★20120601 Anniversary★



○月×日 曇天

スコープ越しにマスタングさん――いや、マスタング少佐の周囲を警戒していて、最近気になることがある。
あの紅蓮の錬金術師として、仲間内からマスタング少佐とはまた違った意味で恐れられているゾルフ・J・キンブリー少佐の存在だ。
二人の担当する区画は当然ながら毎回異なるというのに、何故かマスタング少佐が作戦を終えられた頃に現れては、二言三言、言葉を交わしているのだ。同じ錬金術師同士、何か得るものがあるのだろうかとも思うが、どうもマスタング少佐の表情が険しく見えて仕方がない。
今度からはもう少し望遠の精度が高いレンズで、口唇を読んでみようと思う。
排除の必要はあるだろうか。



○月△日 晴天

軍の補給が間に合わなかったので、残念ながら本日の読唇は失敗に終わった。
だがマスタング少佐の任務は制圧区域の最終視察だったので、一人ではない。流石にチームの部下を連れ立っての行動になる。そのせいか、軍人としては小柄な彼の体格が良く分かった。外見だけなら若く品のある青年然としているのだが、その中に漂う厳然さが彼を上官知らしめている。マスタングさんとは違うと思う。軍属として尊敬に値するのと同時に、少し切ない。

部下の一人が彼に何やら軽い話を持ちかけたような雰囲気だったが、マスタング少佐の表情は晴れないようだ。殲滅区域で朗らかに笑えという方が無理かもしれない。が、それでも最近のマスタング少佐は表情が硬い。私が手柄を上げることで喜んでくれるような単純な上官なら簡単なのに、と思ってしまった。
だがマスタング少佐はその逆だ。私に何が出来るだろうか――。

そう思っていたら、やはりキンブリー少佐が現れた。
『人目を憚らず――』
つい、そんな言葉が浮かんだ。



○月□日 曇天

それにしても不思議だ。
毎回毎回、キンブリー少佐はどうして一人でマスタング少佐のもとに来るのだろう。あの人にも部下がいるはずなのに。完全なスタンドプレーに見える。理解できない。
しかしもっと解せないのは、少佐が現れると彼の表情に少なからず変化が出るということだ。さすがに肩を叩き合って笑う――ヒューズ大尉のような笑顔は見せないが、怒りや嫌悪感は顕著に表しているようだ。
そして極稀にだが、皮肉げに口元を歪めることもあった。
(……笑顔?)
まさか、あれが男同士にしか解せないという友情の一種なのか。……何故だろう。少し苛立つ。



○月◎日 曇天

補給経路が襲撃されたらしい。スコープはまだ届かない。
交代要員と代わって私がいつもどおりスコープを覗いたときには、既にキンブリー少佐がいた。思わず舌打ちをしたが、――まあ、誰も聞いていないだろう。
彼の言葉に、マスタング少佐が滅多に見せないほどの怒りの表情で怒鳴っている。対してキンブリー少佐は実に楽しそうだ。よく見ると、マスタング少佐の顔が赤い。彼の周りの部下たちも苦笑がてら、マスタング少佐を落ち着かせようとしているように見える。

――ああ、そうか。思い出した。
あれはマスタングさんが図星をつかれて慌てているときの表情だ。
懐かしむほど遠い過去ではないのだが、思い出し笑いでつい私の口が緩む。何を言われたのか少し気になった。――だが気のせいだろうか。笑いながら片手を上げて彼に背を向けたキンブリー少佐が、その直後こちらを見た気がする。……いや、まさか。何ヤード離れていると思っている。私も大概疲れが出てきたのかもしれない。
とにかく明日、新しいスコープが届くことを願う。



○月▲日 雨天のち曇天

念願のスコープを入手!これでマスタング少佐の会話が読める!――訂正。射撃精度が上がる。

気を取り直してスコープを覗く。
休憩所から少し離れた場所に、マスタング少佐を発見した。その数メートル後ろにやはりキンブリー少佐がいる。そのまま背後からそっと近づいて、マスタング少佐の肩を叩いた。
素直に振り向く彼の頬に、キンブリー少佐の指がぷすりと刺さった。
「こんな子供騙しによく引っかかりますね」
「そんな子供騙しをするなあぁぁっ!!!」
自分からしておいて呆れ口調のキンブリー少佐に、叫ぶマスタング少佐。
………………楽しそうだ。
私も参加したいが、ここからでは一発撃ち込むことしか出来そうにないので、面白みに欠ける。実に残念だ。

狙撃手の交代要員が来たので、もう少しこのままでいたかったが仕方ない。
私は息を吐き、スコープから目を離し――
キンブリー少佐がこちらを見ている……?

