夜衣をあなたと君で




ブザーの音に誰何の声を掛けるより早く、ハヤテ号の尻尾が揺れた。
それだけでこの部屋を訪れる数少ない人物の特定など出来てしまう。
それでも念の為にと護身用のコルトを手にしたリザへ「私だ」と掛けられた声は紛れもなく彼のものだった。予想通り過ぎて溜息が出る。チェーンの隙間から銃口だけを覗かせて追い返しても良いだろうか。
物騒なことを割り合い真剣に考えつつも鍵を外して開けたリザは、視界に飛び込んできた色とりどりの花束に、うっかり鼻を打つところだった。

「……花瓶はないと言ったはずですが?」
「知ってるよ、飾るためじゃない。そんな顔をするな」
「元からです」

知っているというのなら、これはどこかの誰かに受け取られなかった可哀想な成れの果てか何かだろうか。
辟易とした顔を取り繕いもせずそう言ったリザへ、ロイは僅かに驚いたように目を瞠った。

「何だ、随分ご機嫌斜めだな。何かあったか?」
「なにか――?」

あった、どころの話ではない。
午後から非番のリザが、帰り際まであれだけ口を酸っぱくして提出期限を守るようにとまとめて渡した書類達が、主の帰還を待っているとフュリーに泣きつかれたのは、つい数時間前のことになる。軍の回線から青褪めているとわかるほどの震え声で、目を離した隙にいなくなってしまったと慌てる彼には、延長申請可能な書類の確認と、それ以外のものへの緊急応対マニュアル、ハボック少尉への委譲案件の手続き等の指示をして、それから簡易包囲網の手順も伝えてはあった。けれどもこうしてロイが目の前に現れたということは、それが徒労に終わったのだと理解して、リザは心の奥でそっとフュリーの肩を叩く。
それが言うに事欠いて、「何かあったか」ときたものだ。
思わず上がる腕の自由に任せながら、リザは不適な微笑みをロイに向けた。

「――本日決済期日の書類を一山いくらで残したまま、マデリーンさんとのお食事を楽しまれた記憶すら留めておけない脳味噌でしたら、不要と判断し、殺処分で宜しいですか?」
「待て待て待て! 処分保留を申請する!」
「却下します」
「なら命令だ! 待ちたまえ中尉!」

撃鉄を上げたリザの本気が伝わったらしい。
両手をホールドの形に上げる情けない姿のまま、最終兵器を掲げたような格好になったロイへ、リザは渋々銃口を下げた。それでもあっさり引き下がるのでは不満が残る。

「……イエス・サー、と言うべきですか」

本気で引鉄を引くつもりは毛頭ないし、彼のスタンスも十分理解してはいる。それでもつまり心配なのだと伝えるつもりで言った台詞は、リザが想像していた以上にむくれた声色になってしまった。それに気づいて寄せた眉が、ますます拗ねた子供のようで、ロイのことだ、ここぞとばかりに揶揄ってくるに違いない。観念して、だがなかなか次の言葉を発しないロイの態度に業を煮やしたリザは、じとりと視線だけで彼を見上げてみることにした。じっとこちらを見ていたらしいロイが、困惑したように顔を片手で覆う。

「あー……悪かった。せめてこれを渡すまで、処分は待ってくれないか」

どうやら先程のリザを揶揄うつもりはないようでホッと息を点いた。何故かはわからなかったが、いまだに玄関先で行われているこの応酬にも、いつものように中へ入れろと急かすこともなく、罰の悪そうな表情はまるで自分の非をきちんと認めているように見える。妙なこともあるものだ。内心で首を傾げながら、ロイが取り出したものに視線をやった。
それは小さなガラスの小瓶で、中は空のようだった。

