04.ひみつの木陰




遅めの昼食を終えて射撃場へと向かう渡り廊下を行きながら、リザはふと中庭にさす日光に足を止めた。
見上げた空はどこまでも青く、天気は快晴。俄か雨の予定もない。
まだ休憩時間内だということを内心で確認して中庭に出る。行きかう人の気配のない静かな午後。
プレハブ倉庫の並ぶ砂利道を抜け、敷地を囲む塀沿いに進めば、少し奥まった先に常緑樹の幹が見えた。
季節も盛りに向かい、青々とした葉のざわめきは夏の気配を色濃く感じさせる。
リザはその太い幹にそっと触れ、それから背中を預けて息をついた。
ここで初めて彼を見つけた時のことが脳裏を過ぎって、リザは知らず目元を細めた。

***

――見ないと思ったらこんなところに。

初夏の晴れ間に梢から零れる柔らかな陽光を受けながら、幹にも垂れて眠っているらしい上官の後ろ姿に、安堵より苛立ちが勝ったのは仕方がない。
未決の書類を山と残して「少佐がトイレから戻りません!」と鳴きそうな顔のフュリーから報告を受けたのは、リザがきっちり規定の休憩から戻った時だった。返事のない執務室をノックの形で止まった手で、眉間をしっかりと揉み解す。
「……長いトイレね」
「で――っ、ですね!」
この調子だと自分とそう変わらない時間から不在に違いないと判断して、肩で小さく息を吐く。
フュリーへは他の仕事を進められるように指示をしてから、リザは執務室を後にした。

それからしばらく。

ようやく探し当てたと思ったら、涼やかな午後の木立にまぎれて寝息を立てているなどと、どこの誰が想像した。リザは滑らかな所作で腰のホルスターからコルトを抜き取ると、ごり、とロイの額に銃口を容赦なく押し付けた。
「おはようございます、マスタング中佐」
「…………おはよう、少尉。気のせいかな。額が痛い」
「気のせいでしょう。すぐに何も感じなくなりますよ」
「早まるな!」
撃鉄の起きる音に、しぶとく寝たふりを続けていたロイも、さすがにすかさず両手を上げる。
それから渋々といった体で漸く腰を上げた彼を手伝いながら、リザは呆れた視線をやった。それに憮然とした表情で返される。

「君、日に日に私を見つけるのが早くなっていないか?」
「目に見えて上達するほど、普段から探させないで下さい」
「愛のチカ――用談だ。銃を仕舞いたまえ」
悪びれない言い方に、うっかり頬にめり込ませてしまった銃口を引っ込めれば、安堵の溜息を漏らすロイに、リザは冷たい視線を向けた。
「まだ寝惚けているのかと思いまして」
「もっと他にあるだろう、起こし方が!」
「他に、ですか」
まず勤務中に寝なければ済む話ではないのかと思うのだが、剣呑なリザの口調はまるで無視したロイが、目を眇めて見下ろしてくる。
「だからこう、優しくだな……囁きかけるとか、こっそり寝顔にキスしてみるとかだな」
邪険なリザの視線をものともせずに、やれやれと首を振られてはさすがに眉間の皺が深くなる。まったくもって言い掛かりも甚だしい。目元はそのままに口角だけをニコリと上げて、リザは素早く抜き出した銃口を、もう一度ロイの頬にぴたりと当てた。

「したじゃないですか。キス」
「鉄ではなく、人肌が恋しい……」
が、銃口から逃げるでもなく、恨めしげに肩を落とされて、本当に呆れるより他にない。
押し付けていた銃は、今度こそきちんとホルスターに収めて、リザはもうと腰に手を当てた。
「早く仕事を終えてくだされば、定時で上がれますし、その分デートも楽しめますよ」
「君と?」
「……まだ寝惚けていますか」
しかし悪びれない返しに目を眇めれば、一転して楽しそうに、はは、と笑われてしまった。
「かもな」
言って、何かに気づいたように、視線をついと横に逸らす。
釣られてそちらを向きかけたリザは、横手から不意打ち気味に腕を引かれて、そのまま幹へと押し付けられた。軍服越しの太い木肌は、意外と広く背中に当たって、バランスはそう悪くない。

「何す――んっ」
出しかけた抗議の声は、覆うように奪われた唇ごと飲まれてしまった。
突然の行為にロイの胸を叩くことも忘れて、頬を包み込んでくる手の熱さしかわからない。
ぐいと強められた拘束のせいで、伸び始めている髪が木目に引き攣れ、その痛みで漸く我に返ることが出来た。腕を叩く――とロイはあっさりとリザの唇を解放した。
「言ったろう? 人肌が恋しくてな。ああ、それと今後の起こし方にバリエーションが欲しいところだ」
「――馬鹿ですかっ!こんなところで……っ」
ではなく。
これからもサボリに励む宣言をしないで欲しい。
僅かに上がってしまった息の下で、きっと眦を吊り上げたりザに、ロイは得意そうに胸をそらした。

「安心したまえ。誰も来ない場所だから、私が堂々とサボれている」
「そういう――」
「休みたい時と、悪いことをしたい時にはお勧めだぞ」
そんな勧めを上官がするなと叫びたい。
したり顔で上官にあるまじき台詞を嬉々として告げるロイに、リザの口から深く長い息が零れる。
「……」
「少尉?」
それから、ふと思い至って顔を上げる。
「十三番倉庫と地下倉庫、第二教練場から夜勤宿舎通路へ向かう脇の道もですか」
「……」
「中佐?」
リザの指摘に黙り込んでしまったロイは、リザに呼ばれて、不自然に視線を泳がせた。

「……何で、網羅しているんだ君は」
「貴方がサボるからですよ」
それでなくてもただでさえ、姿を追ってしまうのに――。
悪巧みを暴かれてしまった子供のように、顔を歪めて苦渋に満ちている上官には困ったものだ。
うっかり甘やかしてしまいそうになる自分を律して、リザはロイの背中をぐいと押した。
「戻りますよ」
渋々な足取りで、それでも促されるまま歩き始めたロイの後ろで、リザが小さく苦笑したのだった。

***

背中に感じる幹の厚みに、リザはそっと目を閉じた。
新緑の匂いを運ぶ風がそよそよと心地良く前髪を撫でていく。
あの日のロイの言葉のとおり、確かに休みたい時にはうってつけの場所かもしれない。けれど――。
「……」
ゆっくりと目を開けて、見える景色に、リザはもう一度そっと瞼を下ろす。
「一人じゃ悪いことは出来ないわね」
呟いた自分に苦笑する。
そっと取り出した銀時計を開けば、いつの間にか休憩時間は残り僅かになっていた。
どこからか鳥の声が頭上を高く通り過ぎる。
幹に預けていた身体を少しだけ反動をつけて離れると、リザはその場を後にしたのだった。





なんだかんだで二人の場所とかありそうじゃないですかwktk

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