彼はまだプリプリと怒り続けていたマスタング少佐の肩に不意に抱き寄せると、耳打ちをした。
途端マスタング少佐が真っ赤な顔をして「馬鹿を言うなっ!!!」と激昂しながら、脱兎の如く走り去ってしまった。高性能スコープでも後を終えないほど遠くに行かれてはどうしようもない。とりあえず、休憩所の方へ向かったので危険は少ないと判断する。
訝しく思いながら最後にキンブリー少佐に標準を戻すと、彼の口が僅かに角度を上げながら動く。

『――うらやましいでしょう?』

……………
…………………


殺ス。


ターン、という乾いた銃声が、私のどす黒い欲望に震える腕から発せられたが、そのせいか数秒前までマスタングさんのいた岩場に当たって消えてしまった。
「ちっ――」
思わず出た舌打ちは、自分の未熟さへのものだった。



○月○日 曇天

相変わらず風が強く、舞い上げられる砂塵で空気が赤く色付いて見える。
休憩中、ヒューズ大尉が胸から大事そうに出した手紙に向かって軽く30分ほど語りかけていたが、ここからでは死角になって読み取れない。ただマスタング少佐が息を吐いて「色ボケ」と呟くのは見えた。ヒューズ大尉の恋人らしい。そういえばマスタング少佐にそういう人はいないのだろうか。聞いたことがない、が何となく聞き難い。あの頃はいなかったはずだが、この数年でどうなったかは知らない。なんとなくもやもやとしたものを感じる。不可解だ。

ヒューズ大尉と別れてしばらくすると、キンブリー少佐がやって来た。
手にしたマグカップをひとつマスタング少佐に差し出す。渋々といった体で受け取った彼の隣に並んで、しばらく戦況等を話していたが、それからヒューズ大尉の話になった。
「彼女の手紙がお守りとは実に可愛らしい」
「……支えはあった方がいい」
小馬鹿にしたような物言いにマスタング少佐が眉を寄せる。
「そうですか?支えと思っていたものを失えばより脆弱になりそうなものが?」
ギッと睨みつけた彼に、キンブリー少佐が諸手を挙げて薄ら笑いを浮かべている。
「――失礼。そんなに怖い顔をしないで下さいよ、マスタング少佐。ゾクゾクする」
最後の台詞で目を細める仕草に、スコープを覗く私は首筋から鳥肌が立った。
やはり危険だ、と本能が告げる。
「ああ、貴方にもいましたね。支えにしているものが」
キンブリー少佐が言った言葉に、マスタング少佐が思いきり訝しむような視線を向ける。
蛇を思わせるにたりとした笑いを口の端に浮かべたキンブリー少佐が、薄く舌なめずりをして「ほら、例の――」と言えば、マスタング少佐がますます苛立たしげに眉を寄せた。
マスタング少佐の支えになっているもの?
口惜しいが、正直私もそれは知りたい。
しかしどうしてそれをキンブリー少佐如きが――いや、少佐が、知っているのだ。
「何を言っている――」
「大切なんでしょう?」
言って、キンブリー少佐が右手の親指と人差し指を立てて、銃に見立てた手を、マスタング少佐に向けて放つ。

貴方のハートを狙い撃ち、とでも言うつもりか。


戦場でまったく何て破廉恥な。

「なっ」
ギリリと引鉄にかけた人差し指に力が入りそうになったところで、マスタング少佐が慌てたような声を上げた。
「名前、言いましょうか」
「いいっ。いや違う!彼女はそういうわけでは――違う!」
「おや、照れているのですか?可愛らしいですね」
「うるさい!」
「大きな声を出すと聞かれてしまいますよ。あの――」
「キンブリー!」
マスタング少佐があそこまで狼狽するような人がいただなんて。
毎日何ヤードも離れた場所からスコープ越しに覗き見、もとい、護衛をしていたはずなのに、私は全く気づけなかった。そもそもここへ派遣されている女性軍人はそう多くない。となれば、私も知っている人かもしれない。
ふと、数日前に今と同じように顔を赤くして走り去ってしまった少佐の姿を思い出した。もしかして、あの時も似たような話をしていたのか。ということは、彼の周囲はみんな気づいていたということか。
何故だろう、胸の奥がじりりと燻ぶるような痛みを感じた。
「純粋そうで可愛い娘ですよねぇ、あの――」
知りたいのと知りたくないのと、こんな中途半端な感情は自分でも持て余してしまう。

