★20120601 Anniversary★




「……ホークアイ中尉」
「はい?」
そこまで読んで、私は思わず彼女を呼んだ。
「こんなものが出てきたんだが」
地下に保管されっぱなしになっている古い資料を、片っ端から精査しようと倉庫の奥をあさった結果だ。
私の示したそれを覗き込むように確認して、中尉はぱちくりと目を瞬いた。
「あら、古い物を。何かありましたか?」
これがイシュヴァール時代の自身の日誌だと理解しての返答でそれか。
何か。何かあるだろう。これは、色々あるだろう。
狙撃側からの報告を兼ねた記録日誌のはずが、どこからどう見ても私の観察記録になっている。
「あのスコープ、やけに補給隊に交渉していると思っていたが……。それにあの時の狙撃跡、君の仕業か!」
完全に隊の内部で起こった銃声と銃痕。陣営の奥にまで敵が入り込んでいるのかと一時騒ぎになっていたのだ。結局内戦の混乱で狙撃手の特定はならなかったが、まさかの犯人確定だ。真犯人がここにいる。
しかし私の持つ日誌を覗き込むようにして内容を確認したらしい彼女が、ああ、と呟いた。
「暴発です。まだ実戦に不慣れで、緊張していましたし」
嘘をつくな嘘を。
そんな言い訳が通用する腕で、最前線の護衛狙撃手に抜擢されたりするものか。
興味を失ったらしくさっさと他の箱にかかってしまった彼女の背中に視線を送るが、これ以上何を聞いても答えてくれる気配はない。せいぜい「口より手を動かしてください」と苦言を呈されるのがオチだ。
仕方なしに私も次の資料に手をかけながら、思わず大きな溜息が出た。

「しかし――すごい誤解をしたものだな」
まったく。キンブリーとだなど、ありえない。
当時の彼女の大いなる誤解にブツブツ文句をたれていると、ふと視線を感じて顔を上げた。
いつの間にか資料整理の手を休めて、私の様子を窺うように見つめていたらしい中尉と目が合う。が、何と問う間もなく、す、と視線を逃がされてしまった。
「どうした?」
「……いいえ」
「何だ。言いたまえよ」
「大したことでは」
「いいから」
いつも歯に衣着せぬ物言いどころか、愛銃の安全装置まで外して追いかけてくる姿とは違う珍しさに、私は手にしていた資料を閉じて立ち上がると、彼女の方へ歩み寄った。
「本当に何でもありません」
尚も往生際悪く誤魔化そうとする彼女をじりじりと追い詰め、書棚と私の腕の間に閉じ込めてみる。
「な――にするんですか。大佐、仕事をしてください」
「気になって手につかん。で?何だ」
行き場を失い尤もらしい諌言をする彼女にかまわず半眼で見下ろす。
ちっと舌打ちの音が聞こえたような気もするが、リップノイズだと思い込むことにした。
二人きり、地下の書庫、密室、近接――この局面で出たのが舌打ちだなどと思ったら負けだ。心が折れる。
そうして黙って彼女を見下ろすこと数十秒。
ぎゅっと唇をかむような仕草をした中尉が、ようやく観念したように息を吐いた。

「……当時の方は、その、軍を続けていらっしゃるんですか」
当時の方?何の話だ?
内戦終結後の仲間の行方を出来うる限り思い出して、しかし彼女がそれほど気にかける相手がいただろうかと訝しむ。だが結局浮かばなかった。
「すまん。わからん。誰のことだ」
素直に白状してそう言うと、困ったような表情で見上げられてしまった。
咎めるような拗ねたような、それでいて微妙に憂いを含むアンバーの瞳が、私と合った途端に、恥ずかしそうな色で揺れる。
何だその顔は。私の理性を試すつもりか。受けて立てないからやめてほしい。
「ですからその……あの頃よく、キンブリー少佐と話されていた……」
それでも腕を退かさない私に、言いにくそうに目を伏せた彼女の睫毛を見下ろしながら、私は先程の日誌の文字を素早く脳内で反芻した。
キンブリーとの会話に出てきて、かつ彼女が気にかけていたらしい人物――。
思い当たるのは一人しかいない。
言わんとすることを理解して、思わず口元がにやついてきた。
「気になるのか?」
「いえ、特にそういうわけでは――申し訳ありません。忘れてください」
「いやいや、せっかくだ。その後も知っている。聞いていきたまえよ」
「…………いいご趣味ですね」
私の上機嫌を別の意味で取ったらしい彼女がムッとするのさえ気分がいい。
だって君、それはつまり妬いてるんだろう?
さすがに自分でもわかっているのか、居心地悪そうに棚との間で身じろいだ彼女のバレッタから零れた後れ毛に手を伸ばす。

