初めて彼女に笑いかけたら、あからさまに眉根を寄せられた。。
二度目に見かけたときは、何故か視線を逸らされた。


三度目の出会いは、本当に何てことはないただの偶然で、
ロイだと分かった瞬間に目を背けたい衝動に駆られたことも今では懐かしい思い出だ、とリザが話してくれたことに、
最近少しばかり悲しい安堵の溜息をついた記憶がある。
あの時、ロイが獲物を見つけ振り上げた右手に。迷いのないその瞳に。
一瞬で甘いマスクの下に隠された渦を巻く焔の熱に。
本気で目を奪われたのだと、彼女は言った。





14.発熱





女はギャップに弱いと言われているが、それがリザに当てはまるとは思ってもみなかった。
だがあながち外れとも言い難い。
バベルの塔より高く透明なリザのプライドのお陰で、コイバナのネタに晒されることはなかったけれど、
それ以来、気が付けば視界の隅で彼女に追われているという自覚がロイにはあったのだ。

そこの思いに気づいて欲しいと願っているかどうかは定かではなかったが、
色恋沙汰に酷く敏感な数多いるロイの恋人達を欺くあぎとさをリザは持ち合わせているように見えた。
可愛らしく飛び回る彼女たちのように、一緒に食事がしたいとか自分だけを見て欲しいという欲望はないらしい。
好意を抱いているのは確かだから、全くないといえば嘘になるだろうが、強くはない。限りなく、ない。
そうロイは判断していた。

ただ傍に。
目指すものを追い求めるロイの傍に。
ひたすら傍に在りたいと思う思考は、ある意味随分性質の悪い独占欲だと思う。
自分の中に貪欲に迸る灼熱を知ってしまったリザが、それと同じ熱でもってロイに追い縋ってくれれば、
それなりに対処のしようもあるというものなのに。
彼女自身が、ロイへの好意をまさか気づいていないとでもいうのだろうか。


「君、私のことが好きだろう」
「そうですよ」


市外視察と称して、単独で裏路地を徘徊していたロイはリザに見つけ出され司令部へと促された。
愛があるなら銃口を向けるのはどうかと思う。
仮にも上官に。
その現状に軽く唸り、ロイは抵抗の意味を込めて問うてみた。

しかし実にあっさりと答えたリザはロイの半歩後ろに立ち位置を変え、先を促す。
それに大仰に溜息をついて見せると、ロイは諸手を上げて動き出した。


「そうじゃなくて、結構本気で」
「だからそうです、と申しました」


だから早く戻って下さい。仕事溜めすぎですよ、と首だけリザに向けつつ前を行くロイは一睨みされた。
あまり治安が良いとはいえない場所の、しかもこんな路地裏に、
司令官ともあろうものが護衛もつけずにのこのこ出歩くのは無用心に過ぎるというものだ。
ただでさえ青い軍服は目立つのだから。
しかしリザの意向を知っているはずのロイは、そのまま体ごとリザのほうへ向き直ると、
ゆっくりと後方に歩を進めつつ、顎をしゃくる仕種で返した。


「そういうはぐらかしはよくないな」
「単刀直入に言いましょうか?好きですよ大佐。ですから前向いて歩いて下さい。危険です」
「――違う。これでも私は女性の気持ちには敏感でね。
 君は私をいつも見ている。一挙一動見逃すまいと。それは護衛官としての忠義による好意の範疇を超えているだろう?
 つまり君は、本気で私を好きだということだ。違うか?」
「だから好きですと申し上げました。何か問題が?」


さも馬鹿らしいといった風情の溜息で返され、この反応はどう見るべきかと思考を巡らす。
愛だの恋だの、そういった感情ではないとでも彼女は言いたいのだろうか。
もし本当にそうであるなら問題はない。
ただの口煩い部下として認識していればいいのだから。
だがいずれ小奇麗な女たちの小汚い嫉妬心でもってロイを縛りつけようとするのなら、
その芽は早いうちに摘んでおく必要がある。
だから女の部下は厄介なのだと、掴み所のない有能な部下に向かって溜息をついた。

後ろに目がついているのかと思うほどの正確さで歩くロイを訝しみながらも、リザはついて行く。
以前にも何度か好意の有無を確かめる発言は繰り返されてきたが、
それはいつも「君、実は私を嫌いだろう」といったリザに否定を促す台詞でしか言ったことがなかった気がする。


「大有りだよ。普段冷静な女ほど独占欲が強いというから」
「――――バカなことを。私がそんな女に見えますか」


一拍置いてなされた返答は、呆れからくるものか。はたまた心の内を覗かれた焦燥によるものか。
ここが潮時かと、ロイは口の端に歪な円を乗せて笑んだ。


「さあ?私は君という“女”を知らんからな」


そこにあったのが胸糞悪い甘ったれた笑顔なら、おそらくリザは迷うことなくロイに銃口を突きつけて黙らせていただろう。
しかしそれが出来なかったのは、ロイの瞳がその真意を雄弁に語っていたからか――
女に向けるそれではなく、まるで部下を値踏みするかのような皮肉げな色。
リザの眉根が寄る。


