16.レーゾンデートル 部下とはいえ、一応入院中だというプライベートを弁えてのノックの音に、どうぞと口を開きかけ、しかしほとんど同時にドアが引かれて、ハボックは見知った上官の姿を苦笑で迎えた。 「大佐、それノックの意味ないっスよ」 「そうか、それは悪かっ――……なんだそれは」 悪びれないいつもの口調で流しかけたロイが、すっと視線を眇めた。 「答えを知ってる人間に、発火布向けんでください」 いつの間に填めたのだろう、しっかりと装着された白手袋の指を準備万端とばかりに向けられている。ロイの視線の先には、リザが来客用のパイプ椅子に座ったまま、ハボックのベッドに突っ伏すように寝息を立てていた。 気配に敏感なリザが起きない理由は、あの戦闘以降の目まぐるしい忙しさによる疲労と睡眠不足、それに何より、気の置けない信頼する部下と上官の気配が、安眠たらしめているに違いない。 無意識に声のトーンを抑え気味で話すロイに同調しながら、ハボックは静かな寝息をこぼす金髪の上官に視線を戻した。 「明日から正式に東部着任だって見舞いに来てくれたんスよ」 ついでにひどく疲れているようだったので、拒絶覚悟でどうぞと勧めてみた一休みを、存外素直に受け入れられてこの状況だ。 察しているらしいロイは、不服顔のまま横柄に頷いて、引き戸をゆっくりと後ろ手に閉めた。 「知っている。だから私も来ただろうが」 「え、中尉がいるから?俺の見舞いとか連絡とかじゃないんスか。うわ、本当に煙草の一つもない!」 「声が大きい」 「……っと」 窓側に立て掛けられていたパイプ椅子を、極力音を立てないように寄せたロイが、リザの横に座る。 それからサイドテーブルを小さく顎でしゃくって見せた。 「どうせ中尉から貰ったんだろ」 「そうスけどね」 一箱だけ置かれた真新しい煙草は、確かにリザからの差し入れだ。 その下に敷かれている雑誌は、前日に来たブレダからの男のバイブルで、その奥にある空の編みかごは、復職決定祝いと称してやってきた東部の懐かしい顔ぶれからの果物が入っていた残骸だった。 彼らから近々東部着任が決定らしいとの情報を得ていたが、今日のリザの見舞いでもたらされた決定に、ハボックは久し振りに気合の入った敬礼を見せる。 「明日から准将だそうですね。おめでとうございます」 「ああ。お前も早く戻れ」 「了解」 上官然とした顔で返礼したロイに答えると、それにひとつ頷いて、ロイが手を下ろした。 そのまま不意に緩めた目元で、規則正しく上下するリザの頭にそっと触れる。 「彼女も少佐だぞ」 「……あー」 ハボックは遅れて下ろした手を何とはなしに煙草に伸ばして封を切った。 病室で、火は点けないまでも、口にくわえでもしないとやってられない居心地の悪さだ。 「なんだ」 髪を梳く手の動きを止めずにロイが聞く。 ――なあなあ、やっぱ大佐と中尉って付き合ってんの? 本格的に旅立つ前にとやってきたエルリック兄弟の言葉をふと思い出して、ハボックはにやりと笑ってみせた。 彼らがどうしてそんなことを言ったのか、今ならなるほどと合点がいく。 「いや、随分人目憚らなくなったんだなと」 「憚ってる」 しかし言われた当の本人は、あっさりとそう言ってのけた。 「いやいやいや」 思わずぶるぶると手を振ったハボックに、ロイが憮然として言い返す。 「何だ。別に疚しいことはしていないだろうが」 「疚しさが溢れ出す手つきですって」 「どこがだ。ハボック、お前欲求不満なんじゃないのか」 「ひでえ……!」 だいたい何でもないただの上官が、寝ている部下の髪に触れたりするものか。 復帰に向けてのリハビリ調整の為の入院とはいえ、制約のある生活で、欲求に不満がないとは言わない。 言わない、がロイには言われたくない。 時折見え隠れする二人の間の入り込めない空気を感じ取った周囲が、噂の一つや二つを立てることはあっても、次の瞬間サボり魔の上官の行方を、銃を構えて捜す副官の鬼気迫る姿に、そんな噂は自然と消滅していった昔の職場環境を思って、ハボックはふうと息を吐いた。 国を揺るがす事件のあらましは、ハボックも粗方聞いて知っている。 リザの受けた傷も、ロイの視力も、だからこその自分の足の回復も。 その過程でより深まっただろう想いや関係なんて、ずっと近くで見ていただけに、容易に想像がつくというものだ。 やっとかよ、と思う気持ちとは裏腹に、妙な疎外感を感じた気になるのは不思議なところだ。 自分の前とはいえ、ロイの態度がここまで柔らかく変わっているということは、まさかリザもそうなのだろうか。 「あー……、甘えたりすんのか……?」 思わず呟きが口に出る。 この二人が執務室で微笑みあっていたりする日には、自分はいったいどんな顔で煙草をふかせばいいんだろう。 というかさすがにそこまでは想像が出来ない。 「相変わらず口煩いし容赦がないし、銃口を躊躇いなく向けてくるぞ」 「なんかホッとしました」 「……ちっ」 誰とは言わずに返されたロイの答えに正直に言えば、ロイはあからさまに顔をしかめてハボックを睨んだ。 こんなことで、誤魔化しようのない独占欲を見せ付けられても仕方がない。 「そんなんで、中尉が他の男に走ったら大変スねー」 「はっ、宣戦布告か?」 「うっわ」 リザに向ける顔と違いすぎる哂いで、ロイがハボックを見た。 髪に置かれたロイの手は、やはりどこまでも優しさがこめられていて、溢れる思いを織り込むように動いているのに、表情が不遜そのものといった器用なことをしてくれる。 鼻で笑うを体現してくれたロイに、ハボックは両手を上げて首を振った。 「蜂の巣も消し炭も勘弁スよ」 「そんなことはしない」 心外だというように、ロイが目を見張った。 「へー」 「生温いだろう?」 にこり、と。 向けられた笑顔の奥に秘められた感情に、ハボックの本能がぶるりと冷えた。 だから、そんな狂気染みた独占欲を向けられても仕方がないから、向けんでください。 「……いや、マジで俺、彼女出来たんで……」 頑張るジャンが素敵と言ってくれた白衣の彼女を思い浮かべて、先程よりも手の振り方が必死になるのを止められない。 まったく、これのどこが憚ってるというのか。 そんなんだからグラマン大総統にまで勘付かれるんだ。 まあ実際隠すつもりがあるのかないのか、微妙な関係なのも事実だが。 「それは良かったな」 心にもなさげなロイの目はまだ笑っていない。 「ところでハボック」 「はい?」 そのくせいつになく優しい声色でハボックを呼んだ。 「私が来なかったら、疚しい手つきで触るつもりがあったのか?」 またにこり、と。 先程よりも底冷えのする視線で微笑まれて、ハボックは口より先に高速で頭をぶぶぶんと振っていた。 「ないっ。ないっスね!分別あるんで!」 折角ここまで順調にいっているリハビリも、炭化すると意味がない。 復職日時もほぼ決定の現状で、燃やされて長引きましたは語り草になることも間違いない。 (ちょっ、早く起きてください中尉今すぐ!) 内心で、ハボックは必死にリザに叫び掛けていた。 レーゾンデートル=生存証明。ということで、ハボックの生存証明になってしまいました。反省w |