オールの行方



どうしてこうなったと思い返してみても、その場の勢いとしか言いようがない。
きっかけは何だったか――そうだ。
ブラックハヤテ号を膝枕で撫でていたリザの隣に、ロイが腰を下ろしたのが始まりだった。
なんだかんだとロイが横から構った所為で、せっかくの愛犬との触れ合いから逃げられてしまったリザが、苦言を呈すまではいつもの他愛ないやりとりだったはずなのだが。
そこからハヤテに甘いとなり、触りすぎだ、自制しているしていないとなった頃には、大分互いに引き際がなくなっていたように思う。
年明け初の非番を翌日に迎え、夕食後に飲んだワインが原因かもしれない。
もう時計の針は随分過ぎて、入浴も終え、酔いの欠片も感じられない気がするが、微塵くらいは原因のはずだ。

「……大佐」
「何だ」
「そろそろ触りたくなりませんか」
「君の方こそ、触りたくなっているんだろう」
「我慢しなくていいですよ」
「君もな」

そうしてこの不毛なやり取りに発展したのは、つい数分前の出来事だ。
まるで連想ゲームのような変遷を経て、いつの間にか、互いに触れるのをどれだけ自制出来るかという我慢比べになってしまった。
年末年始も通常勤務で、ようやく重なった時間を心穏やかに過ごすつもりが、日付を跨ぎそうな夜半に、ソファの上で膝突合せ、妙な牽制をしつつ、互いの腹を探り合っているというこの状況は、あきらかにおかしい。

「たいさ」
「その言い方は駄目だ」
「……ロイさん?」
「それも駄目」

呼び掛けに甘さを入れることで自制心を揺るがそうという作戦か。
乗るまいとすかさず否定すれば、ありありと不満気な表情を浮かべて、リザがむっと眉を寄せてロイを睨んだ。

「触ってませんよ」

アルコールのせいではなく、おそらく単なる疲労と時間的な睡魔から目元を薄く赤く染めた視線は、口調に反して随分艶が漂って見える。
ロイは内心で苦虫を噛み潰したような気分になった。
ただでさえ、触れたくなるのは決まって自分からだというのに、こんなまるで色気のない始まりでまで負けてたまるか。
擡げてきた矜持で睨み返せば、いつになく強気な瞳で返されてしまった。
まったくといっていいほど、ロイに触れてきそうにないリザの態度はいただけない。

「中尉」
「はい」

この状況でわざとらしく階級で呼びつけると、リザが無意識だろう、僅かに姿勢を正した。
思わず笑いそうになるほどの生真面目さは、生来のもがほとんどだと知っている。
正攻法とは言えないが、ここはひとつ、上官然とした態度で真正面から攻めてみるか。
考えて、ロイは部下に報告を求めるように声を落とした。

「どういう時に私に触れたくなるか答えたまえ」
「いつもです」
「ほう、いつ、も…………?」

視線を逸らしもせずに真正面からきた即答に、反芻した自分の言葉が途中で止まる。

「いつもですよ」

聞き間違えたかと軽く首を振ったロイに、リザがもう一度瞳を覗き込みながら、はっきりとした口調で言い切った。
生真面目な性格を知っているからこそ、普段の凛とした表情の下でいつもそんなことを思われていたのかと考えてしまった自分が相当にやるせない。
この勝敗の決め方を十分に理解して発せられただろう優秀な参謀の言葉に踊らされるところだった。
うっかり滅茶苦茶に触り倒してやりたくなった衝動を抑えて、ふん、と鼻を鳴らす。と、リザが憮然とした表情を浮かべた。

「こういう時は嘘がうまいな」
「嘘?」
「弄ばれる身にもなってみたまえ」

仕事場でロイを窘める不機嫌さとはまた違う種類の表情は、むしろ少し可愛くさえ見えて困る。
しかしそう指摘されたリザは、つと目を伏せてしまった。

「リ――、中尉?」
「どうして今の答えでそう思うんですか」
「それは……」

怒ったというより困惑に近い口調で、ぽつりと零されたリザの言葉が揺れて聞こえた。
嘘がばれての困惑だろうか。
理由など、普段の態度からわかりそうなものだが、敢えて聞くのも何かの作戦かもしれない。

「それはそうだろう。普段の態度から君が――」

言いかけたところで、リザが深々と溜息を吐いた。
両腕を抱えるように組み直し、向き合っていた状態から体を起こして、ソファに深く腰掛ける。

「リ、リザ?」
「だから、我慢しているんじゃないですか」
「なに――」

ごく小さな呟きを、今度こそ本当に聞き間違えたかと、ロイも体を起こしてリザに向き直りかけ、

「――もう、負けでいいです」

とん、とリザが額をロイの肩に凭れさせた。
不意をつかれた軽い重みに、一瞬思考が停止する。

負けでいい?
それはつまり、本当にずっと。 私に触れたかったということか――?

さらりと流れたリザの髪が視界に入り、追うようにして腕を上げる。
掛け直すだけのつもりが、耳朶に触れたロイの指先に反応されて、そのまま首筋をなぞってしまった。

「……ん」
「触っていいか?」
「もう触ってるじゃないですか」

額をつけたままでそう言われ、なるほどなと妙に得心しながら、項に這わせていた手を下ろし、リザの腰を抱き寄せる。

「訂正。押し倒していいか」

項へはかわりに唇を触れさせて、低く甘く囁いた――つもりが、随分焦れた口調だった。
腕の中で身じろいだリザに「今ですか」と苦い顔をされたとしても、きっともう遅いとわかる程度に気持ちが逸る。
が、ようやく顔を上げたリザは、そのままロイの頬を両手で引き寄せると、額に額を合わせてきた。

「……早くしてください」

確かに先に触れたのは彼女だが、我慢が勝負を決めるなら、自分の方が限界だ。
私の方が、負けでいい。
至近距離で拗ねたようにそう言われて、ロイは胸中で諸手を挙げた。





2013年初ロイアイ。


 
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