「……知りたくもないでしょう、そんなもの」
「知ってもいいかとは思ってる」


君美人だしね、と付け加えられた台詞に、より一層リザの皺が深くなるが見えないふりをした。
今だ変わらぬ色を湛えた視線で彼女を射すくめれば、リザはそれ以上の言葉を発さなかった。
機械的に交互に繰り出される足のお陰で、二人の距離は保たれている。

リザが女として求められたいと願うのであれば、それに応えることは簡単だ。
有能な狙撃手を失うことになるのは痛いが、一時の情欲に溺れてみるのも悪くないとさえ思う。
遊びの範囲で相手をするには、リザは申し分なく好みではあるのだ。
しかしそのレベルで止まってしまう副官など、ロイには不必要な存在であるというだけだった。
だからこそ確かめる必要がある。

だが、とロイは続けた。


「私に必要なのは有能な副官だ」
「私では役不足ですか」


迷いのないロイの視線を真っ直ぐに見据え、歩調はそのまま。
向けられた言葉にリザの瞳が悲しげに揺らいだ。
ごく僅かなものではあったが、それに気づいてしまって、ロイの中に何故か罪悪感が去来する。

何だ?
私が言いたいのはそういうことではなくて、
報われない恋に身を焦がす女の執念なんぞ近くに置きたくないと思っている事実であるはずなのに。
リザの腕を信用していないなんてことは全くもってこれっぽっちも思っていないのだ。
だからこそ、君とはおかしな関係になりたくないと、はっきり言っておく必要があるだけなのに。
たった今垣間見えた感情は部下としてのものなのか、女としてのものなのか区別がつかずに心底困る。


「そうは言っていない。だが恋愛感情は時に足枷になる。そうは思うだろう」


揶揄するつもりでロイは言った。
しかし自分自身釈然としないもやもやを抱えながら言ったせいか、後半部分が聞き取り難くなってしまった。
まだ市街地までは距離がある地点で、リザがやおら立ち止まり、しっかりとした眼差しでロイを見つめる。


「貴方に恋焦がれる世間一般の女性と同じにしないで下さい。私が枷になるのなら、貴方が切り捨てればいいこと。
 デスクワーク以外で私が貴方を縛り付けたいと願う枷は強くありませんから」
「……そんなものか」
「そんなものです」
「仮にも男と女で、私たちの関係に発展はないと?」
「この関係でそうなるのなら、むしろ後退かと」


第一貴方が私に靡くなんてありえません。
おかしな断言をして、リザはロイを睨み付ける。
そういう認識があるのならそれに越したことはない。
部下としての身をわきまえ手足となる有能な存在――性欲処理の相手なら、そこらの女で充分にこと足りる。
それこそロイは願っていたはずなのだ。

だのにこの苛立ちは何だというのだろうか。


「――試してみるか?」
「……は?――――な…っ」


リザにしては状況対応能力がニブイ、とロイは思った。
眉一つ動かさず直立不動のまま控えていたリザの体が揺れる。
意外と体温の低いリザの唇を自分のそれで受け止め、軽く目を瞠ったリザの眼前で冷たく笑う。
それを認めて、リザがムッとした表情を乗せたかと思うと、押さえつけなかった左手が、ロイの腰のホルスターに伸びた。
唇は重ね合わせたそのままに、ロイの顎にも冷たい銀色のキスが宛がわれる。


「少佐、勤務中です。息抜きは勤務が終わりましたら“女”の方でどうぞ」
「……そうくるか」


呟いて離れた接合部に、ロイの吐息が風を送る。
今だ銃口を背けず、理知的な瞳に憮然とした色を湛えているリザに諸手を上げ、距離を取った。
彼女は確かに女ではない。
少なくとも好意を寄せる男からのキスの意味を考えるより先に、銃口を突きつけていられる間は。


「合格ですか」


ロイに先を促し、再開された軍靴の規則正しい足音に乗せて、リザが言った。
今のキスは何かの試験であったとでも言いたげな声音は、合格どころかむしろロイの自信を大いに瓦解させている。


「ああ……ていうか君、普通キスしたまま喋るもんじゃないぞ。目も閉じないし」
「貴方も閉じなかったではありませんか」
「……興奮した男の顔なんて見ても仕方がないだろう」
「貴方が私で興奮するはずありません。それに興奮した私の顔を見ても仕方がないでしょう」
「…………興奮――――君が――――?」


目も閉じず、軽く驚嘆の意を表した後はさっさとむくれてしまったこの部下が興奮?
何の気なしに返された他愛のないりザの言葉に、ふと意識を集中させてしまった。
そんな女の姿、ザラに見てきた。特段目新しいと呼べるものではない。
なのに。
この怜悧な表情を湛えた頬が自分の腕の中で紅潮する様をまざまざと想像して、


「……………………参った」


雑踏へと足を踏み入れるか否かで呟かれた声は、ロイ自身の右手で覆われた口からリザに漏れることはなかったが、
未だ見たことのないリザのあえかな表情を、逞しい想像力で目覚めさせてしまったらしい自分を内心で罵倒しつつ、
ロイは呻くように口元を強く押さえつけた。









コメ

ロイロイ、気が付けばリザたんに骨抜きな自分を発見。
まだ最初の頃のつもりなので、ロイは少佐になってます。
本当はその前からの付き合いだと萌えるとか思ってます。
幼馴染みとか。いえあ。

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