの物言いに、キンブリーが訝しんだ。
「貴方はマスタング少佐の背後に固執するあまり、重大な色気を見逃しています」
「――!?」
しばらく俯き加減だったリザの声に勝ち誇ったような響きが混じり、キンブリーが息を飲むのが分かった。
つられて私も息を飲む。
――と、やおら彼女の腕がまた私を引き寄せた。
頭ひとつ分以上の身長差のある彼女に、包帯でガッチリと固められた腰周りを強引に引かれて、私はリザに倒れこみそうになった体を、足を突っ張ってどうにか止まる。
「それは――……」
リザの声が意気揚々とテントの中に響く。
「この眉頭です!」


ぶしっ。


「――――〜〜〜〜っっっ!!!!!??」

声と同時に私の眼球に鋭い何かがぶすりと刺さった。
リザ、違う。そこは違う。眉とは違う。
今君が突き刺した箇所は、人体の急所名鑑にも載っている立派な急所だ。急所なんだ。
私は彼女に殺られるのか……?
押さえて紛らわすことも出来ない苦痛に、包帯の下で流れる嫌な汗を感じて、熱を持った瞼が痙攣するのが分かる。
「あなたがマスタング少佐の機嫌を損ねるたびに、荒々しく寄せられ出来る皺こそ、最大のフェロモンを感じられる場所なんですから……!」
「くっ……!」
大仰な二人のやり取りが、どこか遠くに聞こえ始めた。
「臀部、背筋、眉頭……ならば私が対抗できる彼の色気は、もうあそこしかありませんね」
戦場における士官の死因の二割は部下に殺されるものだと、確か誰かが言っていた。
薄ぼんやりとし出した思考で、無駄に緊迫した会話を続けているらしい二人を感じながら、私は漠然とそんなことを思い出していた。
キンブリーが続けている。
「私は男らしく、マスタング少佐の直接的な男の色気を醸し出すこの場所を――……」
細く息を吸うたびに、一枚一枚は薄いはずの包帯が、何重にも巻かれているせいで私の呼吸を妨げる。頭が重だるく、酸素が足りない。熱い。
頬が火照って、目はじんじんとした鈍い痛みだ。もう泣いてもいいですか。
「そ…っ、そこはダメです!キンブリー少佐っ!」


ドム……ッ。


「―――――――!!!!!!」
先程リザに景気づけられた箇所から一直線に鉄槌でも差し込まれたかのような衝撃だった。
何故だろう。
酸素不足でぼんやりと霧のかかり始めていた脳が、かつてない衝撃に一瞬光が満ちた気がした。
包帯で包まれた闇を切り裂く閃光――……
…………師匠?そこにおられるのは師匠ですか?
白く目映い光の中で、たゆたう川面が隔てた岸辺で、懐かしい師匠が、血色悪く私に向かって手を振っていた。

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