10.やっと見つけた 窓に漏れる明かりのないことに気づいて、つとロイの足が止まる。 それが日常だとわかっているのに、あるはずのないものが見当たらない虚しさを感じた自分に苦笑した。 「……まあ、明日もあるしな」 ここのところ働きずめだったのは、何も自分だけの特権ではない。 予定が出来たか、遅くなるのを見越して逆に気を遣わせてしまったのだろう。 休めとは確かにリザから言われていた。 それでも、何故だか無性に会いたかったのは自分だけだったのかと思うと、ドアノブを握る手にも力が入らない気さえして、ロイは自嘲気味に顔を歪めた。 「空回り、か」 いつもどおりに鍵を差し込み、壁横の電気スイッチに手を伸ばす。 そこに照らされた玄関に、自分のものではない靴が端に寄せられているのを見つけて、ロイは思わず顔を上げた。 「中尉?」 だが続く室内はやはり暗く、返事はない。 帰ったとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。リザにして、しかも靴が置きっぱなしということからもサプライズはあり得ないが――まさか具合でも悪いのだろうか。 途端に早まり出した心臓を押さえて居間のドアを開ける。 「中尉、いるのか」 呼び掛けと同時に電気を点ける。 ――と、ソファに見知った姿があった。 「……」 座ってそのまま寝入ったのだろう、腰からぐにゃりと凭れるようにして、リザが寝息を立てている。 どっと安堵に息を吐いて、ロイはぐしゃりと前髪をかきあげた。 「……君の方こそ休むべきだろう」 見ればキッチンテーブルに置かれた夕食の皿には、きちんとナプキンが掛けられて、コンロにも鍋がかけられている。自分で誘っておきながらの現状に申し訳なさとくすぐったさを感じつつ、起こさないようにと足音を忍ばせながら、ロイはリザの傍にそっと膝をついた。 瞼を縁取る長い睫毛が影を落としている。 密生していても自分とは違う柔らかい金糸は、髪と同じく柔らかそうだ。 いつもはきりりと結い上げられている髪が下ろされて、頬に幾筋か掛かっている。 寝室ではない寝姿を、こんなにまじまじと間近で見る機会もそうはないなと小さく笑いながら、ロイはふとリザの手元に気がついた。 「……ん?」 すうすうと心地良さそうに肩を揺らすリザの胸に、何かが抱きしめられている。 頬に落ちた髪をそっと掬ってやりながら、ロイはそれに視線をやった。 「何、だ――……」 深い紺の、一見すれば黒に見える色のそれは、ロイ自身のジャケットだった。 クリーニングにと出したはいいが、時間が取れず、そのままソファに置いていたものだ。 それをどうして―― 「……ん」 見つめる先でリザが僅かに身動いだ。 思わず止まってしまったロイをよそに、リザが抱え直すようにジャケットを手繰り、鼻を埋めるようにして小さく呟く。 「たい、さ……」 「――」 起こさないように――は、無理かもしれない。 ロイは詰めていた息を吐き出しながら、リザの頭を優しく、しかしはっきりとわかる程度に撫でて名前を呼んだ。 「中尉」 「ん……」 「リザ」 「……ング、さん?」 頬に触れたところで、リザの瞼が薄く開く。 睫毛が何度かゆっくりと開閉し、ライトブラウンの瞳にロイの顔が捉えられる。 鼻と鼻がくっつきそうな距離で覗きこんだロイは、珍しくぼんやりとした副官の仕草に笑いながら、もう一度くしゃりと髪を撫でた。 「ただいま」 「おかえりなさ――……すみません!私――」 ロイの言葉にふわりと微笑を浮かべて言いかけて、リザは慌てたようにソファの上で飛び起きた。 いつの間にか寝入っていた自分に驚いているといった感じがありありと見てとれる。 転寝くらいのつもりだったのだろう。まさかここまで深く寝入ってしまうとは思っていなかったらしいリザが、敬礼でもしそうな勢いで立ち上がるのに合わせて、ロイも立った。 「すまない、誘っておいて遅くなった」 「いいえ、お疲れ様でした。お食事は? すぐに温められますが」 言うと、リザが生真面目な副官の表情で首を振った。 