9・お別れの




司令部を出て、ロイは隣を歩くリザに声を掛けた。
「すまんな、こんな時間になってしまった」
「いいえ。今日はサボリではありませんでしたし。お疲れ様でした」
「……耳に痛いな」
街灯の明るい門前をすぎると、二人の足元に伸びる影も薄くなる。
揶揄するような労いを受けて、ロイはガリガリと頭を掻いた。
「あいつらはまだ?」
「さすがに二次会に移っているとは思いますけど」
「まあ飲んでるだろうな」
ちょっとやそっとでお開きにはしなさそうな雰囲気で、先に退勤した彼らの様子を思い浮かべる。
「大佐が来るまで飲んでます、とハボック少尉が宣言してましたしね」
思い出して笑うと、ロイが嫌そうに顔をしかめた。
「慕われる上官で良かったじゃないですか」
「あいつらが慕ってるのは私じゃない。私の財布だ」
「何もないよりマシかと」
「泣くぞ」
「冗談ですよ」
「どうだかな」
ロイの返しに微笑すると、息が少し白くなった。春といえ、さすがに夜半は気温も下がる。
寒いとはあまり思わなかったが、ふと見ると、隣でロイが吐き出した白い息を見ているところだった。
リザの視線に気づいたロイが、息が白くなると自慢げに笑う。
「そうだ。場所はいつものところか?」
「おそらく」
そういえば何の打ち合わせもなかったが、だからたぶんいつもの所で合っているはずだ。
今更の確認に、リザは歩調を緩めず慣れた道を歩きながら頷いた。


「この辺り、意外と街灯少なかったんだな」
しばらく並んで歩きながら、ロイが思い出したように言った。
確かに。言われてみれば、まばらに建つ施設や民家の塀は、間隔の広く取られている街灯の明かりを頼りに薄く揺らめいている。メインストリートから離れた、いわば軍用地付近の裏道にも通じている為、そもそも退役後の軍人や夜間閉鎖の施設が多い場所だった。街灯の少なさで問題になる区域でもない。
「そうですね。いつもはみんなと来ますから、あまり感じませんでしたけど」
「騒がしさは半端ないからな」
砕けた調子で笑うロイに同意する。
「――お」
ふと、ロイの足が止まった。
「大佐?どうかしました?」
ロイが横の壁を凝視している。確か繊維化繊工場の敷地だったはずだ。
記憶の地図と工場名をさっと浮かべたリザを尻目に、ロイは喜色を浮かべて振り返った。
「見ろ。影絵が出来そうだ」
街灯の届く範囲に入っている壁は明るすぎず暗すぎず、ロイの言うように壁に近づけば影がしっかりと濃く映った。
「そうですね、影がくっきり出ていますから――」
「君、何出来る?」
「は?」
おもむろに言われて問い返す。
「蝶々、鳥……む。意外に羽ばたきが難しいな」
しかしロイはそれに答えず、自分の両手を組み合わせて幾つかの影絵を作っている。
「大佐」
「狐とか出来たよな?」
「出来ますけど、待ってますよ」
「わかった。歩きながらだ。すぐそこだし問題なかろう」
「はあ……」
絶対到着は遅くなるだろう。
だが、あまりに当然のように促されて、リザは渋々頷くしかなかった。


