ドキドキ☆青春ホークアイ家(仮)


「異性を抱いたことってありますか?」
「…………はい?」

知的好奇心に見開かれたリザの視線を一身に受けて、ロイは我が耳を疑った。
何かの例えとか、クイズとか、又は婉曲的な愛の囁きだとか――いやいや、それはありえない。
「あっ同性でもかまいませんけど」
「それはない!」
軽く混乱する頭で言葉を失ったのを別の意味に捉えたらしいリザが、気遣わしげな声を出してきて、ロイは慌てて首を振った。

「そうですか。……なら異性は」
「――それを聞いてどうしたいんだ君は」
「経験があるのなら、質問したいことがありまして」
淡々と実に真面目くさった表情で、とんでもないことを言い出すとところは師匠に似ている。
ロイは内心で警戒しながら、おそるおそるリザに先を促してみる。

「……な、何を?」
「疲れて大変なんじゃないのかな、と。面倒臭そうなんですけど、本当はどうなんですか?」
「何が!?」
思わず言い返したロイの声が妙に上擦った。
リザの言葉に、どんなシチュエーションを指しているのかと、若いロイの脳は一瞬にして走馬灯のように様々な情景を駆け巡らせる。

縛る…? 確かに面倒臭そうだが、慣れると意外に早くできるものらしいし、第一アレはその過程も楽しむものではないのか。いやいや、ローション? それとも後始末のことか? というか面倒臭いとか普通言うか?それとも単に抱きしめるという意味で使っていたり――…だとしたら、この考えは封印せねば。
悶々とピンク色に染まりそうな思考と闘うロイを気にも留めずに、リザが手にした文庫をパラパラと捲りながら呟いた。

「抱き寄せてから服を脱がして、その間にも色々囁いてみたり触ってみたり……結構時間もかかるんですね。……疲れたりしないんですか?」
「待て、君いったい何を読んでるんだ」
真剣に解答を求められて、ロイは両手で制止する。
リザの持つ本にはブックカバーが掛けられていて、表題が読めない。
いつの間にポルノ小説なんか読むようになったんだ、と子供の成長に驚く親の心境だった。

「何って――あなたが昨日貸してくれた小説ですけど……」
きょとん、と首を傾げられて、ロイの思考が一瞬ザアッと青褪めた。
いやいやいや、それはまさか。
第一そんな小説を自分は(まだ)持っていない。
絶対何かの間違いだ。
師匠のでは? とあらぬ疑いを口にしかけて、そういえば昨日の帰り際、確かにリザに小説を貸したことを思い出した。でもあれは――

「……テロ組織を追い続けた記者のノンフィクション記録だろう……?」
迫真の描写に絶対引き込まれるからと、本屋の主人がロイに薦めてくれた物だ。
「そうですよ。お話が分かりやすくて、特捜部隊の潜入捜査みたいな取材の仕方には緊張しました!
 ――って、マスタングさん、読みました?」
「いや、他に読みたい物もあったし、面白そうだから先に君にと思って」
「……ありがとうございます」
ふわ、と目尻から蕩けそうな微笑をされて、思わず抱きしめて頭を撫でくり回したい衝動に駆られたが、ロイはそれを理性で抑えた。
子供扱いをするな、と不機嫌になるリザを思い浮かべて苦笑する。

「特に作者が組織の内偵中に出会った運命の人との描写が詳細なんですけど、あ、ここからですね……『私は彼女を抱き留めずにはいれなかった。豊かな胸の弾力が、私の心までを弾ませる……』」
「わあぁぁあっ! リザ! ストップ! ストップ!!」
「マスタングさん?」
「ちょ…貸しなさい!」
スラスラ読み出したリザを大声で遮って、ロイは小説を引っ手繰った。
適当に開いては流し読み、開いては流し読み……

