角張っている掌大の木材を掴む指先がかじかんできた。
まだ一日で最も日が高いといわれる時間帯であるはずだったが、この冷え込みは確かな冬の訪れを感じさせた。
空だけはやけに高く、澄みきった蒼さの中に陽光はただ眩しく降り注ぐ。
寒さを防ぎ日の当たるリビングでガラス越しに感じられれば、最高の陽気と言えないこともないだろう。
だのに何故私は今外にいる。




17.国家錬金術師




まさか日曜大工の真似事を自分がする事になるとは思わなかった。
しかも私より見た目も考え方も随分と所帯染みた――実際、所帯を持っているのだが――マース・ヒューズならいざ知らず、
完全な部屋着の主格であるスウェットの上下を着込んでしゃがみ込んでいるなんて。
こういういかにも休日のマイホームパパ的な服装は、今のところ私の普段着には定着していない。
にも関わらず、私が今これを着ている理由はただ一つ。
リザがくれたものだからに他ならない。

「汚れても気にしないで着れますし、それに動きやすい方がいいですよ」
と。値札をつけたまま紙袋から無造作に取り出して微笑んだ彼女につられて、手にしてみたはいいものの、
グレーというよりねずみ色といった雰囲気を醸すゆったりめの上着を見て、
しかし次に「ね?」と職場ではありえない同意の求め方をしてきた彼女を見て、ついうっかり頷いてしまったのが運の尽きだった。
主人を無視して勝手に動く首がいけない。


今度の休みに犬小屋を作ると私がリザに宣言してから、既に数週間は経っていた。
彼女の愛犬はもともと家犬で、更に素晴らしい躾の賜物で、リザが「アウト」と一声かければ、
いつまでも忠実に外で待っているような賢く忠実な犬だ。
それを今更犬小屋ですかと、訝しげに問うてきた彼女に、しかし、気分転換に別荘を、と半ば強引に許可を得たのだった。
漸く訪れた二人の重なる休日に、リザがそれを覚えていてくれたのが嬉しかった。
そのために用意されたスウェットは確かに機能性に富んでいるし、いかにも彼女のセンスらしい。
だから余計にそれも伴って、起毛加工のされたねずみ色の上下を着用しているというわけだ。
たまの休みに手狭なソファで軽く肩を触れ合わせているだけで、
自分も自分もとヒュンヒュン鼻を鳴らす彼女の毛玉――もとい、ブラックハヤテ号は確かに可愛い。
が、憎らしい。
そんな彼をただ締め出すのではなく、日当たりの良い居間に面した庭に小屋を作ろうと考える私は
十分優しい主人その2と認められて然るべきだと思うのだが。


ガラリとガラス戸の開く音がして、しゃがみ込んだまま振り向くと、リザが声をかけてきた。

「あら。まだ――――ですね」

私が独り黙々と作業に集中してから、どれくらい経ったのか。
リザからの素直な感想に、私は胡乱げな視線を返すことで答えた。
まだ、どころの騒ぎではない。辺りの散乱した木片を見れば一目瞭然だ。
むしろ犬小屋製作という観点からは全く進んでいない現状で、彼女の台詞はいっそ厭味にすら聞こえる。
犬小屋作りを忘れていなかった彼女は、作業服代わりに前述の上下と、さらに木材も持ってきていた。
――が、彼女の用意していたそれは、幅も長さもてんでバラバラで、それを渡された瞬間、
彼女が私に何をさせたいのか、大いに悩んだ。

いっておくが、私の職業は大佐であって大工ではない。
佐官であって左官でもない。

こんな細切れに近い学生の工作材料のような切れ端に、何を思ったか彫刻刀の入った紙袋を渡されて、
普通に考えれば犬小屋を作れるとは思えない。
渦巻く疑問に脳内をぼやけさせながら、それでも今の今まで木片を彫り続けていたせいで指先が酷く冷たい。
削られた木屑が下に落ちる前に、北風で舞い散り、それがさり気に目に痛い。
口を開きかけたが一旦噤むと、私はリザから目を逸らした。
時間をかけていたわりに、いまいち想像どおりの形に仕上がらなかった木片を掌で遊ばせる。

「犬小屋を作るのではなかったんですか?」

君なあ。
悪意の欠片も見出せないリザに、私は溜息を吐いて立ち上がった。

「かいかぶるなよ」
ふ、と笑って眉根を寄せる。

「こんな木片でそんな大それたものが作れるか」
「……」

まさか本気で気付かなかったのかと思いつつ、沈黙の降りた彼女を振り向くと、
小さな半円形をした木材を拾ったリザが、小首を傾げて私を見上げた。

「これだとダメなんですか?」
「はい……?」

ダメも何も、せめて普通の板をくれれば。
リザの言わんとしている意図を掴み損ねて、私も僅かに首を傾げた。

「木片同士を、こう……パッチワークのように組み合わせると、斬新な犬小屋になるかと思ったんですが……」

――パッチワーク!
どこをどう考えても、そのものの本質が違うと思うのは私だけか。
それともこれは彼女なりの軽いイジメか。
角刀を握る私の右手が、木枯らしに吹かれて赤味を増す。少し痛い。