「見ろ、ハクロ将軍」
「…………器用ですね」
案の定ゆっくりのったりな歩調で続く壁に影絵を映し出しているロイに合わせつつ、時折傑作を見せてくる彼に呆れつつも正直な感想を口にする。
「グラマン中将とか出来るか?」
「無理です。ハクロ将軍にしたってどんな指になってるんですかそれ」
とんだ無茶な質問をされ、リザは間髪入れずに否定した。
しかし台詞の前半をすっぽりと抜かして、ロイはリザに指を見せる。
「ん?ここをこうして、指を間に入れてだな……」
真面目な表情で組んだ指を見せられて、思わず覗き込む。
「無理です」
――が、やはり間髪入れずに首を振った。
入り組みすぎている。間接可動域が絶対におかしい。
「絶対に無理です。引き金をひく大切な指ですので、私にはとても」
「私だって、焔を作る大切な指だぞ!――む?」
「大佐?」
憮然と言い放ったロイが、しかし途中で言葉を止めた。
「絡まった」
「は?」
「かもしれん」
いつになく真剣な声音で自分の指を見下ろすロイに、リザは呆れを全面に出して視線を移し――
「何をふざけて……って本気ですか!?」
慌ててロイの両手を掴んだ。
「いたたたたっ!無理にするな!――違う、その方向は明らかに違う!曲がらん!」
「似たような方向に曲げていたじゃないですか」
「ギリギリの均衡で組み合わせていたん、だっ!」
どうしてそこまで無茶をした。
仲間の待っている飲み会に向かう道すがら、酔っ払いよりも性質の悪い道草を食っているこの状況。
申し訳なさと情けなさと、それから全く離れる気配のない絡み合ったロイの指に対する焦燥で、リザは眉根を寄せて息を吐いた。
「もう、いっそのこと全部外しましょうか……」
「何をだ。早まるな、中尉」
「しかし」
言い募るリザを、ロイが絡めたままの手を上げて制する。
「一本ずつ考えようじゃないか。この指は右だろう。で、こっちが……」


ほの暗い夜道。疎らな街灯の下。
いったいどれくらい時間が経ったのだろう。
「外れましたね……」
「とんだ災難だった」
しかつめらしい表情で互いに角つき合わせながらの試行錯誤は、何とか功を奏した。
ほっと息を吐いたリザは、もっともらしく頷かれて、今度は呆れて溜息をこぼす。
「バカなことをしているからです。指、動きますか?」
橙の灯りの下ではいまいち判り難いが、ところどころ赤く圧迫された跡が見える。
痛んではいないかと気遣いながら指に触れると、ロイは大人しく撫でられながら悪びれもせず、軽快に笑った。
「ああ。でもちょっと楽しかっただろう?影絵」
「絡まるまではやりすぎです」
まったくいい歳をした男がどんな状況だ。
遅れた理由を聞かれて、指が絡まったから、で通じるものか。
「――お」
「もう。今度は何です?」
新たな影絵を思いついたなどと言われたら、問答無用で指を引き抜くのが良いかもしれない。
半ば本気で物騒なことを考えてしまったリザを気にせず、ロイは今度は地面を見ながら、簡単に告げた。
「影だとしてる距離だな」
「は?何、を……」
ロイの視線を追って下に目をやり、リザは思わず口を閉ざした。
光で照らされた中に足元から長く伸びた濃い影が、街灯の向こう側にシルエットを縫い止めている。
全てが立てにぐんと伸びて、手に手を重ねた二人の距離が実際よりも隙間が少ない。
「角度的には私がこうか?」
影だけ見ながら、ロイが顔をおかしな方向に斜め向かせる。
それで二人の距離は離れたはずなのに、まるで本物のように影の中の唇が重なった。
「――!」
この男は、まったくどうして――。
普通にされるよりも心臓が跳ねた。
いつの間にか自分が触れていたはずの手に、上からロイの手が重ねられている。
子供染みた悪戯を、大人の狡猾さでやってのける。
「――みんなが待っていますっ」
「今更だろう。それにこの影なら絡まらん。いいじゃないか」
「ではお一人でどうぞ。私はお先に失礼します」
絡まってたまるか。
勢い良く手を振り払い、憤然と言い切ると、ロイが早足で踵を返しかけたリザの手を取り、苦笑した。
「わかった、止めた。すぐそこなんだ。一緒に行こう」
「はなしてください。すぐそこですよ」
「絡まったことにすればいい」
規則正しく折り曲げられて、指と指とが交互に絡む。
リザの抗議を受け流したロイが、ゆっくりとした歩調に変えた。
「……どんな理由ですかそれ」
橙の柔らかな街灯を受けて、ロイが笑った。
返事のかわりに、絡んだ指がどちらからともなくきゅっと強まる。
東方で飲む、これが最後の飲み会の夜。



END



尻切れ気味ですが目指せほのぼの。
1 1 1