帳に隠した真実は



昼間ほど人の行き来のない空間では、同じ室温でも何とはなしに寒い気がする。
そうでなくとも深夜を過ぎて、外気はぐんと冷え込んでいるのだ。暖房はもちろんついているが、手持ち無沙汰な思考を誤魔化すように、ロイは湯気の立たなくなったコーヒーを一口啜った。
想像通りの不味さに顔を顰める。
「今年もここでクリスマスか」
「仕方ありません。夜勤なんですから」
「そういう意味じゃない」
独り言のつもりに容赦ない正論を突きつけられて、ロイは声の主を軽く睨んだ。
しかし睨まれた当の本人は、一向に気にする素振りもなく、手元の手帳をパラパラと捲る。
「この日程だと、おそらく年越しもここですね」
「……イベント時期くらい部下に任せてゆっくりとだな」
「するような上官じゃなくて、みんな感謝していますよ」
あからさまな持ち上げ方の、なんて板についていることか。
少なからず事実も含んで、しかしこういう場面でばかり使われるのでは、随分と都合良く聞こえてならない。
手帳を閉じてさっさと事務作業に戻ってしまったリザに、どうにも納得いかない気持ちで視線を送っていると、ようやくリザがペンを止めた。

「イベントの熱に便乗したテロリスト達から市民を守るのが仕事ですよ」
仕方ないでしょうと言わんばかりの呆れ口調だ。
だからそういう意味ではないのだと、リザにはやはり口にしなければ伝わらないらしい。
「君は何とも思わないのか」
「はい?」
「その熱に浮かれてみたいとは思わないのかね」
この時期、街はどこもかしこもイベントに便乗した華やかさで、数週間も前から浮き足立っている。
視察に同行したときだけでなく、司令部からの帰り道、休日のアーケード街、ブラックハヤテ号の散歩道――それこそ普段の生活に隙間なく入り込む形で、リザも目にした光景のはずだ。
こんな日は少しだけ普段を違う装いを期待したりしないのか。
ロイの知る女性達ならば、今日をともに過ごせないというだけで、ひどく落胆してしまうものなのだが。
――と、ロイの言葉に何やら考え込んでいたらしいリザが、怪訝な表情を向けてきた。
「……それは、私にテロリストになってみたいかという」
「そういう意味じゃない!」
「はあ」
思わず机上に乗り出しそうになってしまった。
が、曖昧な返しにロイの方に溜息が出る。

「たまにはそういう雰囲気でエスコートさせて欲しいという願望だよ」
いっそパーティー会場に潜入捜査でも入っていれば良かったかもしれない。そんな不謹慎な思いを抱く程度には、着飾った彼女と過ごしたかっただなどと、言えば、リザに冷たい視線を向けられるがわかるから言わない。

「……」
「……」
「大佐」
「何だ」
「単なるカレンダー上の祝日ですよ」

そうきたか。
本音を滲ませたロイの台詞にしばしの沈黙の後、更に容赦ない正論で返されて、今度は机上に頭を打ち付けそうになったのを、辛うじて抑えて呻きに変える。
確かに、記念日だイベントだと休暇を取れるわけではないが、その言い方もどうなんだ。
偶然とはいえ二人きりで聖夜の夜勤。
何があるとは思っていないが、少しくらい、気持ちを揺らせてもいいじゃないか。
しかしまたぞろ書面にかかってしまったリザの横顔に、ロイはそっと息を吐いた。
このまま大人しく書類を減らせば、一時間後には仮眠室が待っている。それをプレゼントだと思えばいい。
自分自身に言い聞かせるように、ロイは冷めて更に不味さを増したコーヒーにもう一度口をつけ、それからリザに倣って、机上の書類に手を掛けた。

書類を捲る紙擦れと、紙面を流れるペンの音が、更に室温を冷やす気分だ。
その合間を縫うようにして、リザがやおら口を開いた。

「……イベント記念で休暇を取りたい人間は山程います」
淡々とした口調はそのままに、だが僅かに戸惑いが見えた気がして、ロイは手を休めないまま会話に乗った。
「知ってるよ。だから私が今ここで真面目に働いている」
「私もハボック少尉と夜勤を交代してここにいます」
「クリスマスデートか? どうせまた新年までに振られるぞ」
ふん、と嘯く。
「そうしたら、ブレダ少尉たちと楽しくアルコールで明かさせてあげようかと」
否定はせずに苦笑して言われた提案に、引っ掛かりを覚えて、ロイはふと顔を上げた。
「待て。また君がシフトを変わってやるつもりか?」
「そうですね」
「甘やかしすぎだろう。大体、今日の夜勤もあいつと交替したんじゃないのか。ゆっくり出来る時はゆっくりしたまえ」

