酒の力で幸せを願う




ぐて、という音がそのまま嵌まりそうな格好でだらしなくカウンターに突っ伏す彼の右手には、それでもまだ放すつもりのないグラスが握られている。室内を照らす明かりを反射して煌めいていた琥珀色のウィスキーも、溶けた氷のおかげで今ではすっかり茶色の液体に成り下がっていた。


「もう……。帰りますよ?」
どうせ聞こえていないだろうと思いながら、何度目になるか分からないため息を吐いて、私は彼の肩を軽く揺すった。ぴくりと動いた気がしたが、顔を上げる気配はない。
いくら気の置けないマダムの店だといっても、閉店後の時間を貸し切ってまで彼がこんな飲み方をするのは初めてのことで、私は多少戸惑っていた。
気を利かせたマダムが「適当に構ってやんな」とボトルを置いて退出してから、それほどの時間は経っていない。だというのにこの状況。潰れた飲んだくれ親父がここにいる。


「明日、体辛くても知りませんよ」
言いながらだらりと下に垂れた左手を突付いていると、ふいに手首を掴まれて驚いた。
「――ごめんな」
「え?」
うつ伏せたままで言われた言葉の意味を取り損ねて、私は彼を見やった。
カウンターテーブルの下で掴まれた腕は、やけに火照った彼の手にしっかりと捕らえられている。
もう一度ごめんと呟いて、彼がゆっくりと起き上がった。
突っ伏していたせいで前髪がおかしな方向に潰れていて、年不相応に可愛らしい。
アルコールに侵された彼の視線は、射るようなものではなく、ぼんやりと膜を張ったように揺らぎながら私を見ていた。顔の火照りは思ったほどではなかったが、それはこの室内に灯るオレンジ色の明かりのせいなのかもしれなかった。


「……寝惚けてますか?」
謝罪の言葉も苦しげに寄せられる眉の意味も分からない。
少し体を引き気味に上目遣いで聞くと、彼は掴んだ私の手を持ち上げると恭しく口付けをした。
「な――」
「幸せになって欲しい」
「何を、」
「誰よりも君に」
ときおり頭を揺らしながら言う彼は、絶対にアルコールが回っている。
なのに意外なほど呂律はしっかりとしていて、私を見る目にも迷いはなかった。


「……虫の好かない男に嫁ぐエリシアちゃんに最後の説得を試みるヒューズ中佐みたいなことを言わないで下さい」
変に緊張した雰囲気を解す為に言ったはずの台詞は、そう遠く外れてはいなかったらしい。はは、と可笑しそうに笑った彼の視線が切なげに揺れて、私は咄嗟に目を伏せた。
掴かまれた腕はそのままに、もう片方の手で彼が私の頭を撫でる。まるで私がハヤテにするような撫で方だった。優しく、けれどもくしゃくしゃと適当に髪を掻き乱された私が不満を言う前に放される。
それからまたカウンターに腕枕をすると、彼はぼんやりといった体で上目遣いに私を見た。


「……酔っ払い」
「うん」
努めて揶揄するような口調で言えば、彼が苦笑しながら頷いたのが分かった。
それから少しの沈黙が落ちて、今度は本当に酒に飲まれてしまったのかと恐る恐る視線をやれば、まだずっと私は見上げていたらしい彼と目が合ってしまった。
しまったと思う間もなく、アルコールの熱に浮かされた男が口を開く。
「君が幸せならいいんだ、けど」
「……けど?」
そこで一旦台詞を切ってから、掴まれたままだった右手を少し強く握られた。
「私の知らない男にしてくれ」
「何ですかそれ」


それは何の冗談なのかと半眼で見下ろせば、しかし彼の方が私に負けず劣らず険のある視線で見上げてきた。これも俗にいう絡み酒になるのだろうか。
「知っている男だと燃やさない自信がない」
「知らなければ良いんですか?」
ひどく身勝手な言い分だ。ならばと返した私の言葉に、彼にしては珍しく、一瞬純粋に驚いた表情を浮かべて、それからふいと視線を逸らした。
誰もいないカウンター越しに何かを追うように視線をめぐらせ、眉を顰める。


「……知らない男に君を掻っ攫われるというのは気に食わないな」
なんとも勝手な言い分だ。
これが素面ならただの戯言だと割り切れるのに、アルコールの入った彼は本気に見えてとても困る。
言うだけ言った彼は、私に視線を戻さずに、ずるずるとカウンターに潰れてしまった。
やはり相当酔っているのは間違いない。
それでも緩く握られたままの腕を見つめながら、私の口から小さく言葉が漏れた。


「……私はどうすればいいんですか」
「幸せになってくれればいいよ」
呟きに返された即答に驚いたが、彼はカウンターに潰れたままだ。
私の幸せを願うその口で、突き放したようなその台詞は彼自身の腕でくぐもって聞こえた。
私に肯定しろとでも言うつもりか。
「……貴方以外と?」
掴まれた手首の下で思わず拳を握り締める。
「うん――」
「無理です」


腕の下でもぞもぞと頷かれて、今度は私が即答した。
幸せのなり方なんて、貴方に決められてたまるものか。
いくら近い距離にいるからといって、父親のような顔をして、そんな願いを簡単に口にしないでほしい。
ヒューズ親子ではないのだ。泣きながら、それでも笑顔で抱きつくなんて可愛い真似は、私には出来ない。
「無理です」
「……うん」
もう一度言うと、今度は少し間があって、返事というには弱い答えが返された。
「聞いていますか」
「うん……」
睡魔が本格的に襲っているのかもしれない。本当になんて都合の良い男だろう。
だんだん腹が立ってきて、唇を噛み締めると、不意に瞼が熱くなってきた。
力の抜けた彼の手が、私の手首からゆるゆると離れていく。
「無理よ、バカ」
もう一度「うん」と唸った彼に、私は溢れそうになった涙を堪えて、どうせ見てないのだからと思い切り睨みつけてやったのだった。




酒の力でも借りないと、他の男と幸せになんて冗談でも言えない増田氏。でも酒が入ると本気ぽくなるのが難点。
リザたんはこんな増田に結構本気で「氏ね^^#」とか思ってればいいですww

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