真実はそっと宵闇の後で





グラマン中将との一局で、年明け東部テロ摘発率を痛い数字で了承せざるを得なくなったという苦い気持ちを抱えて戻ると、執務室の中から、何やら聞き馴染んだ部下たちの声が聞こえてきた。
「――明日は休みだから問題ないわ」
「え、いいんスか?」
何やら普段より若干潜められて聞こえた気がして、私はドアノブに置いた手をそのままに、耳をそばだてた。
どうやら中にはリザとハボックしかいないらしい。二人で何の悪巧みだと眉を顰めて続きを待つ。
「ええ。滅多にないことだし、好きなだけ。……お願いできる?」
僅かに躊躇ったハボックに肯定したリザが、少しの間を置いてそう言った。
リザがお願い?ハボックに?
一体どんな内容だと頭をめぐらしている内に、ハボックの苦笑する声が聞こえた。
「了解。俺は全然構わないっスよ?でも中尉ー」
「何か問題?」
「色々立たなくなっちゃうんじゃ?」
「……そこはちょっと加減して。大人なんだからわかるでしょ」
少し拗ねたようなリザの口調は、気の置けない仲間との会話の証拠だ。
――が、その内容が大問題に聞こえる気がしないでもないのは、気のせいか。
「でも大丈夫よ」
「え?」
微笑を浮かべたリザが、ハボックの軍服の上着をなぞっているような気さえして、血の気の引く音がする。
私はいつの間にか汗ばむほどの強さで握りしめていたドアノブを、思い切り回した。
「その時は私が最後まで――」
「――何の話をしているんだ、何のっ」
突然勢い込んで割り込んできた私の登場に、二人の驚いた視線が刺さる。
一先ず、それぞれ自席に座っていることを確認して、私は心底安堵した。


「あら、大佐。早かったですね。もっと遅くなるものかと」
「ウーッス。今日は勝てました?」
「……負けた。――って、そんなことはどうでもいい。何の話だと聞いている!」
何事もなかったかのように問われたことに素直に答えてから、思い出したように声を荒げた。
二人を交互に見回してやる。
「はい?」
「どうかしたんスか?」
「とぼけるな。今――話してただろう。好きなだけだの、最後までだの……!!」
まさか二人が。いやそんなまさか。
万一実際そうだとして、詳細を聞くのは女々しいだろうが、そんなことは構うものか。
憤懣やるかたなく自然語気の強くなる私に、ああ、と最初に声を上げたのはハボックだった。
「大佐の話っスよ」
「私?」
思わぬ説明に眉間が寄ってしまった。
どこをどう取ればさっきの会話が私の話になるというのだ。
と、ハボックの言葉を引き継ぐように、リザが苦笑を浮かべて私を見た。
「ええ。立てなくなっても私が最後までちゃんとお送りしますから、安心してくださいねという――」
「な、ななな何が、何を、どこにだっ!」
ものすごいことを言っていないか?
昼日向の執務室で口にしていい内容かと思うが早く、慌てて遮った私を、リザがおかしなものでも見るかのように眉を寄せて、小首を傾げた。
机を挟んだ斜め後ろで、何かを思いついたらしいハボックが、可哀想なものを見る目を私に向ける。
「……私が、大佐を、ご自宅に、ですが」
「――は?」
大丈夫ですかと言われても、私はまだシナプスの回路が繋がらない。
目を白黒させながら思考を働かせようと奮闘していると、ハボックが苦笑いを浮かべながら首の後ろを掻き、シガーケースから煙草を一本抜き取った。火をつけないまま口に銜えて、ぴこぴこと振る。
「あーっと、今日の忘年会の話っスよ。大佐、明日休みでしょ。だから今日は羽目外して好きなだけ酒飲んでいいっていう中尉のお許しっていうか」
「酒……?」
「加減はしてくださいよ」
冷静な中尉のツッコミが耳の上を上滑っていく。
忘年会?ああ、そういえばブレダが会場の手配をすると言っていたようないないような。
カレンダーの赤丸の意味がそれだったことを今思い出した。


「で、飲みすぎて足腰立たなくなっても、中尉が送っていきますよっていう話だったんスけど」
「足、腰……?」
休みだから問題ない、好きなだけ、立たなくなっても、大人だから加減して、最後まで――――。
盗み聞きした二人の会話が走馬灯のように、私の脳内を一瞬で駆け巡った。
ハボックがにやりと口の端を上げる。
「何だと思ったんスか」
「――紛らわしい言い回しをするな!」
理解と同時に沸き上がった自分の解釈に対する羞恥心を、もっともらしい言い分で誤魔化す。
誤解が解けて、急激に怒りに変わった私は、しかしリザの冷たい視線が容赦なくこちらに向けられていることに気づいて、慌てて彼女に向き直った。
「――はっ。いや、中尉、誤解だ!これはその……」
何を考えているんですかと怜悧な視線で蔑まされそうな雰囲気を察して、私はさっと両手を上げた。
が、リザは微妙な困惑を浮かべた表情を私に向けると、
「大佐が立とうが立つまいが、どちらでも私は構いませんが」
これはどっちだ。足腰の話か。それともアレか。
言われた言葉の意味をどう取るべきか考えあぐねていると、やはり困惑した顔のまま、リザがきゅっと眉を寄せた。
「重症でしたら、専門家に見ていただくよう早急に手配しますよ」
「……な」
何の話だ。
「――ああ。急性アルコール中毒っスか」
自問している私の横で、ポンと手を打ったハボックに、リザが深く頷いた。
「だから、紛らわしい言い方をするなーっ!!」
そこまで羽目を外して飲んだこともない。
知っているだろうリザの提言に、今年最後の大嵐が、容赦なく私の心に吹き荒れたのだった。



****************



「あの、大佐」
「何だ」
いいように遊ばれた気分で、未だ燻っている私をリザが呼んだ。
ハボックは体力測定へと出掛け、今は執務室に彼女と二人。
それでもつい突き放したような口調になったのを自覚して、そんな自身に眉を寄せる。
子供染みた八つ当たりは間違っている。
「……どうした?」
微妙に言い澱んでいる気配を感じて、私は努めて険を取る声音を心掛けた。
「先程の件ですが、やはりあまり立たなくなる程ですと、少し困るかもしれません」
しかしリザは、生真面目な表情でそう言ってきた。
まったく、私を何だと思っているんだ。
「わかっている。そんなに前後不覚になるほど飲まん」
いっそ飲むなと言えばいいものを。
今度は敢えて苛立ちを隠さず目を眇めれば、けれどもリザは何故かホッとしたように僅かに目元を和ませた。
「良かったです。私も明日は遅番ですので」
「ああ、わかっている。だから大丈夫だと――……」
「では」
これで会話は終了とばかりに、執務室を出て行ったリザの背中を見送って、私は言葉の意味を反芻する。
…………
………………
……………………
「――――今のはどっちだっ!?」
リザの真意と自分の煩悩に容赦なく翻弄されて、私は机上に頭を思い切りよく打ち付けた。



END


マスタング組の忘年会って楽しそう。
そして大佐は結局酔い潰れればいいと思います。

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