つながる境界



長く骨ばった彼の指先が、私の瞼にかかる髪を払う気配がした。
薄く震わせて目を開ける。すぐ近くに見慣れた夜の顔があった。
「……何か?」
されるままで尋ねる。
彼は目を開けた私に軽く目を瞠って、小さく笑った。
「起きてたのか」
「寝てました」
「はっきり言うね」
嘘は言っていないのに、彼は口元を緩めた。信じていない。
伸ばされた彼の指先は、まだ私の前髪を弄っている。
「この気配で起きたんですよ」
「起こしてしまうほど、強く触ったか?」
喉の奥で笑う彼に憮然とした。
「貴方の行動にはいちいち敏感なんです」
声がぶすくれた調子になった。
真夜中のベッドで横になったまま、シーツの下は何も纏わず向かい合っているというのに、なんだか随分子供染みている。そう思うと少しばかり気恥ずかしさがこみ上げて、私は目を伏せた。

「……」
「……」
彼は私の居心地の悪さには全く気づいてないらしく、ゆるゆると前髪を弄り続けた。
普段は横に流しているから、こうしてベッドに寝ていれば随分長く感じられるはずだ。目にかかる前髪を優しく掬って耳元へ流しては、またするりと零れ落ちてしまう前髪を掬うの繰り返し。
しかしそれにしても、そんなに鬱陶しそうに見えるのだろうか。思わず勘繰りたくなるほどの執拗さに、堪らず私の方からきっかけを作る。
「前髪、邪魔ですか」
「いや、そうじゃない。そうじゃなくて――ああ、どういえばいいかな」
指摘されて初めて気づいたとでも言うように、私の髪から手を離した。その手を宵にとけて見える彼自身の短髪にやると、ガシガシと掻いた。その仕草は何かに行き詰ったときの彼の、いつからか忘れた前からの癖で、変わらない。寂寥と愛しさが入り混じって、彼にわからないように微笑した。

「君は」
「はい?」
幾分ためらいがちに、彼の手がまた私に伸びてきた。が、今度は前髪ではなく、普通に頭を撫でてくる。大きくて、普段はどちらかといえば冷たい彼の手。髪の流れを確かめるように、沿って触れられるのは気持ちのいいものだ。優しいまどろみの足音が聞こえる。
私は彼に答えながら目を閉じて、彼の声を待った。
「……髪を下ろすと雰囲気が変わるな」
「そうですか?」
「うん」
あまり自覚のないことを言われて、目を開けた。私にすれば、毎日特に変わり映えしないのだが。
それに何度も髪を下ろした姿を見ているはずの彼が、いきなりそんなことを言うのも意外な気がした。
きょとんとしている私に、彼は苦笑して、私の髪の先を指先でくるくると遊び始めた。
「女性は服装や髪型で随分変わるものだが」
「どなたかを口説く練習ですか?」
「一般論だ」
くん、と引っ張って彼が笑う。

「いつも思うんだが」
急に真面目こかした口調で言われて、私も茶化すのを引っ込めた。
お互い横になったまま、彼だけ肩肘をついて、私の頬に掌を滑らせる。
「はい」
頬にかかる髪も、彼は指でなぞった。
「君のその――下ろし髪で寝てる姿はやけにそそる」
「…………」
何を言い出すのかと思えばこの人は。真剣になった自分がバカみたいだ。
「普段そそらなくて悪かったですね」
「違う。いつもそそるが、その姿だと妙な雰囲気出るんだよ君」
半眼で睨んだ私に、しかし彼も憮然と言い放った。何故私が責められる。
「仮眠室には鍵をかけとけ」
「普通かけませんよ。どこのVIP仮眠室ですかそれ」
何年軍属をやってきているのか、疑いたくなる台詞だ。仮にも国軍大佐の地位にある男が。
「誰かが入って見てうわっとなったらマズイだろう!」
「……」
なるか。
呆れすぎて無言にもなる。つい可哀相なものを見る目で彼を見てしまったかもしれない。
仮眠室は仮の休憩場で私室ではない。分かりきった現実を瞳に湛えてやると、さすがに自分の突拍子のなさに気づいたのだろう。
「かっ、可能性の問題だ、可能性の」
そんな目で見るな。両手で顔を覆い背中を向けてしまった。ため息が出る。
呆れと、あと半分は笑いを堪えるためのものだ。

「心配ですか?」
声が震えないように注意深くなりながら、私はその広い背中にそっと身を寄せた。ぴくりと皮膚が揺れて、彼が口を開く。
「……悪いのか」
「仮眠室で寝てる女性軍人見て、いきなり襲い掛かるような部下がいるんですか」
「…………」
彼のジレンマが触れる背中越しに伝わってきて、私は表情が見えないのをいいことに、声を出さずに笑った。胸にまではやらず、彼の肩の辺りに腕を回して抱き締める。彼の固い背中の感触が実は好きだということは言わない。
「たいさ」
背中に低く呟くと、彼はゆっくりと首を回してきた。今度は私が肩肘をついて、少しだけ体を起こす。
「……ん?」
まだ少し不機嫌な、でも少し甘さを含んだ声で彼が聞いた。
上から覗き込むようにして、その唇に軽くあわせると、私の髪が彼の顔に零れる。
我慢できずに忍び笑いを漏らしながら、私は髪を耳にかけた。
「そそられました?」
「あと一息」
笑う私の手を引いて、その一息を彼がくれた。




久し振りにいちゃいちゃして欲しかったロイアイ。本編まだかー!

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