そんな今更な話だけれど。

軽いジョーク以外で触れられることを、あまり好きになれないのはどうしてだろうと考えていたら、
馬鹿みたいな推測が導かれて少し可笑しかった。






18.抱いて 






「中尉?どうかしたんスか?」


長身を窮屈そうに屈めて顔色をうかがう声に一瞬身を引きかけて、それが良く見知った部下のものだと気付き、
リザは視線を動かした。
こんなところで会うとは思わなかったから一瞬反応が遅れてしまったのを、視線が如実に訝しむ。
滅多に来ないけれど、雰囲気の嫌いじゃないバーのカウンターで氷が静かに崩れる音がした。

ハボックは大して心配しているとは言い難い表情で、その実リザが呆けていたことを気にかけている声音で問い掛けてきた。
いつも気だるそうにして見えるが、リザの知る限りもしかしたら最も繊細で敏感な男なのではないだろうか。
ストレスと過労で最も早く胃潰瘍に悩まされるのはハボックではないかとリザは思っている。
そのくせ誰よりも早く飄々と完治させてみせるのもハボックのような気がするから不思議なのだが。


「何でもないわ。少し考え事してただけ」
「ああ……また大佐が何かやらかしたんスか」
「……いいえ?」


なんで大佐?と問えば、ハボックはその疑問こそなんでと問いたげな視線をあからさまにリザに向けた。
確かにいつもの休憩中でも、二人の話題はロイのことが多いかもしれない。
それは認めよう。
だが、なんでもかんでもリザの反応がロイに起因していると取られるのは癪だった。
業務においてロイが何かしらやらかすことでリザの怒りをかっていることくらいの推測は、
確かに司令部にいるどの面子にも苦もなく立てられることではあるが、
上官と部下以外の二人の関係を知っているハボックの口から出ると、急激に色事めいて聞こえるのはいただけない。
しかもそれがあながち的外れでもないのが余計に。


「じゃあ何?……って聞いても?あ、隣いいっスか」
「どうぞ。……別に大した事じゃないわよ。というより実はくだらない事」
「珍しいっスね。――俺、実は部下の相談とかよく頼られますよ」
「…………」


つまりは言え、と。
微妙に婉曲的な表現だがしかし、ハボックらしいストレートな物言いにリザはくすりと苦笑して、
残りのアルコールをあけた。
掌に収め過ぎていたそれは微妙な温度で嚥下されていく。


「……私ね」
「うん」
「大佐の傍にいるのが結構イヤだな、って」
「へえ…………え、は?ハァッ!?」
「変な反応」


部下の相談にもそんな反応を返していたら、あきらかに信頼を失うだろうなと思う。
口寂しさを紛らわすだけにくわえられていた煙草が床に落ちた。
それを拾って渡してやると、ハボックは礼も言わずにリザをまじまじと凝視した。
顔中にわけがわからないと書いてある。


「え、何スか。何かあったんですかやっぱり。大佐と喧嘩でも? 別……れてはないですよね?え?」
「特に何もないわよ」
「じゃあ何でそんなこと…」
「だから私のくだらない考え事」


最近のロイは真面目に仕事をこなしてくれるので、リザが傍で思われているほどお守りをしている時間は格段に少ない。
そんな時のロイは至って真面目で優秀で、部下として思わず惚れ込んでしまうのも事実だった。
直属の部下達は誰も優秀で信頼の置ける者達ばかり。
それも単にロイの有能さの現われなのだ。
その中で常に彼の背中を任されている自負がリザにはあった。
副官として、常にロイの斜め後ろに控えることを許された存在としての自分。


「……大佐の側に居たくないってことっスか?」
「まさか。そんなこと思うはずないでしょう?」
「すんません、中尉。全然わかりません」
「そう?」


諸手を上げて降参を示すハボックが可笑しくて、くすくす笑いながらカウンターに肩肘をついて頬を支えた。
何だか妙に女くさい仕草だと自覚はあったがどうしようもない。
こんな場所でアルコールが入れば、たまには気も抜けてしまうというものだ。