「瓶、ですか?」

リザの確認には答えず、ロイはおもむろにその場へしゃがみ込むと、胸ポケットから取り出した紙面といくつかの品物をその上に置いていく。それから花束と小瓶を中央に配し、たん、と両手を紙に置いた。最近では発火布に刻まれた錬成陣の発動以外、あまり見ることのなかった錬成独自の青白い光が、一瞬だけ辺りを明滅させて、リザは思わず目を瞑った。少し長めの瞬きの間に、今あった物が別の物としてリザの目の前に現れる。
錬成はいつ見ても不思議な光景だ。
錬金術師の娘とはいえ、その手の素養が皆無なリザからしてみれば、こうして見せられる結果は全て不思議の一言に尽きる。
素直に感心しきりのリザの前で小瓶を持って立ち上がったロイが、中に出現したらしい液体を軽く揺らして満足げに頷いた。小瓶の蓋を開けると、仄かに甘い香りがして、なるほど香水の錬成なのだと合点がいった。

「花束を受け取ってくれない君へ」

指を数滴濡らしたロイが、機嫌を伺うようにリザの耳裏へとその手をそっと伸ばしてきた。
主張はあるが甘すぎず、可愛らしい中にもしっとりと艶を含んで感じる香りは、普段使いにこそ向いているのかもしれない。けれどもまさか軍人である自分が制服でつけられるわけもない。

「……ありがとうございます。エリザベスの時に使わせていただきますね」

だからそういう意図なのだろうと解釈して、受け取る為に出したリザの手を、しかしロイはさっと引き寄せた。

「君にだよ、リザ」
「え? あの、ま――」

ぴちゃりと香水の振りかけられる音がする。いくら匂いが薄くても、これだけつければイヤでも気づいてしまう量だ。何をするつもりなのか――。
だがそれを視認するより先に、鼻孔を花の香りが満たし、抗議の言葉はロイの唇で消されてしまった。
突然の行為に意識が全て持っていかれそうな熱を感じる。自分の頬を包むロイの手からも香水の香りが強く漂い、頭の芯がクラクラしてきた。
三度目の息継ぎを少し長めにくれたロイが、甘えるように鼻先をリザに押しつける。

「匂いを移してくれないか」
「は――」

囁きを直接耳朶に吹き込まれて、膝が震える。
支えるように腰を抱き直したロイが、今度は首筋に顔を埋めた。

「今から軍に戻って、書類を片してくるつもりでね。女遊びが激しいと噂の国軍大佐が、女性の匂いひとつつけないで戻るのはないだろう?」
「……」

よくもまあ突然の訪問からそんな台詞を思いついたものだ。本当に最初から戻るつもりだったというのなら、マデリーン嬢にでもつけてもらえば良かったのだ。わざわざ軍部と真逆のリザの家まで来ることはない――そこまで考えて、リザは違和感の正体に気づいた。
彼は今夜、決して中に入ろうとしていなかった。わざわざリザの小言を享受して、罰の悪い謝罪をしてまでこの香りを錬成した――ということは。

「……リザ?」

何だ、全部本音なのか。
思わず息を詰めてしまったリザの気配に気づいたのか、ロイが首元で名前を呼んだ。
困った人だ、どうしようもない。
それでも今日の相手に彼女ではなく自分を選んだというのなら、それももうどうしようもないから、抗うことが出来るはずもない。

「キスだけですよ」

書類の残量を考えれば、それは妥協の出来ない一点だ。
自分から言い出したくせに、一瞬驚いたように顔を上げてリザを見たロイに堪えきれずに口元が弛む。
誤魔化すように瞼にそっと唇を落とすと、あっと言う間に調子に乗ったロイが、ニヤリと口角を上げた。

「匂いつくようなので頼む」
「へんたい」

結局自分のにおいを私にもこうして移すくせに。
キスでマーキングを思いついた男の思考を半分正直な感想を口にしながら、リザはロイの口に噛みついた。




ツイッターでやった 【文字書きの為の言葉パレット3】でリクを頂いた2番「変態」「口頭」「花束」で錬成したお話第二弾。
花束といえば、アームストロング家の代々花屋のおばちゃんから当たり前に電話してきたロイアイシーンだろ!ということで、その後きっとこんなロイアイもあったんじゃないですかーどうですかー香水錬成してつけるとかニギャー!やだー変態ー!(∩∩)!私が……。

1