「先に行っててくれないか」

そう言って渡された鍵に視線を落とし、リザは、首肯して握り締めた。






01.優しい人






厳粛な空気が覆う葬儀の席では、進行上そして立場上、ひどく形式的な言葉しか掛けられないし、時間もなかった。
こういう場合、残された若妻の前で故人の思い出を語り、涙することが、慮った配慮ということになるのだろうか。
それとも、しばし慟哭の叫びをあげさせる事こそ、思いやりか。
軍式の葬儀が終わった後に、一声かけて去れば良かったのかもしれない。
それをしなかったのは、悲嘆に暮れる親子に配慮するより前に、すべき事があったからだが。
助力に惜しむつもりはない。
だが彼の死を無駄にはできない。

思い出は記憶という曖昧な現象に保護され、美化され、風化する。
記憶された脳細胞は、ただ一つを大切に収めておくためのものではないからだろう。
次から次へと処理は行われる。
アームストロングからいくつか手掛かりとなり得る情報を得た。
処理は必要だ。だが風化させるにはまだ早い。





リザとの会話の最中に、自分で乱してしまった前髪を手櫛できちんと整えてから、呼び鈴を押した。
目深に被った制帽が、視界に影を落とす。
帯刀させられていらない威厳を醸すサーベルの重々しさに、気が引き締められる。
儀礼用としてしか意味をなさない上着の裾が、ロイの足に纏わりついて、
気軽な訪問ではない現実を知らしめる。


「そのまま来てくれたの?」
「…グレイシア」
「ありがとう、ロイ君」


娘は疲れて眠っているのだと教えられて、慣れないことだから、と答えた自分が馬鹿らしかった。
慣れてどうする。慣れられるものか。
葬儀が終われば形式的ではない言葉を掛けられると思っていた。
だが実際は何も変わらない。
いつもは不必要に回る舌がへばりついているようだ。
彼女と交わした会話は既に覚えていない。それは彼女も同じだろう。
こんなとき、掛ける言葉が見つからなかった。





軍が用意してくれた、地位に見合った豪奢なつくりのホテルへ戻る。
葬儀から時間が経過している為か、礼装姿のロイはひどく目立った。
宛がわれた部屋の前まで行くと、ドアノブを回す。
鍵はかかっていなかった。


「…リザ?」


いくら高級ホテルとはいえ、これでは無用心だろう。
だがそれを咎める気にはならなかった。
それよりも彼女の存在を確かめようと出した声が、明かりのついている室内に響いた。
思ったよりも不安定さを含んだ声音が出て、ロイは無意識に眉根を寄せた。


「おかえりなさい」
「…ただいま」


一瞬、別れ際のリザとは別人のような気がして訝しむ。
それきり何も言わずにいると、ロイの手の中で所在なげだった軍帽が、リザの手にするりと移動させられた。
蛍光灯の明かりの下で、漸くリザが私服なのだと気がついた。違和感の正体はこれだったのか。
黙って廊下を進む彼女の後ろをついて、部屋の中へと入る。


「あいつの家に行ってきた」
「…ええ」


別段驚くでもなく返された言葉に、ロイは意味もなく頷いた。だが会話が続かない。
何か――そう、例えば、グレイシアのことでもヒューズのことでも、いや軍務の事でもなんでもいい。
話そうと思うのに、やはり言葉は出てこなかった。
リザは何も言わず、手にした制帽を壁から突き出たフックに掛ける。
後ろに回って、ロイの外套も手際良く脱がしていく。
それが普段と変わらない行為に思えていたら、腰のサーベルがかちりと鳴って、その差異を浮き彫りにした。


「着替えられますか?」


黒い外套も制帽と並べて掛けながら、リザがゆっくりと振り返る。
金属音に偏っていた意識を戻すと、喪服を表すモノトーンの飾帯に、リザの手が寄せられた。
だがそれだけだった。
決して無理に剥ぎ取ろうとはしない。
その上から重ねるように手を置けば、いつもロイより冷たい彼女の体温が感じられた。
冷たい。だけども確かに熱はある。
飾帯ごと、薄い彼女の手を握り締めた。


「リザ」


呼んだ声が泣いていた。
表情は変わらず、声音にも何ら変化はない。
だが確かに、それは泣いた声だった。
呼びかけておいて、一向に続かないロイに、しかし彼女は何も言わなかった。
ただ静かに、しっかりとロイを見据えて、「はい」とだけ答えた。

そのまま動かない無表情なロイの頬へ、ゆっくりとリザの手が伸びてゆく。
いとうように撫でさしていく。
ただ黙ってさせていたロイは、上げていたはずの前髪が視界にはらりと落ちてきて、
自分が俯いていることを知った。
米神の辺りから差し込まれた彼女の指が、それらをかき上げてくれた。
ありがとうとも言えずに、されるがままにしていると、
涙の軌跡をたどるように、リザの指がおりてくる。

あの時――葬儀のあと、墓標の前で――流れた涙がまだそこにあるかのように。
何度もなぞる。儀式のように。

撫でられた跡が熱を帯びて、ロイは思わずその手を取った。


「俺は、大丈夫だよ」
「……」


リザは何も言わなかった。
その台詞に少しだけ瞳を揺らしたようにも見えたが、
それだけで、黙ったままロイを見つめていた。それにロイは――
ロイはまた適切な言葉が見つけられなくて、眉根を寄せることで、困惑を少しだけリザに伝えた。

言葉とはコミュニケーションの手段で鎧だ、とロイは思う。
互いの意向を確かめ、時に欺き、そうやって自分を守るための道具だ。
今まで随分とそれをしてきたし、出来たという自負もある。
なのに、何故、今、それが上手く使えない。
何故こうも言葉が出てこない。

礼装に、そして死者を悼む喪章に、
こんなにも気持ちは引き締められているはずのに、なんて脆弱な。

何か言おうとして、だがやはり口を閉ざしたロイにリザが言った。


「言葉が無力なときもあるんです、大佐」
「――――」


彼女の言葉に、ロイは、ああ、と思った。
ああ、そうだ。
確かに全てが空々しい。

だがそういうときにはどうすれば。
考えるより先に、身体が動いていた。
それに自身でも驚きながら、抱き締める。


「リザ」
「はい」
「グレイシアと話した」
「はい」
「何を言ったか覚えてない」
「はい」
「リザ」


ずるずると彼女に重みを掛けていることは気づいていたが、止められなかった。
額を細い肩に押し当てるロイを、リザは黙って抱いていた。
整えた髪が乱れて、おろしたリザの金髪に紛れる。


「……ヒューズが死んだ」
「…はい」


余計な言葉は何もなく、確かな温もりがありがたかった。
抱き締めてくれる存在が。

グレイシアを前にして、ロイが言葉に詰まった理由が、今やっと理解できた。
言葉が見つけられなかったのはきっと、本能がそれを知っていたからだ。
最初から、何も言えるわけはなかったのだ。



あいつの代わりなど出来ないのだから。



今はこの痛みを胸に。
ただ吐き出せる場所が必要なのだとロイは悟った。






コメ

礼装ロイを祭り隊!For Mっきーさん!(何を今更)
大佐昇進時話にして乱し隊もいいかな、と思ったのですが理性で踏み止まりました。
遅ればせながらの入隊申請書は受理されますでしょうか…ビビクッ。



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