「軍を辞めないのかと聞いたこともあるが、辞めるつもりはないそうでね」
暗に軍籍を仄めかすと、ぴくりと反応しかけた身体をおして、彼女は私の手を軽くいなした。自分で器用にまとめ直して、そうですかと言う視線は伏せたままだ。
わかりやすい誤魔化しにくつくつと肩を揺らすと、本気で嫌そうに顰めた顔で見上げられる。
まずい。あまりに過ぎると、今度こそ本気の舌打ちがついてしまいそうだ。
どうにか笑いを喉の奥に引っ込めて、もう半歩身体を寄せる。
「誘いはよく断られるし、何かとつれないことも多いんだがね」
「わかりましたから。大佐、もう本当に仕事に戻――」
押し返そうと私の胸に置かれた手を取って、その指先にそっと口付ける。
あの頃は知られることをひた隠していた。理由は多分、もっとずっと恥ずかしかったからなはずなのに、面白いくらい今は逆だ。知った彼女の反応が知りたい。
「たまにこういう可愛いことをしてくれるからたまらない」
「ちょっ――な、え……?」
そのまま視線だけで窺うと、私の言葉の意味を掴みかねた彼女がぱちりと目を瞬く。
「君が誰に何を言われてそう思っていたのかは知らんが」
わざと日誌の会話に近づければ、ようやく察してくれたらしい。
一気に頬が染まる反面、思い切り疑わしげに睨まれて、今度は私が顔を顰めた。
「君以外を見る余裕があると思うのか?」
「し、――知りません」
それでもまだ頑なか。
基本的につれない部分を強調されての防戦も、顔が赤ければつい調子に乗ってしまいたくなる。こんな表情を見れたのだから、たとえこれから怒鳴られても、それはそれで悪くない。
無意識だろう羞恥で潤んでいる眦を指の腹でそっと触れながら、私は彼女の耳朶に唇を寄せた。

「君に私以外の男を見る余裕がないのと一緒だよ」
「――――っ」
素早く反応した左手が私の唇と耳の間に手を差し入れて、勢いよく身体を反らし――――ゴン、と重い音がすぐそこでした。
「……っつ」
もうこれ以上逃げようのない場所で反らした頭を、書庫の棚に打ち付けたらしい。
片耳を押さえたまま、どちらの意味かわからない潤んだ瞳の彼女と目が合う。
「だ」
やばい。ここで笑えば舌打ちどころか撃たれそうだ。
「大、丈夫か、ホークアイ中尉」
自分に言い聞かせるように階級名で名前を呼んで、しかし顔を見てるとどうしても頬がひくついてしまう。
書棚に寄った彼女の身体を引き寄せて、ぶつけた頭を撫でるように抱きしめる。
これで私の馬鹿な表情も彼女の珍しく素直な顔も、全て誤魔化せるというものだ。
「……仕事をしてください」
「そうだな」
きっちり副官らしい苦言を乗せて、それでもされるがままな彼女の手が、私を拒まないのをいいことに、私も言葉だけで上官らしく頷いてみせた。
限界だ。どうしようもない。何年傍にいると思う。その反応は可愛すぎるだろう馬鹿者が。





ホークアイ准尉さんの軍日誌。
を読んでしまったマスタング大佐と中尉さんのなう!でした。おわり。

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