ちらり、とキンブリー少佐を視線がかち合った気がして、私は思わずスコープから顔を上げてしまった。
何てことを――!
慌てて覗き直すと、マスタング少佐がまた真っ赤な顔できょろきょろと周囲を見回していた。



○月○日 砂嵐

今日は珍しくマスタング少佐と休憩が重なったので、思い切って聞いてみることにした。
ひとつ「キンブリー少佐との関係」。ひとつ「マスタング少佐の心の支えについて」
前者に関してはかなり激しい反論を受けた。彼曰く「いつのどこをどう見たら、彼と私に距離がないように見えるんだ!」とのことだ。が、頬を突いた指と耳打ちの際の距離は限りなくゼロに等しいはずだ。思わず指摘しそうになって、それでは私が覗いてたことが知れてしまうことに気づき、慌てて口に手をやった。訝しんだように眉を顰めた彼には、砂塵が口に入ったと言い訳る。と、途端に「大丈夫か」と心配されて、挙句砂嵐から庇うように私を腕の中に入れてテントまで誘導されてしまった。
今は上官と部下だといのに、こういうところが子ども扱いのままだと思う。

気を取り直して後者の質問。
「なっ……何故それを……っ?」
はっきりと動揺を顕わに頬を赤らめたマスタング少佐は不快だ。……訂正、可愛いが不快だ。もとい、胸の辺りが何故かもやもやとしてきてすっきりとしない。つまり私が体調不良だと判断。反省。
情報の出所についてはスコープ申請理由の深意を明かすことになる為言えず、曖昧に誤魔化すにとどめ、真相を再度問い質した私に、マスタング少佐はしどろもどろな返答をくれた。
「違うぞ。……君が誰に何を聞いたのかは知らんが、そういう――そういうのじゃない」
キンブリー少佐に誰と言われたのか知りたいのは私なのだが。
それに「そういうの」とはどういうのか。話の筋がさっぱりだ。

いくら護衛対象の動向が気になるとはいえ、想い人の詮索は行き過ぎだろうか。言い難そうな少佐の態度に謝罪しかけたその時、合図もなしにキンブリー少佐が現れた。
「おや。逢引中でしたか。これは失礼」
完全に気配を絶った接近で、どこから聞いていたのか、口角を持ち上げた表情で私を見る彼は確信犯だろう。思わず睨んでしまった私へ、
「毎日のスコープ越しよりも、やはり生の迫力はいいですね、お嬢さん」
「スコープ…、毎日?おい、何の――」
「キンブリー少佐!」
やはり気づいていての行動か。
狙撃の距離からの視線を正確に把握するなんて、彼の三白眼は特殊な望遠レンズ加工でも施されているのだろうか。精度向上の為、もしもの際はスコープへの技術的移植を進言してみ――ではなく。危ない。もう少しでマスタング少佐にスコープ申請の真の理由を気づかれてしまうところだった。
「マスタング少佐も、そう怖い顔をされずとも、貴方の大切なひとに余計な手出しはしませんよ」
大切な?
「キンブリー!」
何の話をしているのか。思わずといった風に私とキンブリー少佐の間に立ったマスタング少佐の表情はわからなかったが、先日の会話の続きのようだ。遮ったということは、つまり私には聞かれたくないということだ。

意図を察してその場を去るのが私に出来る最良の選択だろう。
知己とはいえ、性別も違えば、ましてや今の立場は上官と部下だ。知られたくない事があって然るべきだった。
知りたい欲求と知らされない常識の狭間で感じる胸の痛みは、先程の体調不良に加え、この灼熱の砂漠地帯の慣れない気候と、私の腕が未熟なせいで信頼を勝ち得ていない証拠だろう。
そもそもキンブリー少佐に気づかれるレベルでは程度が知れるというものだ。
スコープ越しの読唇――もとい、護衛に当たって、私も気配を殺す術を身につける必要性を実感する。




                                             !at present!




ホークアイ准尉さんの軍日誌。
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