7・目撃 「じゃあお先に」 定時にきっちりと仕事を終えたリザが、席を立つ。 部屋の仲間に退勤の挨拶を済ませてドアが閉まると、ハボックは銜え煙草を唇で遊ばせた。 「――大佐が休みだと、ちゃんと定時で上がれるんだよなあ中尉」 「そりゃな。仕事溜める上官の補佐も必要ないわけだし」 ここにはいない今日は非番の男に含みを持たせると、隣のブレダが当然のように同意した。 当人が聞けば発火布を一擦りくらいはしそうな会話だ。が、花が去り、男だらけの室内、しかも気の置けない仲間内だけになった時点で、止めるものは何もない。 「まあでも、大佐の仕事は僕たちと比べ物にならないでしょうし……」 「それを承知で、あえて昼間にサボるというのは、ある意味さすが大佐といいますか」 フュリーのフォローを同意か貶しか微妙なニュアンスでファルマンが繋げる。 それを受けて、ハボックがにやりとフュリーに笑った。 「知ってっか?あの人が昼間サボんのはな、中尉が残って終わるまで付っきりになるからなんだぜ?」 「だよな」 「そうですね」 「――えええっ、お、お二人はそういう関係だったんですかっ!?」 狙い通り、一人素っ頓狂な声をあげて慌てたフュリーに、ハボックはおかしそうに肩を揺らし、見兼ねたブレダが、書きかけの書類からペンを放すと、フュリーにびっと突きつけた。 「コイツの冗談だ。フュリー、大佐はともかく、今の、絶対中尉には言うなよ」 「い、言えませんんん……!」 真実は問わず、勤務中に上官を色物のネタになど、彼女の愛犬に対する躾を見てしまった者として、口が裂けても言えるわけがない。 フュリーの宣誓に近い悲鳴を受けてひとしきり笑ったハボックは、目尻に浮かんだ涙を拭って、それでもまだ可笑しそうに会話を振った。 「ま、でも実際噂もあるっちゃあるし、あの二人がそういう関係でもおかしくはないけどな」 「長い付き合いですし、息もぴったりですから、そういう種になりやすいんでしょうね……」 もう止めましょうよと言い出さないフュリーも、全く興味がないわけではない。男所帯の軍部で、そんな話題は多かれ少なかれどこにでも転がっている。 ただ自分の仲間内が、根も葉もない中傷を受けるのが気に食わないというだけの話なのだ。 溜息をついたフュリーに、ファルマンがもっともらしく頷いて、 「仕事明けはよく一緒に帰られてますしな」 そう続いた言葉に、一瞬室内に沈黙がおりた。 ブレダが椅子に肘を預けて、ギッと音を鳴らして体重を預ける。 「……それ、俺知らねーな」 ファルマン以外の心情を、いの一番に口にする。 それに勇気を貰ったのか、フュリーがおずおずと口を開いた。 「あの、着替えもありますし、お二人は大抵別々に軍を出てませんか?」 「ファルマン、それどこ情報?」 いつの間にかニヤケ笑いを止めたハボックも、ファルマンに向き直っている。 「は?――いえ、私が夜勤入りでくる日に、市街地裏通りを歩く二人をたまたま何度か見かけたことが……」 「あっそういえば、僕も退勤後の大佐がハヤテ号の紐を持ってて、どうしてかなーと思ったことが……何度か」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 思い出したように手を打ったフュリーの新たな発言も加わって、男四人に再びの沈黙。 その沈黙を破るようにブレダが長い息を吐いた。 「――状況を整理するか」 作戦参謀の提案に、男たちは自然と身を寄せ合う陣形になった。 「そもそもフュリーの言ったとおり、残業でも、基本は二人別々の時間に上がってっだろ」 「昨日もそうでしたな」 「出来上がった書類を中尉が処理してからですし、大佐の方が先に帰られることが多いですよね」 「じゃあ何か?外で待ってるってか?大佐が?中尉を?わざわざ裏通り使って帰る為に?」 「…………それってさー」 これで導き出される結論は多くない。 いつの間にか火のついた煙草で紫煙を燻らせるハボックの台詞を、慌てたようにフュリーが遮った。 「な、長い付き合いですし、自分のせいで遅くなった中尉に労いを、とかじゃないですかねっ」 「そんなん堂々と誘えば良くね?」 ハボックのツッコミは正論すぎて身も蓋もない。 余計な詮索を避けるには最もな理由で突っ込まれ、フュリーはあうあうと閉口してしまった。 「でもなあ」 しかしブレダが顎をさすりさすり、疑問を乗せた。 「あんま想像つかないっつーか」 「普段が普段ですからな。あの大佐との、甘い雰囲気というのは確かに想像がしにくい」 市井であらゆる女性といつの間にやら親しげに会話を交わしている男の姿が、誰の脳裏にも容易に浮かんだ。それをクールに見つめる副官の視線には、嫉妬はおろか、どんな感情の揺れも認められたことはないはずで、そんな二人の関係に、いわゆる恋人同士の甘やかさは、どうにも想像の域を出ないのだ。 うーん、と唸り声をあげて行き詰まった思考の波に、一人きょとんとした表情を浮かべていたのは、フュリーだった。 「あ、でも大佐は良く中尉に触ってますよね。すごく自然だから、やっぱり軍属で戦時もずっと一緒だったそうですし、付き合い長いと家族のようになるのかなーって、僕思ってたんですけ、ど……?」 