「……何がしたいんですか、貴方は」
「何をしたらいいのかな、と思ってね」

何をするでもなく、じっと、それこそ穴が開くのではないかと思えるほどに自分を見つめてくるロイの視線を無視していれば、
不意に横で一括りにしていた髪を撫でられて、リザはゆるゆると隣で座るロイに向き直った。




09.主導権






突然の電話で「出掛けないか」と強引に誘われ、返事も待たずに一方的な通話は途絶えた。
しかし快晴だった天気はリザの気持ちを慮ったか、ものの数分と経たぬうちに冷たいものが落ちてきた。
雨。
強引で自信過剰な上官が得意としない日。
湿気で発火布が上手く作用しなくなるだけで、実際どうということもないのだろうけども、
それでもやはり能力が低下するのは否めない天気。
それも生憎の暴風雨。
キャンセルの電話などなくとも、普通こんな日に出歩く馬鹿はいない。
だのに程無く鳴らされたベルに、リザは溜息と共にバスタオルを持って玄関へと向かったのだった。

玄関先には予想通りびしょ濡れのドブネズミが一匹。
乱暴に頭へバスタオルを引っ掛けて少し背伸びをしながらワシワシと拭いてやる。
風邪でも引かれたら寝覚めが悪い。
何でこんな天気に。
自分の立場をわきまえるべきだと非難の色を滲ませて言えば、「いきなり降ってきたんだ」と何とも軽く言ってくれる。
当然ながら外へは行かず、シャワーを浴びさせ、着替えを用意して、紅茶を淹れた。
もともとロイに言われるままに出掛けるつもりではなかったし、
窓を叩く雨風の音や今日は自宅でのんびり過ごしたい気分だったのも手伝って、
随分昔に読みかけのままになっていた小説を捲る。
テーブルを挟んでわざわざ向かいのソファに用意しておいたティーカップを持って、
ごく自然に隣を占領する男の行動が知れない。



「特にすることはありませんよ。ですから髪が乾いたらお帰り下さい。車を呼びます」
「それはいらない。泊まるし」
「泊ま――……そういうことは家主の許可を得てから仰ることじゃないんですか」
「泊まるよ?」
「かわいこぶってもダメです」

両手を組んで上目遣いに見上げる成人男性なんてかわいくもなんともない。
大体、ロイに限っては普段が横柄でふてぶてしいにも程があるというのに、そんな態度は胡散臭い以外のなにものでもない。
本を閉じて、リザは紅茶を一口啜った。
温度の下がった香りは温く口内に広がる。

「こんな天気に暴漢に襲われたらどうする。無能なんだろう?雨の日の私は」
「自覚があるなら出歩かなければ良かったんです。本当に考えなしの無能ですね」
「言い過ぎ」
「…………」

ティーカップを戻すタイミングを見計らったように、ロイの手がリザの腕を捉えた。
そのまま抱き寄せて耳元で呟く。
甘くもなく、まして怒っているわけでもない響きのそれに、リザはどうしたものかと小首を捻った。
何かあったわけでもないだろうロイのこんな態度は珍しい。
抱き寄せられた頬に、まだ濡れているロイの髪から雫が落ちて伝った。
身震いと同時にゆっくりとロイを押し返してから、リザは肩に掛けたままのタオルで彼の髪を拭いてやる。

「大佐?」
「…………」

大人しくされるがままのロイに声をかけると、ちらりと視線を投げられただけで、すぐに目を瞑られてしまった。
拭き終わってしまった手で、意味もなくもう一度ロイの頭を拭く。
今度は少し乱暴に。
すると、漸くロイの手がリザを掴んでその動きを止めさせた。

「小慣れてるな」
「何が、ですか」
「男の扱い」
「――――」
「――痛っ!何も殴ることないだろう!」

ロイに掴まれていた手を思いきりその頭に振り下ろしてやれば、その行動は想像していなかったのか、
涙目混じりで恨めしげな表情を向けられた。
言われて初めて拳を握っている自分に気づく。
しかも結構痺れた感覚が伝わってくるのを考えれば、かなり強く振り下ろしたらしい。
それでもロイの方が異性の扱いにはいやというほど長けているくせに、
それを自分に言うのかと思うと、無性に腹が立つ。

「今の発言はセクハラですか。侮辱ですか。どうでもいいですけど消えて下さい」
「違う……そういう意味で言ったんじゃなくてだな……あーもう頭が痛い!」
「自業自得です。……何なんですかさっきから。挙動不審ですよ、大佐」

この場合、不機嫌極まりない表情を乗せていいのは自分の方だろうと思ったが、
リザに殴りつけられた頭をガシガシと掻きつつ「うー」とか「あー」とか唸るロイを見ていると、どうしたものかと考えてしまう。

「……君は随分落ち着いてるな」
「やましいことはありませんから」
「私もないぞ。あー、だから、そういうことじゃなくて」
「何なんですかいったい」
「…………」

いつもの彼らしくない奥歯にものがはさまった言い方に、リザは訝しげにロイを見つめた。
その視線を避けるようにタオルを頭から被ったまま俯いて、ロイがぽつりと言う。

「緊張、しないか」
「――なぜ」

何の気なしに即座に疑問を提すれば、ロイは一瞬呆気に取られたようにリザを見つめ、
それから確実に不機嫌な色を濃くした表情でそっぽを向いてしまった。
本当になんだと言うのだ。
怒っている、というのともまた違う気がする。