「中尉?酔ってません?」


手の甲で頬に触れられて些か驚いたが、黙ってされるままにしてみる。
酔っているつもりはなかったが、酔ってないとも言い切れない。


「……少尉、今彼女は?」
「あー……痛いところを……」
「ならいいけど」


もしいるのなら、こんなに気安く他の女に触れるべきはないと言ったリザに、
ハボックは「いたらしません」と即答した。
離れた感触に閉じていた瞳をゆるりと開けて、リザはハボックを見やった。
それはそれで面白くないと思う。


「……」
「なんスか」
「……弟を取られる姉の気分」
「あんた、本気で酔ってるでしょ」


空になったグラスを除けて、カウンターテーブルに突っ伏す。
横目でハボックが老齢のバーテンに注文しているのを認め、同じものをと付け足した。
出てきたそれを飲まずに、カラカラと氷がグラスに当たる音を楽しんでいると、
ハボックに取り上げられてしまった。


「……弟が反抗期だわ」
「はいはい。……で?」
「何?」
「見目麗しい姉貴はタラシの義兄さんと何があったんですかって」
「…………くだらないこと」
「どんな」


拗ねた口調になってしまったのは、ハボックが兄弟ゴッコに乗ってきた所為かもしれない。
リザが話しやすいように視線を逸らしていてくれるのに、優しさが感じられた。


「いいコね、ジャンは」
「オネエチャン、話逸らさない」
「……口煩いけど」


カウンターに投げ出されたジッポを掌で転がして、リザは漸くぽつりぽつりと口を開いた。
昨夜執務室で、ロイが言った何気ない一言を。



『花屋のお嬢さんが髪を切ってね。昔の君を思い出したよ。』



誘われたとかデートなんだとかなら、ああそうですかと歯牙にもかけないでいられたのに、
その一言が、帰り支度を終えたプライベートに片足を突っ込んだ時刻だったからかもしれない。
こんなに胸に引っかかってしまうのは。


「――――……そ、れって……嫌なことなんですか?」
「それ自体がっていうんじゃなくて」


その後「ショートの君も可愛かった」と言うのを忘れないロイのまめさには心底感心してしまう。
悪い意味でなく思い出されるのは、それが嫌いな相手じゃない限り思い出されないよりはいい。
だが。


「――例えば、任務であの人の傍にいるのはいいの。いつでも傍にいて、掲げる目的の為の盾にされたいし、
 あなたも私も、あの人に望まれてると知っているから。
 ただ……それ以外の時間を共有する自信が、ね」
「どうして?」
「……大佐は、いろんな人を知っているから」
「…………ハ?」


正確には『経験が豊富すぎるから』。
軍人としてではなく一緒にいる時間にロイがいったい何を求めているのか、計り知れた例がない。
もっと小慣れた相手なら、気の利いた言動ができるだろうに。
女としてどう接すればいいかなんて、大して気にとめたこともなかったから余計困る。


「――髪を切ったその子を見て昔の私を思い出したように、私を見て、私の仕草で、何を思うのかしら」
「……それは、誰かと比較されるんじゃないかってコトっすか?」
「くだらないわね」


本来自分の分であったグラスを取り返し、一口流す。
軍服を着ていたら、こんなこと絶対に言わないのにと心中で言い訳してグラスを置いて、再びテーブルに沈没した。
なんだか頭がクラクラする。
一人で(正確には違うけれど)、こんな酒の飲み方など一生自分とは縁遠いものだと思っていたのに。


「もしかしてそれが、側にいるのが嫌な理由?あー、中尉、それは」


柄にもないリザの態度に、ハボックが宥めるように没したリザの髪に手を伸ばそうとして――


「――――くだらんな」
「大佐!?」


突然現れた男の手に遮断され、届かなかった。
どちらの声にか、一瞬ぴくりと反応を返しただけで伏せたままのリザの手から、
氷が溶けて薄まったグラスを抜き取る。


「それで私の誘いを断ってコイツと飲んでいる、と。くだらんにも程がある」
「いや、それは偶然……」
「煩い黙れハボック。―― リザ、帰るぞ」
「―――― ちょっ、大佐?待っ……」
「あ、大佐!中尉、結構酔ってるっぽい――」
「ハボック!」