戦地で通用する切り替えの早さを、こんなところで役立てるなと苦笑が出そうになるのを内心で堪え、ロイも生真面目に頷いてみせる。 「頼む。君もまだだろう?」 二人分の皿が乗ったテーブルを指せば、リザがやっと瞳を和らげた。 「はい。じゃあ、温めますね」 「その前に」 「はい?」 「本物はここにいるぞ?」 「え?」 訝しげに首を傾げるリザの腕に、まだしっかりと抱えられている濃紺のジャケットを目顔で示す。 ロイの視線を追って手元を見たリザの頬がサッと染まった。おそらく無意識にだろう、床へと叩きつけるように置かれたそれが、ボスンと何とも張り合いのない音を立てて二人の足元で形を崩す。 まるでゴミのような扱いじゃないかとは口にしない。 その代わりに、ロイはニヤリと口角を上げた。 「そんなに私に会いたかったか」 一歩近づくと、リザがじりりと後退る。 「代わりに抱き締めて眠るほど」 「違います!」 合間に挟んだ即答は無視して、ロイは羞恥で赤く染まったリザの頬に手を滑らせた。 距離を縮めて、揶揄に戸惑うリザの髪にも指を絡める。言葉遊びはここまでだ。 否応なしに視線に感情が昇ってしまうのを止められない。 「――私は会いたかった」 「大、…………え?」 僅かに潤んだ瞳で睨みかけたリザは、しかし、笑みのないロイの視線に言葉を飲んだ。 漆黒の両目が揶揄ではなく、確かな熱を孕んで見つめている。 「無性に君の姿ばかり探してしまったよ。会えない時はとことん会えないものだな」 「……ヒューズ中佐がいらした時に」 「あれきりだ」 それで君は良かったのかもしれないが。 物理的なリザの正論に憮然と返したつもりが、随分切羽詰まった声音になって、ロイは内心で自分に苦笑した。 本当は、もう少し珍しい副官の転た寝を肴に、反応を見ようかという気持ちもあった。 だが、その髪にすら触れた瞬間無理だとわかった。 限界だ。 近くにいて、そして他に誰もいない。 「……そうですね」 そんなロイの焦燥にも似た渇望を知らないリザの頬に肯定にすら焦れて、ロイはリザの腕を一気に引いた。 「大――」 「会いたかった」 腕の中で身じろぐリザの動きすら逃がすまいと、体が勝手に抱擁を強めてしまうのがわかる。 ずっとこうしたかったのだ。 「笑うか?」 余裕のない口調は今更取り繕えずに、ロイは甘えるようにリザの耳朶に鼻を寄せる。 と、ふるふると首を振ったリザが、ロイの背中に手を伸ばした。 素肌ではない感触が、抱き合う胸に、回された背中に、ゆっくりと優しく浸透する。 「私も」 「ん?」 床に落ちたジャケットが、二人の足元にもたついて、だが、触れ合った箇所が熱くてまるで気にならない。 ロイの胸に唇を押し当てるようにして、リザが吐息混じりに口を開いた。 「今日は、ずっと貴方を探していました」 「……うん」 背中のシャツがきゅっと掴まれ、とくん、と鼓動さえ間に紛れる。 背中を抱いて、髪を撫で、ひとつにならないもどかしさに反比例して愛しさが募る。 高まる感情を溶かすように、リザの耳元で息を漏らすと、背中に回された腕が更にきつくロイを抱いた。 顔を埋めたままで、小さな声がそっとロイの胸に囁く。 「会いたかった……」 まるで同じ感情に、どうにかなってしまいそうだ。 どうすればこの感情が伝わるだろう。 もどかしい思いで頷くと、リザの金糸が顔に触れて、胸の奥が可笑しいほど熱くなる。 身動ぐ代わりに指先でロイのシャツを手繰るリザの旋毛に唇を付けて、低く甘く囁き返す。 「やっとみつけた」 そうすれば、ほんの僅かな震えすら感じる距離でリザが胸に息をついた。 たった一日、けれど充分―― まさかこんなに不足を感じるとは思わなかった。 足りない半身を求めるように互いに子供のように抱き合いながら、ロイは心地好い共振に心が奮えた。 「やっと見つけた」をどうしてもロイに言って欲しかったんですが、なんでしょう、微妙ですか…。や、でも、その精一杯……! 本当はリザたんも会いたかったし、触れたかったんだよ!というのだと萌えます。ストイックな人が甘える、というシチュ萌えでした。 |