「……君、やっぱり慣れすぎだろう。そもそも一人暮らしの女性が男を部屋に入れた挙句、シャワー浴びさせるなんて、もっと危険を感じるべきだ」
「では雨の中タオル一枚投げつけてドアを閉めて欲しかったわけですか」
「そういうわけでは――」
「サディストかと思ったら意外にマゾヒストだったんですね」
「…………」
「冗談です」
「……君の冗談は心に痛いな」

徐々に落ちていくロイの頭から白いタオルが滑り落ちて床に落ちた。
それを緩慢な動作で拾い上げて、ロイが所在なげに手元で遊ばせれば、
ハヤテ号がその動きにじゃれついてくるのを器用にかわして抱き上げる。
喉元を撫でてやりながら、ロイが口を開いた。

「――緊張するなぁ、と思ってたんだ」
「嘘ばっかり」

馬鹿なことをいうものだ、とリザは思った。
あまりにも胡散臭くて一笑にふそうとしても、その一笑すら出てこないではないか。
大体、ロイがリザの家にに来るのが初めてというわけでもなければ、ティーンエイジャーな二人でもない。
付き合い始めの可愛らしいカップルでもない関係で、どの口がそういうことを言うのか。

「慣れていらっしゃるでしょう」

女の部屋に入るなんて。当然それ以上のことだって。
言外にそう含ませて、リザは冷たく言い放った。
しかしロイは拗ねたような表情のまま、肩を竦めてリザの言葉を受け流す。

「残念ながら初心者だよ、私は」
「…………」
「その疑心に満ちた視線はやめてくれたまえ。……分かった。確かに女性関係は豊富だ。あ、ブラハを取るな!あったかいんだ!
 ――あー……つまりだな……私が言いたいのは――」

ロイの大きな手で撫でられウトウトしかけていたハヤテ号が、一瞬リザの膝に移動したかと思うと、
再びロイによって元の位置へと戻され、二人の顔を見比べている。
その視線すらいたたまれないのか、ロイがハヤテ号に目隠しをしつつ、

「こういう状況には、慣れてない」
「……こういう?」
「だから」

放っておけば、またどんどん下を向いてしまいそうなロイに顔を近づけて問えば、
苦虫を噛み潰したようなロイの視線とかち合った。
暫く逡巡した後、視線だけリザに向けて、ロイが口を開く。

「午後の昼下がりに女の部屋でくつろぐのは初めてなんだ」
「…………」
「君はくつろがせるのに慣れてるようだがね」
「…………大佐」
「……私は今まで夜専門だったんだっ」
「大佐」

リザの呼びかけも虚しく、ロイの頭は下降の一途を辿り、
ついには既に押さえつけられた形になっているハヤテ号に額を押し付けてしまっている。
黒髪が黒い子犬と同化して、ハヤテ号の大きな瞳だけがその存在の分離に成功していた。

こういう時はいったいどう接すればいいのだろう。
言われてみればそうかもしれない。
ロイがリザの家に来るのも、その逆も、仕事帰りが主だったし、
休日どこかへ出掛けたとしても、昼間からどちらかの家で過ごすというのはほとんどなかった。
ごくたまに休日の朝、リザがロイの家に行く時は、大抵彼が研究に没頭している時で、
今のように、「互いが特にすることがない二人きりの状況」というのは初めてだ。

リザとてロイの言うように、こういう状況に慣れているわけではなかったが、
ここが自分の居住空間で、普段見せないロイの行動が捕まったまま身動きの取れないでいる愛犬の姿と重なって、
余裕がちらついているのかもしれなかった。
リザはもう一度ロイを呼んで、俯く彼のシャツを軽く引っ張った。
ロイがゆるゆると不機嫌そうにリザの方を向く。

「…………なんだ」

こういう生き物の宥め方は、ハヤテ号を飼ってから上達した自覚がある。

「今でも夜専門じゃないですか」
「そんなこと――」
「だから昼間くらい、」

ムッとしかけたロイの体をソファの背凭れに押し付けて額に軽く口付けると、リザはその手から素早くハヤテ号を移動させた。
そのまま唖然としたロイの腕を自分の肩に回して意外と筋肉質な胸板に頭を摺り寄せると、瞳を閉じて体重を預ける。

「慣れてる私に任せて下さい」

漸くリザの膝に腰を落ち着けたハヤテ号の欠伸が聞こえた。
同時に閉じた目にもはっきりと分かる動く影。
少し抱き寄せられて、ハヤテ号に負担をかけないように顔をあげると、額に、頬に、優しく唇が落ちてきた。
どうやら機嫌は直ったらしい。

「……今日泊まっていい?」
「ダメといっても泊まるくせに」
「違いない」

目を開けなくとも分かるロイのいつもの不敵な表情。
夜だけでなく、昼の主導権も奪われそうだ。
少し早まったかもしれないと後悔しかけて、
しかし温かいロイの体温にやはりこれが一番落ち着くのだから仕方がない、とリザはロイに微笑んだ。







コメ

甘…っ。
リザがロイを究極に甘やかしています(笑)。
この後は昼間でもロイに主導権が移りまくって、きっとリザは大後悔するんです。
ああ、あの時甘やかしていなければ…!!って。


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