一足先に退院の決まった私は、リザの許可を得て、彼女の衣服を持ってくるという大役を勝ち取った。
友人のカタリナ少尉に頼むと譲らなかったリザの首を縦に振らせたのは、他でもない、カタリナ少尉本人が辞意を申し出てくれたからだ。
曰く、「男の影がチラついてたら、うっかり中将に口滑っちゃうかも」と。
そんなものはないと断言したリザの台詞を受けて思い出したことを、彼女に聞いたのが始まりだった。





無理は禁物





「……まだ、持ってるか?」
「大佐まで、レベッカに合わせないでください」
「いや、そうじゃなく」
訝しむ彼女へ私が自分の腕を軽く叩いてみせると、その動作にリザが考えるように眉を寄せた。
それから僅かに目を瞠る。どうやら思い出したらしい。
何故今ここでと思いきり不満を滲ませた視線を受けて苦笑で返した私達の無言の応酬を、カタリナ少尉が興味津々といった風に見比べる。
それから完全に揶揄する調子で足を組み替え、肘をつくと、リザに向かってわざとらしく首を傾げてみせた。
「何か、聞いちゃってもいいものかしら?」
「――腕時計よ、単なる」
観念したというより、それ以上言うつもりはないという意思がひしひしと伝わるリザの口調に、しかし少尉は軽い調子で相槌をうち、まるで意に介さない。
「マスタング大佐の?」
「そうだな」
別に隠す必要もないことだ。判断した私が口を挟むと、リザに鋭い視線で睨まれてしまった。
同性の友人との楽しい会話を邪魔したことより、余計なことを口にするなとブラウンの瞳が言っている。
了解の代わりに小さく片手を上げて、私は既に退院支度を終えたベッドに腰を下ろした。
リザを挟んで向かいのパイプ椅子に座る少尉が、にやりという言葉がピッタリな笑顔をリザに向ける。

「それがリザの部屋にあるんだ?」
「東方にいた時のものよ。忘れ物を私が預かってそのままに……」
リザの説明は間違っていない。
単に彼女の部屋に上がり込んだ際、ベッドサイドで外したはずの腕時計が弾みで落ちて、しばらく見つからなかっただけだ。
ベッドの下で発見された頃には既に新しいものを調達してしまっていて、そのうち、今度、と言っている間に今に至るという話だ。
「すみません大佐、退院したらすぐにお返しします」
「ん、いや、いつでもいい」
「お返しします」
「……うん」
黙って頷けと銃口をこめかみに向けられてる気分になる貴重な笑顔だ。
ベルト部分が腕に馴染むと巻いてたこともあったくせに、とはまさか言うまい。
私達のいかにもなやり取りを黙って見ていた少尉が、なるほど、と鷹揚に頷いた。
「そっかー。そうよね、リザは副官だったんだものねえ」
そう言ったカタリナ少尉の口調と表情は、明らかに笑いを存分に含んでいる。
それからいかにも今思いついたと言わんばかりに、ぽんと胸の前で両手を打った。
「そういえば服持ってくるっていっても、私、こっちのリザの部屋って初めてよね」
「ええ、そうね。場所は前に――」
「服の場所とかわかんないわね」
「それならクローゼットの引き出しを、」
「探しついでにうっかり色んなもの見つけちゃったりしちゃうかもね」
「レベッカ!」
完全に彼女の掌の上だ。
おそらくリザの部屋に、他者をにおわせるものなどそれ以外にないだろうに、そこで制止の声を上げれば、私達の関係を肯定しているようなものだろう。
普段が凛としているリザは、信頼を置く者には意外な甘さを許す性質なのは、きっとカタリナ少尉も充分承知のことだろう。
二人のじゃれ合いとも取れる応酬に私はくつくつと肩を揺らした。
「あらやだ。私そろそろ軍に戻らないと。ということで失礼しますね、マスタング大佐」
部屋も場所もわかりますよね、と言い置いて、どちらの返事も待たずに病室のドアが閉められる。
まったく鮮やかな引き際すぎて、私は堪えきれずに盛大に笑い声を上げた。

「すみません、大佐。レベッカにもう一度――」
「カタリナ少尉だけじゃなく、私に見られたらマズいものもあるのかね?」
「大佐!――っ」
笑いすぎて涙の滲んだ眦を拭えば、リザが声を荒げて私を睨む。
ついでに思わず首も向けてしまったらしい。まだ塞がりきっていない傷口に響いたのか、彼女が僅かに息を飲んだ。
「……と、悪い。冗談が過ぎたな」
「いえ。私が――」
咄嗟に頭を振りかけたリザへ、私は腰を浮かして、包帯越しにそっと傷を抑え動きを制した。
バツが悪そうに視線を彷徨わせてから、困惑気味に私を見る彼女のベッドに移動して先を促す。
「あの、では申し訳ありませんが、後でお支払いしますので、適当なものを」
「白と黒のは必須だな。あとレースの、私が送ったやつも。似合ってたし、いいよな」
「たい――!」
うんうんと頷く私へ、咄嗟に反論しかけたリザの口を、身を屈めて掠めるように奪った。
彼女の負担にならないように、本当に僅かな接触だ。至近距離のままで解放する。
額を合わせて見つめれば、リザが上目遣いで拗ねたように眉を寄せた。
「……困ります。病院ですよ」
「はは、何を今更」
いつもは彼女に言われることの多い台詞で返せば、半眼で睨まれはしたが、否定はなかった。
本当に今更だ。
いくら軍属、いくら戦いの後で病床数が心許ないといえ、私たち二人が同室になった背景に、何の意図もないわけがない。
加えてカタリナ少尉のあの口振り――十中八九、グラマン中将の息がある。
無論、通常業務に戻れば今まで同様、あえて関係をにおわせるわけもなく。
だからこその、これは言うなれば、今回の功績に対するおまけのようなものなのだろう。

