20.足枷 隣を歩く男の足取りはしっかりとしているが、纏う空気が上向いている。仲間内で飲むという気安さも手伝って、気持ちの良い雰囲気だったのはリザにもよくわかっていた。 「今日はめずらしく良く飲まれてましたね」 「まあな」 だから、酔い醒ましに付き合いたまえという、いかにもな理由でロイに促されるまま、こんな時間に部屋までついてきてしまったのだ。 「……君はいつもどおり、あまり飲んでいなかった」 入るなり糸が切れたようにソファに腰掛けたロイの上着を脱がせてクローゼットにしまえば、妙に恨めしい口調で絡まれた。 「貴方が飲んでいましたから」 「なるほど」 いくら気安かったとはいえ、護衛対象より酔いつぶれるわけにもいくまい。 適度な酒量で充分なほど馴染める雰囲気は、長年培ってきた仲間との心地良い信頼あってこそだ。 「じゃあ酔ってない?」 「貴方よりは」 いつものように躱さずに、ここまでついて来てしまう程度には酔っている。 が、それは言わずに頷いて見せる。 「つまらんな」 「それはすみません」 ふてぶてしい言葉に生真面目に返せば、ロイがわざとらしく溜息を吐いた。 「中尉」 手招きされて仕方なしに近寄る。と、何をするでもなく目を眇められた。 ロイがすっと右手の指先に触れた。 「君もたまには酔いたまえよ」 「絡まないで下さい」 そのまま、普段のデート相手にするかのように、恭しく手の甲に唇をつけられる寸前で引き抜く。 取られた右手を隠すように左手で覆って、半眼で睨んだリザに、ロイがガックリと項垂れた。 「……君、私を病原菌か何かだと思っていないか」 「そこまでは」 「……」 フォローのつもりが、無言で俯くロイから次の言葉がない。 言い過ぎたのかと懸案して、しかしリザはふと気づいた。 「大佐、――大佐っ。そんなところで寝ないで下さい」 「……寝ていない」 返事はあったが、顔は上げない。 放っておけばそのまま寝息すら聞こえてきそうな気がして、リザは溜息を吐いてキッチンへと踵を返した。 「今、お水を持ってきますから」 リザの言葉に身じろぎひとつしないのは、そろそろ本格的に睡魔に襲われているのだろう。 困った上官だと思う反面、頬が緩んでしまうのを自覚して、自分で思っていた以上に実は酔っていたのだと結論付けた。 *** コックを捻り、冷水をグラスに注ぐ。溢れた水が手を濡らして、ひやりと気持ち良かった。 「中尉」 と、背後で名前を呼ばれる。意外と近い声に振り返ろうとした背中から、熱い体に寄りかかられるように抱きしめられて少し驚いた。 「……大佐?大丈夫ですか?」 「酔っているだけだよ」 アルコールを含む声音が耳朶に染む。 しばし逡巡したリザが、置きっぱなしになっていたグラスに手を伸ばすと、ロイは大人しく拘束を緩めた。 手近な布巾で水滴を拭って、腰の辺りに下がったロイの腕をそのままに、体をゆっくりと反転させる。 「飲めますか?」 「君が飲ませてくれるなら」 グラスの端に口をつけて、妙に畏まった表情をされ、リザは請われるままに傾けてやった。 瞼を下ろして大人しく喉を上下させるロイに、先程夜道を歩いていた時のような若干の浮遊感は感じられない。もしかして本当に具合が悪くなってきたのかと不安になった。 「本当に大丈夫ですか?」 「絡んでいるだけだ」 まだ半分も減っていないグラスをリザの手からするりと取って、流しに置く。 そのまま屈んで近づいた唇を、リザは空いた両手ですかさず横へと向けさせた。 「なら離れて下さい」 心配をして損をした。 「……冷たいな」 頬を押された状態で呟くロイに、リザはふぅ、と息を吐いた。 それでもまだ腰に回された腕を解く気配がないのにほとほと呆れる。 外そうと腕を押すときだけ拘束が強まるのは、わざととしか思えない。 「酔い醒ましですよ――大佐、本当にそろそろ」 「キスしてくれたらな」 「――は?」 離してください、と言い掛けた台詞は、片眉を上げたロイに遮られた。 「どこにでもいいぞ」 「…………」 いかにも譲歩する側の尊大な口調で見下ろされる。 本当にこの人は、どこまでが本気で、どこからを酒のせいにする気なのか。 互いの出方を半眼で見つめ合いながら伺うという今の状況は、酒のせいに出来る範囲だろうか。 「大佐は、酔っているんですよね」 「うん?」 先に視線を外したのはリザだった。 「では離して下さい」 確認をして、リザはもう一度ロイの腕を押した。 俯き加減で言った台詞は聞き取り難かったのかもしれない。 ロイの腕がほんの少し戸惑ったように揺れて、それからゆるゆると外される。 「――悪かっ」 「醒めたら忘れて下さいね」 「え――」 完全に離れてしまう寸前で、リザがロイの腕を取った。 何故かバツの悪そうな表情で視線を外していたロイが、驚いたようにリザを見る。 その瞳を目蓋の上から意識的に背伸びをした片手で塞いで、リザの唇がロイに近づく。 柔らかな感触に驚いて開けた口中へ、リザの舌が侵入する。 しかし奪うような、という程の事もなく、遠慮がちに絡めた舌を甘噛みして、それもすぐに遠くなった。 「……」 「……」 唇が冷たいのは、さっき飲ませた水のせいだ。 冷静にそう分析しながらリザが手を離すと、ロイが驚いたように瞬きをするのがわかった。 「では、また明日」 「ちょ、中尉――」 咄嗟に伸ばされた腕をすり抜けて、足早にロイの横を抜ける。 次に何かを言われる前に、これも酒のせいだと内心で自分を納得させた。 「待――」 「おやすみなさい」 呆けたような表情のロイにそう告げて、玄関のドアに向かう。 「中……リザ!」 後ろから数拍遅れて聞こえた声が、伸ばされた腕が、どうかほろ酔い気分の彼の速度では間に合いませんようにと願いながら、リザはドアに手を掛けた。 結局間に合わず、ドアに挟まれる増田希望。 酒=二人の間の(いろんな意味の)枷。的な。 |