08.イーストシティ内




一番暑い盛りを過ぎたとはいえ、地面に溶けた日中の熱がじわじわと蒸発するような暑さは残る。
夕方に差し掛かり、けれども昼間とそう変わらない明るさのもとでの市外視察は、それだけで警戒心も薄まりそうになるというものだ。
数日前には市街の真っ只中でバカが起こしたテロ騒動も一段落して、日常の落ち着いた喧騒を取り戻した中を、車から降りて回るロイの後ろを歩きながら、ハボックは斜陽に目を細めた。
憲兵への返礼以外は胡散臭い――もとい、爽やかな笑顔で周囲を見渡す上官は、久し振りに懸念の少ない息抜きめいた視察のせいか、すこぶる機嫌が良さそうだ。もしかするとどこかでデートの約束でもしているんじゃないかと疑いたくなる。
いつも寄る花屋の店先で若い女の店員と談笑し、土産と称して立ち寄ったケーキ屋では年嵩の女主人と新商品に舌鼓を打ち、笑顔の大量放出をしているロイに、ハボックは感心しついでに感想を口にした。

「いやー。相変わらず幅広いっスね」

ついでに言えば、母親に付き添われた小さな女の子から「軍人さん、がんばってくださいっ」と真っ赤な顔で渡された花一輪を胸に挿しているのだから、幅も上下も広すぎる。

「何言ってる。コミュニケーションは人間関係と情報収集の基本だ」
「女性に片寄ったコミュニケーションに見えますけど」
「基本だろ」

何でこんなのがモテるんだ。
さらりと悪びれずに言いながら、通りの向かいのカフェ店員から向けられた頬を染めた笑顔に軽く手を振る上官の後ろで、ハボックはぎりりと歯噛みした。
前の彼女も、その前の彼女も、最近いいと思っていた女の子も、いつの頃からか話題がマスタング大佐に終始し始めて終わったのは、偶然だと思いたい。幼女から老女まで、外見も性格もパッと見では性別以外に共通点が見当たらない市井の彼女たちに分け隔てなく接する上官の見えない本音を、たまに見せてもらっても良い気がする。

「大佐に好みとかないんスか?」
「おまえのように、胸に拘りはないな」
「……フトモモ派でしたっけ」

ちくしょう。本当に何でこんなムッツリに騙されるんだ、と世の女性に叫びたくなる。
大抵の男が目をやる胸より下半身を指摘する奴は、悪い男に決まっている。
自分の姉がこんな男を連れてきた日には、ちょっと泣くなとハボックは思った。
駐車させていた軍用車に戻ると見張りの憲兵に返礼を返し、車を発進させながら、ハボックはバックミラーで後部座席のロイに視線を向けた。

「でもやっぱタイプってあるじゃないですか。例えば――あ、あの二人組みだったら? 俺はショートの子っスかね」

停止線でゆっくり止まった車体の横を通り過ぎる二人組みの女の子を目で示すと、面倒くさそうに顔を上げたロイも、横目でちらりと彼女たちの方を見遣る。

「じゃあもう一人の方」
「投げやりっスね……」
「別にどっちでも構わん」
「キチク!」
「誤解を招く言い方をするな」

誤解も何もそのままだ。
本当に女なら誰でもいいのかと思わず叫んだハボックに、ロイがふんと鼻を鳴らして半眼になる。

「だってどっちでもいいとか、女性が聞いたら泣くか刺されるかしますよ」
「その気もないのにどちらかに肩入れして、気を持たす方が失礼だろうが」
「……」

そう言われて、ハボックは思わず後ろを振り返ってしまった。すかさず手の甲をしっしと振られて、慌てて前方に視線を戻す。
はっきり言って驚いた。こんな雑談としか思えない部下との会話で、まさかそこまで考えて答えられるとは思っていなかった。ほんの軽い気持ちで好みのタイプを値踏みした自分が、ものすごく軽薄な男になった気がしてしまうではないか。
自分の方が世間一般の男としては普通だという自信はあるが、こういうところでいちいちフェミニストなロイの態度が、女性に人気の所以かもしれない。
押し黙ってしまったハボックに、ロイが胡乱げに眉を上げた。

「何だ」
「……あー、いえ、案外真面目だな、と」
「私はいつだって真面目で紳士的だ」

紳士的は言ってない。
しかも自分で言ったら台無しだと思うのに、得意気に胸を張るロイは本気らしい。
女性に対する考え方を尊敬しかけていた気持ちを霧散させてくれるところが、さすがは我らがマスタング大佐だ。
また車を進めて二人組みを追い越しながら、ハボックは続けた。

「でもやっぱりタイプはあるでしょ。今まで付き合った彼女の傾向とか、何だかんだで似たり寄ったりだったりすることないスか」

それこそ普通はありそうなものだ。
少なくともハボック自身は何だかんだでそうだった。だから毎回振られる理由も結局似たり寄ったりで、そこはもう仕方がないと諦めている。

