05.硝煙





「――――中尉、ここへ来たまえ」

「はい?」



処理済の書類を抱え退出しようとしたリザの動きに不機嫌な声でロイが呼び止めた。
振り向けば、今しがた「来い」と命じたにも関わらず、自らリザに歩み寄る上官に気づき、慌てて歩調を速めリザも近づく。



「何か不備がありましたか?」



思い当たる節はなかったが、念のため頭の中で提出した書類を思い浮かべてみた。
が、やはり思い当たらない。

それもそのはず。
今、リザがロイに渡した書類はロイの裁可が必要な形式だけの書類が2、3枚だけだったのだから。



「煙草くさい」

「は?」

「君、煙草吸わんだろ」



ぐいと無理に二の腕を引っ張られれば、リザの体はすっぽりとロイの胸に納まってしまった。
突然のことに慌てて体勢を立て直そうとするリザを押さえつけ、ロイは肩口に鼻先を擦り付ける。



「――煙草のニオイは嫌いなんだ。くさい」

「でしたら離れて下さい」

「喫煙所にも行ってないよな?」



リザの台詞と突っ張る腕を無視して続けられるロイの言葉に、言わんとしてる内容を悟ってか、リザの腕から力が抜けた。
ロイの耳元で呆れたような嘆息吐く。
黒い短髪に吐息がかかった。
リザの表情を見なくとも、眉間に皺を寄せている姿がありありと浮かんでくるようだ。


「……ここへ来る前、射撃場に上着を忘れてきまして。気がついた少尉が持ってきてくれたんです」

「そうか」

「……大佐、いい加減放して下さい」

「だがそれではおかしい」

「はい?」


離す気配を欠片も見せず、いやむしろより強く抱きすくめられて、リザは窮屈そうに身体を捻った。
そうして僅かに出来た隙間からロイの耳元に疑問の念を送る。
肩先に押し付けられたままで発せられる言葉がくすぐったい。


「何が…」
「それなら硝煙の臭いがするはずだ」


してるじゃないですか、とリザはロイの胸板に挟まれていた両手を軽く叩き、抵抗の意を示した。
ロイの軍服に無理矢理押し付けられたリザの鼻へも、自分に染み付いた硝煙の臭いがしているのだ。
ロイが気づかないわけがない。


「――そんなに煙草の臭いお嫌いでしたっけ」


嫌なら離れれば済むことなのにと内心で溜息を零しつつ、
リザは気になるほど染み付いているわけではないと思う自分の軍服を一嗅ぎする為に顔をずらした。
ロイの顔がそれに付随して微妙に上へあがる。


「大佐ッ」


首元に鼻先を埋められて、覚えず肌が粟立つ。


「離れて下さい!」

「ああ」


一度だけ軽く首筋に音を立てて口付けた後、いとも簡単にそこから顔を離したロイは、
しかし完全にリザを離す気はないらしい。
髪や頬や肩や胸を愛撫するように緩慢な動作で辿っていく。


「離れてないじゃないですか――――って何してるんですか!大佐!」


鼻先で子犬のように嗅ぎ回る仕種から一転して、今度は体全体を擦りつけるような奇妙なロイの動きに、
堪らずリザが身を捩る。
それに一旦体を離してから、すぐに鼻先を再びリザのに首元に近づければ、警戒した猫のようにキッと非難の目が向けられた。

かまわず鼻先で確かめる。



「――ああ、やっとニオイが消えたな」

「…………コロン、ですか?」



満足げに頷いたロイに、言われて初めてリザも拘束の緩められたロイの腕の中で、自分の袖口に鼻をつけた。
微かな芳香が鼻腔を擽る。
どこか安堵させるこの香りは、いつもロイから何とはなしに薫ってくるものだったはず。

移り香、という言葉が頭をちらついて、ふと表情を緩めそうになった。
しかし。



「男物の、な」

「………………」



優越感に浸った男の顔を見てしまっては、それを表すのも癪に思えて、
リザは思い切り辟易とした表情を示すことで、ロイに答えた。



「何でそんな顔をするんだ君は!煙草のニオイは嫌いだって君も言ってたじゃないか!」

「嫌いですよ」

「じゃあ問題ないだろう」

「コロンが好きだとは言ってません」



袖口に鼻をつけたままでリザは上目遣いにロイを見上げた。



でも実は、ロイの選ぶ香りは嫌いではない。
もともと香水やコロンの香りがあまり得意ではないリザだったが、それを知ってか知らずか、
ロイは嫌味にならない付け方を良く心得ているのだと思う。

だからロイから香るこのニオイは嫌いではない。
ロイのニオイは嫌いではない。



「――この香りダメ?」

「………………………………イイエ?」

「その間と半疑問系な否定文は何だね」


あいつの臭いよりマシだろう、とあからさまに不機嫌な声音でわざとらしくまた抱き寄せられて、
リザはやれやれと小さく息を吐いた。
近づき過ぎて、視界に映るブルーがどちらのものかさえ判別し難いと思いながら、
大人しくロイに頭を預ける。

今しがたロイによってつけられた香りに混じって、硝煙の香りが仄かに漂っていた。
だがそれも、近づき過ぎてどちらから香るものなのか分かり難い。


「リザ……?」
「仕事中です」


黙ったままのリザに、漸くロイが顔を覗き込んできたのをいいことに、
リザは素早く身を離し、机上に放置されっ放しだった書類を抱えた。
扉に向かいロイの横を通り過ぎようとして、もう一度名前を呼ばれ立ち止まる。
ロイから、あのコロンが香る。
再びロイが口を開くより早く、振り向き様にリザは言った。



「――貴方のニオイは嫌いじゃないです」






コメ

リザたんはマスタングさんのニオイは好きなんです。(可哀想な脳内My設定)



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