「……大佐」
「ん?」
リザもそれに気づいている。 だから、私がベッドの端に腰掛けて、彼女の髪を撫で梳かしても、あからさまな抵抗をしない。
こんな日は、中央に来てからというものとんとなかった。
だからいいだろう。
文字通り寸暇を惜しみ、死線を潜り抜けて得た、束の間の休息だ。後でどんな返しがあろうと、今くらいいい。
中将の厚意にどっぷり浸かってやる。
「誰か来たら……」
「今更だ」
妙な決心を内心でしたせいかもしれない。言った口調が自分でも驚くほど甘くなった。
しかしリザももう何も言わない。 戸惑いを含みながら、けれども少しずつ力が抜けて、私に預けてくれる重みを感じる。
「……さっきのは、必要ありませんから」
リザの口調も随分柔らかくなってきた。
「さっき――ああ、レースの?」
聞くと無言の肯定があった。
「なぜ?」
似合っていたというのは本当だし、別に誰に見せるでもない。
首元に当てた手をそのままに問えば、しばらくの逡巡の後、リザが言い難そうに言葉を選び始めた。
「私はまだ入院中ですし、その……」
「――ああ。まさか脱がせたいわけじゃないから安心したまえ。そこまで節操がないわけじゃない」
リザの言わんとしていることを理解して、私は苦笑した。
一瞬詰まったリザの頬が若干赤いが、指摘すれば傷も忘れて怒りそうなので見ないふりをすることにした。
しばらくリザが落ち着くように髪を撫でれば、肩の力がゆっくりと抜けてきたのを感じる。

「あとは、何を取ってくればいい?羽織るものもいるよな」
「……では、ドレッサーにあるブラウンの――」
「わかった」
よく部屋着にしていたアレだろう。 頷いた私に、リザが「お願いします」と微笑をくれた。
「すぐに持ってくるよ」
膝の上に置かれていた彼女の手に自分の手を重ね、額にかかる前髪をもう一方の指先で掬うと、くすぐったそうにリザが目を細める。
そろそろ着替えを取りに、一度出なければ、面会時間内に戻れなくなる。
せっかく素直になっているリザと離れるのは非常に惜しいが一旦我慢だ。
「じゃあ一度行くな」
「ええ。替えは明日以降でも構いませんので」
「今日来る。明日も来るから、待っていろ」
別れ際の挨拶のつもりで額の髪を上げて、軽く口付ける。と、リザの手が応えるように私の指をきゅっと握り返した。
「…………」
「大佐?」
ここでこれ以上のことをするつもりは毛頭ない。
が、傍にあるこの珍しく素直な存在を、まだ離したくないと実感できるくらいの甘え方に、柄にもなく顔が熱くなった気がする。
「――本当に今更だな」
「え?」
リザに届かない口中での呟きは自分に向けてだ。


甘えさせたい。大事にしたい。
可愛すぎて仕方がないのだと、誰彼かまわず見せつけてやりたい。
この衝動は何という名前だっただろうか。


だいたい、あまりに分かりやすすぎるこの病室に、今更誰が空気を読まずに来るものか。
だからリザの額から眉間、瞼、鼻先へ。
別れの挨拶が長くなるのも仕方がない。
「……ん――」
「リザ……」
感触を覚えさせるように丁寧に唇でひとつひとつをなぞっていく。甘えたように鼻をならした彼女の唇に指で触れて――
「――ごっめん、リザ!中将からの伝言忘れてて――」
「ッ!!?」
あともう一息といったところで、空気を読まない足音が、慌てた謝罪とともになだれ込んできた。
せっかく預けられていたリザの体重が反射で離れそうになるのを、肩を抱いて圧し止める。
「……ノックも忘れたようだぞ、カタリナ少尉。リザ、その体勢から振り向くな。傷に触る」
リザの体を抱き寄せたまま、視線だけを少尉に向ける。
と、カタリナ少尉はしまったとばかりに大きく目を瞠って、それからビッとやけに真面目腐った顔で敬礼をしてみせた。
「中将から二人に『お大事に。』と。マスタング大佐には『病室では程々に』との事」
「心掛ける」
対して私もクソ真面目に頷けば、少尉もその表情のまま、
「マスタング大佐、不躾だった非は中将への黙秘と相殺ということで」
「了解した」
実に的確な等価交換の成立だ。
「それじゃ、お邪魔しました。――あ、リザ。続きは傷塞がってからにしてもらいなさいよ」
「――レベッカ!」
最後に親友に向けての立派な忠告を投げて、今度こそきちんとドアが閉められた。
なるほど。さすがにあの中将が何かと手駒に使うわけだ。
今までもリザとの間で立派な伝令を果たしていた少尉に妙な納得をして、リザに視線を転じれば、片手で額を押さえているところだった。
ありえない、という小さな呻きにも似た呟きが聞こえる。
「大丈夫。今更だ」
肩を竦めて言った私に、リザが恨めしげに見上げてくる。
本当に今更だ。
愛しすぎて、今更キスを唇にしないでなんていられるか。
首の負担にならないように、思い切り自分の首を傾けた私の接近を、リザも拒みはしないのだから。








2011.06.11記念!

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