しめきり匣の透明性



ごう、という音が聞こえそうな程の風とともに、空から降る雪たちと、地面から縦横無尽に舞い上がった雪たちに傘の中まで侵食されて、リザは小さく息を呑んだ。
一緒に巻き上げられた自分の髪にまで視界を邪魔された気分だ。
白いコートだから目立っていないが、入り込んだ雪はおそらく肩にも遠慮なくついているだろうと思うと、雨とは違い、傘の存在が本当に気休めなのだと実感する。

「女王様の言ったとおりにしとくんだったか」

隣で同じ感想を抱いたらしいロイが、そう言いながらリザの長い髪についた雪を軽く払った。
そうするロイの方が、濃色のコートと黒髪のせいで随分雪が降り積もり、寒そうに見える。
少し背伸びをしてそれを払いながら、リザもええと頷いた。

「耳あて部分もついて、機能的でしたよね」
「君は似合っていたからいいけどな……」

北方との真冬の合同演習に向けて、日程調整を兼ねた出向に赴いたロイから遅れて、リザが合流したのは今朝だった。寒冷地での狙撃訓練も織り込み希望の調整を終え、ひとまず解散となったのは昼を過ぎたばかりの頃。
不味さで他に類を見ない北方レーションの試食を兼ねた昼食の誘いを、ロイが丁重に固辞し、快晴だった天気に一度軍服を脱いでから、二人で遅めの昼食を取りに出ての帰り道だ。
猛吹雪というわけではないが、強風のせいで地吹雪に襲われながら、ロイが片眉を上げた。

「あら。大佐もお似合いでしたよ」
「どれがだ」

至極真面目な顔でいったリザに、ロイは嫌そうに顔を顰める。
冬の天気は変わりやすい。
雪には傘より帽子がいいぞ、とは、北方の将、オリヴィエ・ミラ・アームストロングの言だ。
完全にリザにだけ向けられた親切な助言を受け、とりあえず帽子店は覗いてみた。
耳部分に円形の当てが施され、そこから三つ編みのような装飾がついているものや、もこもことした何かの毛織になっているものなど色も種類も様々で、中には雪の結晶や鹿の模様が編みこまれたカラフルなものまであった。
が、どれも女性向けのようで、申し訳程度に隅のほうに設置されていた男性向けコーナーにあったのは、頭の形をこれでもかと知らしめるようなぴったりとした半円形のものか、長めに編まれた帽子の先に毛糸のボンボンがつけられたもの、それに軍で支給されるのとそう変わらない半防水のライダーハットのようなものばかりだった。

リザに渡されて、半ば無理やり、赤白で編まれた鹿模様のボンボンつき毛糸帽を試着し、鏡に映った自分をきちんと確認する前に脱いだくらいだ。
満更でもない様子でいくつか試着したリザも、結局はまだまだ晴天の空模様と、傘を持参してることで、結局は買わないままに店を後にしたのだが。
そうして今、二人ともすっかり耳を赤くしている。
確かに、防寒の観点からだけでも、帽子は必要だったかもしれない。
いや、何も機能を重視した一体型にしなくとも、耳当てくらいは買えば良かった。

「鹿のも良かったですけど、大佐でしたら、私が試着したあの茶色いファーのも」
「まさか三つ編みがついていたやつとか言うなよ」

触り心地こそ良かったが、リザに似合っていたそれは、ロイが被って似合うようなデザインでは絶対にない。
それならまだ、殉教者のように頭にへばりつきそうな黒い帽子の方がまだマシだった……と考えた自分を、ロイはいやいやと内心で振り払った。
あれを被るくらいなら、やはりこのまま傘でいい。

「機能重視なら良くないですか?」
「軍支給の防寒用を借りた方がマシだろう」

ロイの内心を知ってか知らずか、リザが小首を傾げたのに即答で返す。
それから何度払っても中に舞い込む雪の処理を諦めて、また歩調を再開しながら、ブリッグズの中で見た防寒具一式を思い浮かべた。
ついでに肌触りは悪そうだが、防寒対策としてのみ有効な裏起毛の帽子すら貸し出す気のなさそうだったアームストロング少将の顔を思い出して、思わず小さく息が漏れる。白いかたまりになった空気が目の前でじんわりと溶けて消えた。

「ええ。そう頻繁に北方へ来ることもないですから、借していただけば良かったですね」
「気に入ったなら、君は買えば良かったのに。イーストシティでも冬は使えるだろう?」
「あの帽子が必要なほどは冷え込みませんし」

