03.将軍の執務室




堂々と勝ち得た息抜きを有効に使うべく、一旦給湯室にマグを置いたロイが廊下へ戻ったのと、背を叩かれたのは、ほぼ同時だった。渡したいものがあるからと言われては、断れるはずのない東方司令部司令官の登場に、ロイはにこやかに応諾しつつ、内心でガクリと肩を落としたのだった。

***

「最近騒がしかったけど、どう? 終わりそう?」
「ええ。優秀な部下達のおかげで、今日からはまたゆっくり休めそうです」
「それは良かった」
大き目のダンボールからゴソゴソと何やら探しながらの質問に、指定された来客用のソファに座ってロイが答える。と、ようやくお目当てのものを見つけ出したらしいグラマンが、小振りのビンをロイに差し出した。
「これは?」
手の平に乗る大きさの透明なガラス瓶の中で、緑色の球体が二つ、水中にふわりと沈んでいる。
一瞬、フラスコの中の小人、という言葉を連想して、ロイは手の中のそれを窓から差し込む陽光に傾げて見せた。光を透過して細かい繊維質なものが絡んでいて、形状的には藻に見える。

「藻の一種らしいよ」
ロイの疑問を読んだように、グラマンが言った。
「北方の旅行に行った友人からのお土産。面白いから君にひとつあげようと思って」
「……ありがとうございます」
いらない。
咄嗟に浮かんだ言葉を笑顔の奥に忍ばせて、ロイは静かにテーブルに置いた。
そもそも「ひとつ」と言いながら、土産の詰まった箱の中に同じ物がないらしいのはそういうことだ。
置き物は喜ぶ老将軍の体のいい厄介払いを押し付けられて、しかし上手い断り文句も浮かばないロイへ、グラマンは本音の読めない笑顔を向けた。

「それね、2〜3週間で水が汚れたら換えればいいだけだから、大して世話もかからないらしんだけど」
「そうですか」
「好きな子の部屋に置かせてもらって、水替えを理由に寄るってのも手だよね」
「そうで――……はい?」
断る理由を考えながら、如才ない笑顔で飼育説明を聞いていたロイは、思い切り間を置いて聞き返した。
目の前の藻で、さすがにそう来られるとは思わなかった。
軽口なのか女遊びの勧めなのか、グラマンの話の趣旨が分からない。
警戒しながらも大人しく続きを待つロイに、グラマンは大仰な息を吐いて見せた。

「昨日ホークアイ中尉にも同じこと言って押し付――あげようと思ったらでも断られちゃってさあ」
ちらりと言い掛けられた本音は、それよりも知った名前に一瞬で興味が逸らされる。
昨日最後に会った時、そんな話は聞かなかった。そもそもあんなにバタバタしていた業務の中で、司令官がどうしたらそんな暇を見つけられたのか教えてほしい。
サボリを見つけられてしまうようではまだまだ甘いと、グラマンの行動にロイは内心で感嘆した。
「そんな相手はいませんので結構です、って素気なくて」
言いそうだ。
いかにもリザらしい拒絶に、今頃書庫で軍議の資料収集に勤しんでいるだろう姿が浮かんで、頬が緩みそうになる。背後の壁に掛けられた時計を確認するまでもなく、軍議と視察の時間を考えて、ロイが書庫に寄る時間はなさそうだ。が、思いがけずリザとの共通の話題に触れたことで、少しでも浮つく自分は相当焦れていたようだ。

「そうですか」
彼女と同じ断り文句は使えそうもないなと頭を捻るロイに、グラマンは困ったように眉を下げた。
「でもその言い方って、どっちにも取れると思わない?」
「……どっち、とは?」
苦笑の皺を深くして首を傾げるように覗き込まれる。この笑顔は要注意だ。本能で感じた危機感に、ロイも上辺の笑みを絶やさないままで慎重に聞いた。
「部屋に置かせてもらって通うような相手がいないってことなのか、そんな理由がいちいち必要ないくらいの相手がいるってことなのか。マスタング君、どっちだと思う?」
なるほど、今度はそうきたか。
どこから張られた伏線だったのか、たまたま流れで掛けられたカマなのか判然としないが、グラマンの不意をついた奇襲にも、大分慣らされてきた自負がある。生憎、そう易々と攻められる可愛さは持っていない。

「どうでしょう。中将もご存知のとおり、女性は難しいですからね」
わざとらしく肩を竦めてそう言って、
「後で聞いておきましょうか」
そう嘯いたロイへ、グラマンはほんの一瞬楽しげに眼を煌かせた。
「うん、でもセクハラで訴えられんようにね」
「肝に銘じます。――ああ、将軍」
「うん?」
それから、ロイはさも今気づいたと言わんばかりに引き締めた表情で、もう一度テーブルの上のビンを取った。丸い藻の揺れる水面を見つめ、残念そうに軽く揺らす。

「水替えのスパンが長過ぎて、やはり私には待てそうもありません」
「――ほ」
「仕事も一段落つきましたし、今夜にでも会いたいくらいですね」
「ほっほっほ!」
一瞬呆けたグラマンが思い切り破顔して、ロイへと手を差し出した。どうやら一本取れたようだ。
「押し付け失敗しちゃったようだ」
そっと小瓶を置き返すロイへ、目尻の涙を拭いながら言うグラマンは実に楽しそうだ。
和やかな雰囲気に笑っいながら、ロイはそろそろと辞去の意を示した。細めた目を小瓶にやったグラマンも、ゆったりと頷いて席を立つ。

「君、やっぱりウチの孫娘と結婚しない?」
「ははは、ではスケジュールの調整を要しますので、私の副官にも話して頂けますか?」
踵を返した背に掛けられた声にも調子良く笑顔で答えれば、グラマンがわざとらしく顔を顰めて唇を尖らせた。
「返しが随分上手くなったねえ」
「将軍のおかげです」
毎度不意打ちでの進捗確認という荒療治で教育されれば、耐性も出来る。
しれっと言ったロイに、グラマンは満足げに笑みを深めて顎を撫でる。
「真っ赤になってた頃に比べると感慨深いよね」
子供の成長に目を細める好々爺然とした口調でにやりと言われて、ロイの笑顔がぴしりと引き攣る音を立てる。やはり最後はこうなるのか。
「……失礼しました」
苦虫を噛み潰した気分でそう言うと、ロイは満面の笑みを見せるグラマンの執務室を、羞恥心を引き摺って後にしたのだった。





いいところで邪魔が入って遊ばれる残念たんぐ。まだ会えません。

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