三人とは別の姿を浮かべていたらしいフュリーの言葉に、一気に視線が集中した。ようやく自分が注目されていることに気づいたフュリーの言葉がしぼんでいく。 「あの……」 「よく!?触ってる!?」 「どこで。どこを。どんな風だった」 「日時は?」 「え、え、えええっ!?」 突然尋問される側になってしまった。矢継ぎ早に繰り出される質問を受けて、フュリーはそれぞれの顔を見ながら、自分の記憶を手繰るしかなかった。 例えばどんな時かというと。 「大佐のシャツの、襟が折れてる時とか、中尉が気づいてよく直してますよね……?」 これは特別おかしな光景ではなかったはずだ。 思いながらおずおずと口にすれば、ブレダがああと思い出したように頷いてホッとする。 「それならたまに見る光景だな」 「襟曲げて出勤っつーのもある意味すごいけどな」 「ええと、帰りがけに、私服のタイを直しているのを見たこともありますけど」 「……ん?ちょい待った。何かそこら辺当然ぽく俺ら見てたけどよ、よく考えたら近くね?」 「確かに。いやでも相手が大佐だからな……」 「フュリー曹長、他には」 しかしファルマンの追究は早かった。 他に。そうだ、あれは確か。 「中尉の髪を触ることもありますよね――」 「見たことねー」 「セクハラじゃね?」 「普通部下の髪に触らないだろう」 容赦のない突っ込みに、フュリーは自分の言葉が足りなかったことを理解して、慌てて状況説明を試みる。 「あのでも市外視察の帰りでしたし、葉っぱか何か取ってあげてたんですよ!」 そうだ、確かにそれは本当に自然な動作で。 だからフュリーは、別段おかしな詮索をする気にさえならなかったのだ。 しかしハボックは、ふうんと嘯いて、紫煙の輪をひとつ放った。 「葉っぱね……心の中の見えない葉っぱね」 「え?それなんですか?」 「いいからいいから。で次は」 「次って、え〜……」 他に、例えばどんな場所で。 改めて聞かれると具体的に浮かばない。 しばし頭を抱えながら考えて、フュリーははっと顔を上げた。 「ああ!この間、中尉が第三倉庫に資料を探しに行った時なんですけど、上の箱を下ろそうとして、埃が舞ったみたいで――」 そうだ、倉庫で二人を見た。 「俺が野外訓練行った日だろ?」 あの日かとハボックも自分の記憶を手繰る。 「あの時か……。そういや、大佐執務室にいなかったよな?」 ブレダの確認に、ファルマンがはいと同意した。 「時刻16:28。認印が必要なのに大佐がなかなか戻られず、サボりじゃないかとフュリー曹長が大慌てで探していた時ですな」 中尉が席を外したと思ったら、そこにいたはずの大佐も消えて、急ぎの認印が必要になったフュリーは、慌てて軍部内を走り回ったのだ。 「違ったんですよ。大佐、中尉を手伝いに行ってたらしくて――僕気が回らなかったなあって反省して――」 「むしろ気ぃ回してたんじゃねえの。無意識に」 「え?」 「フュリー、それで?」 意味ありげなハボックの言葉に首を傾げるが、ブレダが片手で制して先を促す。 「あ、ええと、僕が扉開けた時、大佐が中尉の顔に触れてて、さすがに一瞬ドキッとしちゃったんですけど……」 えへへ、と思い出し笑いを浮かべたフュリーの胸座を、ハボックが勢い良く掴み上げた。 「何がっ!何があって、ドキッとなった!そこ詳しく!」 「重要証言だ、フュリー曹長」 「お前ら察しろよ。そんなん単なる密会現場じゃねえの」 ファルマンの細い目までが近づいて、ひっと息を飲んだフュリーの間に、ブレダがやれやれとでも言うように手を振ってとりなしてくれる。が、言っていることは間違いだ。フュリーは慌てて頭を振った。 「ち、違いますよ!中尉の目にゴミが入ったのを取ってたって大佐が――!中尉も涙目になってましたし、相当痛かったんでしょうね……」 大丈夫かと大佐が言って、中尉は確かに頷いていた。目を押さえて下を向きかけた彼女に、あまり擦るなよと気遣っていた彼を思い出してフュリーが頷く。 「……」 「……」 「……」 が、三人は三様に口を閉ざして互いに視線を交わして頷き合った。 代表して、ブレダがさっと手を上げる。 「フュリー。ちなみに電気は?」 「点いてましたよ。ちゃんと入り口の。奥は切れてたみたいで、後で総務に言うようにって」 何でそんなことを聞くのだろう。もともと第三倉庫の電気が切れ掛かっていたというのは周知の事実だし、暗がりとはいえ暗闇ではない。中尉はきちんと資料も脇に抱えていた。 「その後の二人の様子は?」 「ファルマン准尉まで……本当に何にもないですってば。お二人とも、何事もなく資料を持って仕事に戻られてたじゃないですか」 訓練から戻ったハボックに、お疲れ様と中尉がコーヒーを渡していたのも記憶に新しい。 しかしその言葉で確信を得たのか、三人はつまらなそうに視線を明後日の方にやった。 「常習か」 「常習だな」 「常習ですな」 「え?」 倉庫の奥で、涙目になるほどの何をしていたのか。 純粋すぎるほど二人の主張を信じるフュリーを尻目に、上官三人は、やれやれと各々自分の仕事に戻っていった。 一番目撃してるのがフュリーだったら、という話。 |