心なし寒さに追われて近づいた距離で、リザが苦笑した。
二人の足元で、踏みしめられた雪が、キュッキュッと音を立てて跡を残す。
随分冷え込んでいるからか、じっとりと水分を含んだ重いものにはなっていない。
風がなければ舞うような軽さと思える雪のひとひらが、二人の間を翻弄して、赤くなった頬に、鼻に、溶けていく。睫毛に止まった雪だけが、視界を少しだけ白く舞う。

「――ああ、ここだ」

その先に、今回宛がわれた宿泊用の宿舎が見えてきた。
宿舎といっても、元は民家だったらしい一軒家で、家主がいなくなったものを軍で管理しているというものだ。
体よく空き家の排雪作業を押し付けられた感がしないでもないが、部屋数に問題はなく、共同で借り受けるにはもってこいの物件には違いない。
当初ハボックが追従する予定だった今回の出向を、変更の件をうっかり伝え遅れたおかげで、リザもここに泊まることになっている。少将は顔を顰めたが、当の本人はさっさと見取り図から警備の準備に余念がなかった。

「機能的なつくりですね」

見上げたリザが、鼻の頭を赤くしたまま、ふっと微笑を浮かべた。
積もった雪を横に流す構造の北方に特徴的な三角屋根は、イーストシティでは見掛けない。
玄関前にはドアの他にもうひとつ、ガラス張りの空間があり、引き戸がついているのも特徴だ。
コートから鍵を取り出してリザに渡すと、ロイはガラス戸を横に引いた。
先に入るように促して、ロイもすぐに体を入れた。

玄関フードという北方の玄関構造は、こうして雪にかかずらなくていい場所があるだけで一息つけるのも機能的だ。
手袋を脱いで鍵穴に差し込もうとするリザの後ろで、たたんだ傘をさっと振ると、粉雪が面白いようにさらさらと落ちる。あっという間に下に積もっていた雪と見分けがつかなくなる白さは、毎日あれば忌々しくもなるのだろうが、今見る分には幻想的ですらある。
ふとリザの背中に視線を戻すと、頭にまだ溶けきらない粉雪がいくつもついているのが目に留まった。
首元に流した髪に薄く乗って、もう少しでうなじに触れそうだ。

「……」

後ろ手にフードを閉めて、何の気なしに髪に触れる。

「大佐?」
「ああ、まだ雪がついて――」

首だけ傾げたリザに答えようとして、狭い玄関フードの中、近い距離の髪が流れて、ロイはそのまま覆いかぶさるように腕を回した。

「な」

左腕で肩を抱き、右手で鍵ごとリザの手を包む。

「なっ、何してるんですかっ」
「いや、フードの中でもやっぱり寒いなと思ってだな」

言いながら首筋に鼻を埋めると、慌てたようにリザの声が跳ねた。

「当たり前です! すぐ外は吹雪ですよ。それ以前に外気温マイナスです。中に入って暖房をつけますから、大佐もふざけてないで早く離し――」
「こうしてると少し温かくないか」

逃げようと重ねられた手に力をこめて、より自分の方へと抱き寄せる。
まだ赤い耳に暖めた吐息で囁くと、リザの身体が強張ったのがわかった。さらに抵抗が強くなる。

「――だ、誰か来たら」
「吹雪で見えんさ」
「そんなわけないでしょうっ」

確かにこうも全面ガラス張りでは、風で雪が舞ったくらいで、隠れ蓑にもなりはしない。

「見られて困ることまでするつもりはないから安心したまえ」
「もう十分困ります!」

後頭部に唇をつけながらそう言えば、リザがすかさず反論した。
それに笑いながら、ロイはリザの右手を包んだまま、まだ差し込まれていただけの鍵を一緒に回す。
開錠の音にほっとしたのか肩の力を抜いたりザの隙を突いて、もう一度だけ、後ろからぎゅっと抱き寄せる。

「たい――」
「ほら。人目につく前に中に入るぞ」

後ろ向きでたたらを踏んで凭れたリザの耳元で囁く。
そうすればまたぞろびくりと揺れた身体に微笑して、ロイはようやく開けたドアの中へと、背中を優しく促した。





何かもうすんごい楽しかった「玄関フード・ロイアイ」www
まさか玄関フードが北国ワードだったなんて。そんな、ウソ!www


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