例えば事情があれば仕方がない。
だが恋人との逢瀬が理由で、そう何度も負担を強いるような交替は、そう簡単に認められない。
常日頃、自身のオーバーワークに付き合わせている自覚があるからこその、上官としての労わりだ。
そもそも何故リザがそこまであいつのイベントを重視してやる必要がある。
上官として、にそんな思いが乗った口調は多少険のあるものになったが、許容の範囲内だと自答した。
しかしそんなロイの心情を知ってか知らずか、リザはさらりと否定してくれる。
「良いんです」
「良くない」
それに今度こそはっきりと険を乗せて、ロイは書類からリザへと視線をやった。

「多少の事情はあれ、毎回そんなプライベートな理由でだな」
「大佐の勤務日にしかしていませんから」
「だからそういう――……なに?」

書類から顔を上げないリザの表情は判然としないが、早口に告げられた言葉に、ロイは思わず聞き返した。
「カレンダー上の祝日を部屋で過ごすよりも、気兼ねなく過ごせます」
微妙に核心を暈した答えも、やはり机上に視線はある。
相変わらず淡々とした物言いに、うっかり聞き流してしまうところだった。
まさかのリザの告白で、ロイは脳内でざっと過去のスケジュールを手繰り寄せてみる。
言われてみれば何だかんだと、アメストリス祝日勤務は、彼女と被っていることが多い。しかしそれは、単に調整上の偶然と、副官という立場で残務に付き合わせているのだとばかり思っていたのだ。
まったく、気づかなかった。
そもそもそんな素振りは、今までただの一度も見せられていない自信がある。
選ばれている自覚はさすがに十分あったが、リザに限ってそういう意味で想われていると自覚できる場面はそう多くない。
まったく、とんだ不意打ちだ。

「……私の方が、随分プライベートな理由ですね」
自分の浅慮に無言で眉を寄せていると、微苦笑を乗せたリザが、そう言って静かに席を立った。
「冷めてますね。コーヒー淹れ直します」
もう随分前から湯気の立たなくなっているマグを理由に手を伸ばすリザは、ともすれば勤務に対する不真面目さだと謝りだしそうな雰囲気に見えた。
咄嗟にその手を掴んで止めさせる。
「――大」
「気兼ねはあるぞ」
「え?」
そんな思いを知らされてからのこの状況。
どう考えてもこの程度の触れ合いが限度のこの状況は、まさに気兼ねのかたまりだ。
「出来ないことが多すぎる」
ロイに掴まれた手を振り払いもせず、無防備に見つめてくるリザの指先を、おもむろに軽く食む。
「なっ――に、するんですかっ」
引かれた手首を強く引きとめ、ロイはしたり顔で不満気に口を引き結んで見せた。

「ほらな。この先はここじゃ出来ないことばかりだ」
「当たり前です!」
離してくださいと再三声を荒げるリザは、いつもどおりの応酬に見えて、明らかに慌てているのがわかってしまった。
「……まあ、もう少しくらいはいけるか?」
「そんなわけないでしょう!」
だが、あまり引き伸ばして本気で怒らせるのは本意ではないのだ。
滅多に聞けないリザの独占欲を垣間見られたのが、聖夜の贈り物だというのなら、何かに感謝してもいい気分だ。
最後に名残を惜しむようにそっと手の平に軽く音を立てて口付ける。
「っ」
瞬間、リザがびくりと肩を揺らして、それから奪うようにロイから手を引き戻してしまった。
まずい。
リザの言質を得たことで、正真正銘残業デートな今後も激しく視野に入れて、ロイはすかさず諸手を挙げた。

「悪かった。調子に乗った。
「こういうことは帰ってからにして下さい!」
「え」
「え?」
今度こそ重要な内容をうっかり聞き流してしまったのかと、リザの顔を見上げる。だが鸚鵡返しにつむいだリザも、怪訝な表情でひとつ瞬きをして返しただけだ。
夜勤明けは、自宅でゆっくり大人しく休めが口癖のようなリザの、これも隠された本音でいいか。
「……いいのか」
「何がいい……、――っ、ち、違います、そういう意味では……っ!!」
おそるおそるの確認に、リザは小首を傾げながらもうひとつ瞬いて、達した共通見解に、瞬時に耳まで赤く染まった。
語るより雄弁な表情も、聖夜の贈り物に違いない。

「うん、よし、わかった」
「何がですかっ。誤解です。違います!大佐、聞いていますか!」
もう遅い。終業後の予定は決まった。変更はない。
眠気の飛んだ頭で素早く残った書面を捲った。
そうと決まれば、定時に帰る。時間を押したりするものか。
必死に訂正を試みるリザを熱いコーヒーの催促で受け流しながら、ロイはいつになくやる気の漲る事務作業に取り掛かった。




2012クリスマスから2013お正月まで、きっと大佐はやる気に満ちてますw


 
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