無理矢理リザの腕を掴んで立ち上がらせると、ふらつく彼女をまるで無視して進むロイに、
ハボックは思わず声をかけようとして遮られた。
先週ロイが原因でふられた女に今のこの姿を見せつけたやりたいと切実に思う。
これがフェミニストを気取る大人の男の余裕か?
理不尽に怒鳴られて、ムカつきより呆れが先にきた。次の台詞を甘んじて受ける。


「―― 私は貴様を弟とは認めんからな!」


去り際にカードを投げつけられて、ハボックはそれを顔面に当たる寸でで受け止めた。
引きずられるままに覚束ない足取りで必死について行くなんて、滅多に拝めないリザに心の中で合掌して、
我関せずなバーテンにそれを示して苦笑する。


「好きなだけ飲んでいいと……つーか、どっから聞いてたんスか、あんた」




* * * * * * * * * * * * * * * * 




「あの……」
「なんだ」


市外視察の時ですらもう少し部下への気遣いがあったように思える。
暗がりの中をひたすら無言で歩を進めるロイに、リザが小さく声をかけた。


「何か、あったんですか」
「なぜ」
「機嫌が悪いようですので……」


不機嫌な理由は幾つも考えられた。
リザの終業時刻からかなり経っている。
例えば研究が煮詰まっていた。急な仕事が入って面白くない。狸顔の上官に素敵な接待を強制された。
女にふられた――――ロイに限って、これは可能性が低いか。
ハボックが思うほど酔いの回っていない頭で冷静な推論を導き出す。
少しふらついてしまうのは、アルコールの所為というより、
自分の歩調を崩さないロイに引きずられている所為で平衡感覚が覚束ないだけだ。


「別に。
 ――これ以上アイツと話した比較結果をどうするのか、非常に興味深いがね」


振り向きもせず言われてリザは瞠目した。
ハボックじゃないが、いったいどこから聞いていたのか。
リザのくだらない自尊心を全て聞いていて、それから声をかけたのなら何て性質の悪い。
嘲笑するような口振りで、しかしふと掴まれた腕に痛みを感じて、リザはロイの背中を辿る。
表情は窺えなかったが、自由な方の手でロイのコートの裾を引っ張って呼び止めた。


「大佐?もしかして――」


ロイはまだ黙って前を向いたまま、掴まれていた腕がぎこちなく放される。
リザの歩調で漸く距離を縮められる。
立ち止まったロイに凭れ掛かるようにして、リザは背中から腕を回してゆるゆると抱き締めた。
厚手のコートの上からでも、強張った筋肉の動きが感じられて思考が緩む。


「意外と私のことが好きですか」
「…………泣くぞ」


憮然とした声音とは逆に、前に回したリザの手を、今度はやけに優しく包みながら言われて、
リザは回した腕に力を込めた。


「いっそ泣いて下さい」
「優しくキスして慰めてくれるか?」
「優しく抱いて差し上げます」


それだけは他の女性には出来ないだろうから。
広い背中に頬をこすりつけて言えば、フ、と息の漏れる音と共に、リザの手がロイの口許に上げられた。


「悪くない」
「……そうでしょう?」


こうして無防備な背中を預けられて戯言を吐くことを許されるのは、他の人には絶対無理。
そこに軽く口付けられて、リザはロイの背中で微笑した。








雑記

…抱いて、ない(笑)。
全然お題に添ってないハボアイのようなロイアイ。
ハボがリザたんの可愛い弟分だといい。
というかハボはリザたんを手のかかる姉だと思ってるといい。

ハボアイの会話が書いてて楽しかったという、ロイアイにあるまじき文章でドロン。

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