仮にどこかの国で見たカワラ、やら煉瓦のように、木片を緻密に組み合わせた彼女の求める斬新な犬小屋があるとして。
はっきり言おう。私には無理だ。
いや、時間と紙とペンがあれば、それなりに彼女のイメージする犬小屋に近いものを構築する事は可能だろう。
そういう自信なら私にはある。
だがどうだ。そこまで時間を費やして、私は犬小屋を作る理由が合ったのか?
そもそも犬小屋を作るという目的に至った理由をもう一度良く思い出してみよう。


――そうだ。
リザと二人で過ごす一時を、黒い毛玉に邪魔されず、彼女の意識を逸らさせまいと、
手っ取り早くまだまだ甘えたい盛りの彼を閉め出すために、やつにもプライヴェートスペースを、等と考えたのだ。
なのに今、せっかくの休日を寒風に吹かれ、独り自宅の中庭でくず木材に囲まれて、
工作に費やしてしまった時間は、確実に無意味だ。
私たちの休日を、危うく閉め出されたまま終えるところだったではないか。
これでは本末転倒だ。

とりあえずはそう。
部屋の中で寄り添いたい。
そう結論付けた私に、

「――大佐って、意外に手先不器用ですよね」
「違うだろうっ」

少し考えるような素振りで私を見つめるリザに、思わず大きな声が出た。
あんな木屑と彫刻刀だけ渡されて、私に神業を期待されても大いに困る。

「君は私を何だと思っているんだ……」
「上官ですよ」
「君な……」
「大切な」


そういう言い方は小狡い手だと思わないか。
あっさりと繋げられた言葉に、私はとりあえず二の句を繋げなくなって困った。


「――ぶ、不器用なわけではない!」


それでも反論を試みたまではいいが、告げられた言葉の余韻が私の口中から潤いを奪ったのか、言葉がぶれた。
彼女が私に気のないわけではない――むしろ大いにある――のは今更の事実だが、
こうしてさらりと真実を口に出されると、何故か私は気圧される。
受け流せない真剣な眼差しは、彼女の意図するのとは別のところで熱を加えて止まないのだ。
それを誤魔化す為に、手中でリハビリのように握り締めていた木片を少々乱暴にリザに渡した。

「なんですか? これ」

訝しげな声を出すリザ。
見て分からないか。

「ブラックハヤテ号だ」
「……十分不器用です、大佐」

渡されたそれに視線をやって、それから呆れたように見上げる視線を避けて、私は彼女に背を向けた。

「あいにく私は科学者で、大工でも伝統文化継承者でもないんだよ」
「知ってます。――でも」
「何だ」
「科学者というのは、器用で繊細で、それに牛乳ビンのように分厚いビン底眼鏡をかけているような人種だと思っていたんですが、
 スウェットで首にタオルを巻いた人もいるんですね」

君が用意したくせに。
重なる休日が久し振りだったせいもあるが、クスクスとからかう声音でいう彼女に、口元が緩みそうになるのを必死で抑える。
からかわれているのだ、私は。

「君の理想に適えなくて悪いが、科学者は外見ではなく想像だよ。柔軟な発想力が求められる」
「柔軟なハヤテ号ですもんね」
「うるさいな」

プライヴェートだと随分よく動く口だと、感心してしまう。
明らかな距離の縮まりに浮き立つ心中を悟られまいと、私は頑なに背を向け続ける。
なおもクスクス声を洩らすリザに、

「残念だが、君は科学者向きではないな」
「あら。錬金術師にはなれませんか?」
「なれんな。それがハヤテ号に見えない限り絶対無理だ」
「残念ですね」

まったくそうと思っていない口調でリザが続ける。
その前に、今の台詞では「絶対に見えない」と肯定されたのかと気付いて、私は流石にムッとした。
指が痛くなるほどの努力が、これでは全く報われない。


「でも、可愛いとは思ってるんですよ」
「リザ――」
「好きです。すごく」


とん、と背中に柔らかい衝撃を感じた。
そこからじわじわと流れ込んでくるのは、彼女の吐息か。体温か。いや、そのどちらもか。
起毛加工とはいえ、冷気に震えていた体がゆったりと温まってくるのを感じる。
不恰好な木彫りの犬をもったままで、リザの掌がかじかんだ私の指先を後ろから包んだ。
感覚のないはずの指先が、痺れから徐々にリザを感じ始める。
背中と末端から、随分と幸せな温もりに包まれる。


「君、アレだな……錬金術師より向いてるものがある」
「何ですか?」
「少しだけ不器用な国家錬金術師の傍」
「…………」
「リザ?」


僅かに強く背中に押し付けられて、首だけ捻って様子を窺う。
と、鼻を押し付けたままの姿勢から、くぐもった声が聞こえてきた。


「いいですね」


少し噛み殺した笑いがまじっているのは、私が不器用を認めたからか。
同時に指先へと押し付けられた木彫りの犬が、その歪さを否が応でも私に伝える。


「もの凄く不器用でプライドの高い国家錬金術師の傍」


わざわざ言い換えて付け足したリザに見えないところで方眉を上げて、
私は回されていた彼女の腕を取り上げた。
包まれていた指先は、既に感覚を認識できる。
覗き込んで触れた頬は冷たかった。


「…………だろう?」


彼女の訂正を否定せずに、無言のまま肯定して、
今度は思い切り温めてやろうとまずは瞼に唇を落とした。







コメ

昼間から中庭でいちゃつくマスタング氏。

1 1