お気に召すまま



「何ですか?これ」
手が空いたら、と曖昧な命令で執務室に呼ばれたリザは、おざなりに渡されたファイルに目を落とした。
資料というにはやけに薄いが、単なる書類にしては重みがある。
「見合い写真だそうだ」
「あら。大変ですね」
何故それを自分が渡されたのかと訝りながら言ったリザへ、ロイがふと鼻で笑った。
「君のだぞ」
「――はい?」
言われた台詞に理解が追いつかず、思わず間の抜けた声が出た。
「好きにしていい」
「意味がわかりません」
開きかけていたファイルを途中で止めて眉根を寄せたリザを見やりながら、ロイは椅子に深く背中を預け直した。
このファイルの相手から某かの情報を引き出すだとか、そういった任務というわけでもないらしい。
眉間に皺を寄せたリザに笑って、ロイは机上の万年筆を取ると、器用にくるりと回して見せた。


「噂程度でも大総統の血縁で、私の副官だからな。繋がりを持ちたい者が多いんだよ」
「そういう意味では――」
「抜きにしても美人だしな」
「大佐!」
市井で振りまいている如才ない佐官の顔でそう言われて、リザの声が荒くなる。
「うん?セクハラか?」
しかしこちらの気を知ってか知らずか、悪びれずに見上げてくるロイの態度に、内心の苛つきが増した気がした。
行くなと言われたいわけではないが、自分の動向を気にもかけていないらしいロイの態度をどう解釈したらいい。副官としてくらい、意向の確認をしてくれても良さそうなものを。
「……いえ。わかりました」
考えれば考えるほど、苛々としだした自分のつまらない感情を、溜め息に乗せて吐き出す。
誰とどうなろうと、副官としてロイの傍を離れる気などどうせないのだ。
その決意を知っているからだと思えば少しは気分もマシになる。


「日時の確認等はどなたへ?ハワード将軍あたりですか」
権勢の好きそうな顔をいくつか浮かべて言ったリザは、ロイの無言を肯定と受け取った。
ファイルの中身を見ることもなく、できるだけ姿勢を正して礼をする。
「失礼いたします」
踵を返したリザに一言もない。
見合いの席で、背中を見せるには早すぎるが、うんと着飾って行ってやる。
いっそエリザベスくらいにして行けば、私生活が乱れていると勘違いして、向こうが引いてくれそうだ。
内心でまた苛々しだした思考に蓋をして、リザはドアノブを回した――が。開けかけた執務室の扉は、いつのまに立ったのか、ロイが後ろから手をかけたせいで開ききらずに、小さな音を立てて閉まった。
「大――」
「行くつもりか?」
「え」
振り向いたリザに、扉にかけた手はそのままにロイが問う。
薄い笑みを浮かべて見える口元に反比例して、鋭い視線は敵を尋問しているようだ。
「まさか好みだった?」
意外に近い距離で表情は変わらず、けれども軽い口調でそう言われて、リザははっきりと苛立ちをあらわに眉を潜めた。
「まだ見てません」
リザがファイルを一度も開いていないことを知っているくせに、何のつもりだ。
勢いも手伝って開こうとファイルにかけた指先を、しかしロイの手がすかさず掴んだ。僅かに驚いてロイを見る。
が、片眉を上げ苦々しそうに見返してくるロイの内心はよくわからない。


「……そんなにイイ男なんですか」
カマを掛けるつもりで言えば、リザからのまさかの切り返しにロイは一瞬鼻白んで、すぐにふんと鼻で笑った。
「君にとって私よりイイ男がそんなにいるのかね」
よくもぬけぬけとそんな台詞を。
思ったが、咄嗟にいますよと答えられなかった時点でリザの分が悪い。
上手い返答も浮かばずに、知らず視線がロイから逃げる。
「……。好きにしろと」
「そうだ。私は君の好きにしていいと言ったんだがね」
やはりロイが何を言いたいのかわからない。
考えるにはロイの唇が近すぎて、背中に当たる扉の木の冷たさが気になった。
「会いたくなった?」
「貴方が――」
会えばいいと手綱を簡単に離された気がして。なんて言えるわけがない。
開くつもりさえとうに失せているファイルをぐっと抱え直したリザに、扉に掛けていた腕を曲げてロイの距離が近づいた。
リザの内心の葛藤などお見通しだといわんばかりに、やけに低い声音が耳朶に響く。
「違うなら、どうしたい?」
「なに……」
「君の好きにしていい」


ずるい。
好きに、などと言いながら、なんて遠回しで直接的な命令だ。
視線をリザから離さないままで、抱えたファイルをこん、と叩いて答えを促してくる。
ずるりと力が抜けて、取り落としそうになったファイルを、ロイが事も無げに持ち直した。
答えは最初から一択しかなかったのだ。
「……お、お断りします」
「ふうん?せっかくの将軍からのご厚意だが、仕方ない。お相手の方には残念だが、返事は私がしておこう」
やれやれと演技がかった口調で、けれどもじっと見つめられている視線を感じて、居たたまれない。
「しかし勿体ないな。いい出会いだったかもしれんのに」
いけしゃあしゃあと言ってくれる。そのくせ険のとれた口調なのがわかるから厄介だ。
これが手口なら誰が流されてなどやるものか。一矢報いてやるつもりで、リザはなるたけ平坦な口調を心掛けた。


「仕方ありません。貴方のように器用に出来ませんし、今の人で手一杯ですから」
「……今の人?」
「ええ」
ふと不機嫌な口調で反芻される。
「ああ。私か」
「………………そんな自覚あったんですか」
しかしすぐさま納得顔でそう言われて、もう他に言葉が浮かばない。苛立ちを通り越して呆れてしまう。
最初から手放すつもりがないのなら、中途半端に首輪を緩めるふりをしないでほしい。
はあ、と息を吐いたリザの顎にロイの指先が触れた。
軽く払うつもりで視線を上げれば、思っていた以上に真剣なロイの視線とかち合って、リザはそのまま動きを止めた。
「どうだろうな。選択の自由は君にある」
「……ずるくないですか」
それこそ選択は常にひとつしかないというのに。
「今更だろう?」
至近距離で満足げにロイの口角が上がる。
それを最後に、リザの視界は瞼の裏に覆われてしまったのだった。




手放す気なんてサラサラないのに、こういうことしては勝手に不機嫌になってそうですマスタング。


 
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