「何だこれはっ!」
「ですから、テロ組織を追い続けた記者のノンフィクション」
「ノンフィクション過ぎる!」
もうこの際テロ組織の存在はどうでもいい。
というより、二人の秘密の関係を盛り上げるスパイスとしての登場しかしていなかった。
ノンフィクションはノンフィクションでも、むしろノンフィクションポルノ小説といって差し支えない。
適当に指を入れた本文全てに息詰まるシーンは思春期未満の女の子にはダメだろう。
情操教育上たいへん宜しくないに決まっている。

そういえば、この本を薦めた店主の顔が、やけにいやらしげな笑顔を浮かべていた気がして、ロイはやっと合点がいった。

――あの親爺め、騙したな……!

「君はこっちを読みなさい。これは没収」
「え、『錬金術の基礎』?……ってこれうちの本じゃないですか。それにまだ最後まで読んでませんっ」
手近な机に置かれていた分厚い本をどん、と小さな手に乗せると、リザが抗議の声を出した。
それを「まだ早いよ」と誤魔化すと、唇を尖らせたリザが恨めしげにロイを見上げる。
「先に読みたくなったならそう言えばいいじゃないですか。
 マスタングさんの本ですし、まさか返さないとか言いませんよ、わたし」
「ち、違う! 断じて違う!」
「別にいいですけど……読み終わったら貸して下さいね。あと質問の答えも」
「え」

どういえば素直に諦めさせることができるだろうと、慌てるロイの気持ちを知らず、リザは妙に物分かりのいいため息を溢すと、ダメ出しのような台詞を吐いた。
「やっぱり疲れるものですか?」
「そ、それは……っ、だな……」
しどろもどろになりそうで、ロイはリザに背を向けた。
乾いた口中を唾液で湿らせて、深呼吸を一つ。
背中で返事を期待しているであろう彼女を振り返る余裕は、さすがに持ち合わせてはおらず、ロイは肩を落として、鞄に小説を放り込んだ。ほんの小さな文庫本だというのに、一気に重たくなった気がする。

「……そういう質問をしなくなる頃に貸してあげるから」
「マスタングさん、ずるいです。本当は知らないとか、」
「知ってる! 知ってるけどリザにはまだ早いんだ本当! だからもう少し待っ」
「いいですもう。他の人に聞いてみますから」
「ほ、……他の人?」
完全に子ども扱いが頭にきているリザは、むくれてロイを見ない。
まさか師匠に聞くつもりではないだろうな、と考えて、ロイは口元を引き攣らせた。
いきなり愛娘が性のイロハを聞いたりしたら、この環境で、疑われるのは100%ロイの存在だ。
しかも強ち外れていない。
が、青褪めたロイを無視して、リザははいと頷いてそっぽを向いた。

「新聞配達のカイザーさん」
「ダメだ!!」
リザの挙げた名前に、ロイは思わず肩を掴んで声を荒げた。
カイザー? あの好色な目をしてリザを見ているあの男だと?
そんなの駄目に決まっている。
その勢いに一瞬呆気に取られていたリザは、しかしすぐさま上目遣いにロイを睨み上げてきた。

「マスタングさんはわたしに教える気なんてないくせに」
「――わかった。ちゃんと教えるから」
「本当ですか? いつ?」
「いつ、って……いや、あー…なら私が錬金術師になったら……」
「約束ですよ?」
身を乗り出すように確認されて、ロイは引き攣りながら何度も頷く。
明確な約束とは程遠いだろうに笑顔を見せるリザに、ロイの視線が泳いで逃げた。
だがそれで満足したらしいリザは、ロイから離れて渡されていた錬金術の本を大事そうに抱きしめた。

「マスタングさんが錬金術師に、なら、すぐですね」
「――え」
「楽しみにしています」
リザの自信に溢れた声と笑顔に、ぐるりと勢い良く背を向けると、頭痛のし始めたこめかみと軽く熱を持ち始めた頬を手で抑えて、ロイはリザに表情を読まれないよう気を配りながら部屋を出た。


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