「そうか……?」

しかし割りと本気で考え込んでいたらしいロイは、訝しげに首を傾げ、ミラー越しにハボックへそう返してきた。

「え……。マジで大佐、好みとかないんスか? やっぱり女なら誰でもいいって鬼畜――」
「別に好きなタイプくらいある」

半ば呆れ口調で言いかけたハボックに、ロイは憮然として腕を組み直した。
過去の女性遍歴に共通点もない男のタイプとは、どれだけ高望みなのかが俄然気になる物言いだ。
やっと俗世の一般的な話題に乗ってくれた上官に、からかい半分、興味半分でハボックは気持ち首を後ろに反らせた。
司令部までの行き慣れた道を軽快なハンドル捌きで進めながら、意識は完全にロイに移る。

「マジすか。例えば?」
「ブロンド」

後部座席の背凭れに深く身を預けての即答に、わかるわかると同意する。

「あー、自分にない色ってイイっすよね。俺、ブルネットにそそられます。あーでもブラウンも可愛いかなー。他は? ショートとロングだったらとか」

ロング派ですけど、とさり気に自分の好みを主張してみる。さっきの彼女がショートだったのは、他の総合的な判断からで、単純な好みで言うならロングはいいと思っている。
言外に最近気になっているあの子を取らんで下さい、と含ませたつもりだが、たぶん気にもされていないだろうことは知らないふりだ。

「セミロングのアップ」
「髪型指定とか……」

が、これにも即答したロイに、ハボックは苦笑でミラーの中のロイを見た。
意外に好みが細かいらしい。次は何を聞こうかと考えていると、組んでいた腕を解いて顎に手をやったロイが、真剣な口調で呟くように言った。

「それで、プライベートで下ろしてるとそそられないか」
「ああ、そー……、ん?」

やけに具体的なロイの指定を頭の中で思い描くと、脳裏に浮かんだ人物がいた。

「……っスねー……」

これは、もしかしてもしかするのか。

「目は、あー、俺はブルーかやっぱ黒かなーって思うんスけど……」
「ブラウン」
「へー」

もしかしそうだ。
ロイの即答で狭まる人物像を浮かべながら、ハボックは無意識を装って更に続ける。

「軍服のアンダーって、夏の白シャツだとちょっと透けたりして良くないですか?」

同僚を臭わせたその質問にも、ロイは気のない口調で「ああ」と口中で頷き、さも当然と言うように平然と言った。

「黒のタートルを脱がす方がそそる」
「へ〜……、えっ」
「別にシャツでもいいけどな」

これは完全にもしかした。他の人物が浮かんでこない。
そうだろうとは思っていたが、ここまで具体的に知ることになるとは思わなかった。
見えてきた司令部の建物に今更スピードを緩めることも出来ずに、アクセルを踏む。

「あー、っと……、すんません」
「何だ」
「いや、その、無駄口叩いて」

それくらいしか続けられない。
ピンポイントで告げられた上官の好みで浮かぶ人物はたった一人だ。
自分から揶揄のつもりで振った話題には違いないが、鬼畜と叫んだ上官への失言の代償は、おいそれと誰にも共有できない話題にしたのは、絶対に彼流の嫌がらせだろう。
当事者の一方は、まるでその気を見せない徹底振りの上官だが、これから戻った執務室で見てしまう二人のやり取りに、ふとした瞬間見えてしまう表情に、何も思うなという方が無理だ。
半眼になるロイの視線から目を泳がせて、ハボックは内心で大きな溜息を吐いた。
正門を通り、正面入り口でブレーキを踏み込みギアを戻す。

「息抜きに楽しく会話が出来て良かっただろう?」
「……息抜きすぎて、詰まるかと思いました」
「本人に言っても良いぞ」

ドアに手を掛けたロイからしれっと言われて、出来るはずのない提案に両手を上げる。

「や、俺撃たれたくないんで」

具体的な名前は言わずとも知れたハボックの返しにも、ロイは面白そうに口の端をにやりと上げただけだ。
仲間内で、今更知らない関係ということもないが、軽口で命まで軽んじるほど馬鹿じゃない。そんな部下の内心を分かっているからこそ出来るロイならではの会話遊びは、なかなかどうして心臓に悪い。

「女性の選り好みも程ほどにな」
「……見習いまス」

これ以上は余計な詮索はしないに限る。
どこの誰とよろしくやろうが、ブレのない唯一の好みにうるさい男の独占欲ほど強いものはないだろう。
そんな想いの先にいるもう一人の上官に心の中で合唱を送る。
いつか来るだろう姉の相手が、こんな男じゃありませんように。
ついでのように祈りながらロイの背中を見送って、ハボックはポケットから煙草を取り出した。




中尉は自分のものだと、たまにしなくてもいい牽制してても萌えるな、と思いますたんぐ。
そんな被害者になるハボック可哀相スキーw

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